四章 繋がり
4-1
俺が鼻歌交じりにアパートの部屋に帰宅すると、椿が玄関で仁王立ちして俺を待ち構えていた。何やら、お怒りのようであったが、今の俺には関係ない。素晴らしき日々を確約してきた俺は、幸せモード全開なのだ。
「ただいま、椿。今日は豪華だぞ」
上機嫌な俺を、椿は白けた目で見ていた。しかし、俺の足元で犬のように鼻をクンクンとして、何かの臭いをかぎ取った椿は、急に表情を曇らせた。愛らしい顔は青ざめ、小刻みに震えている。
「あ、主様。今日は何か、ありましたか?」
声までもわなわなと振るわせた椿は、そう恐る恐るきいてきた。明らかに機嫌のいい俺は、一応、優しくツッコミを入れる。
「犬か、お前は」
「猫派です」
俺の優しいツッコミは、真顔で否定された。何派かと聞いた覚えはないのだが。確かに、猫は人間よりも屋敷に懐くと言われているから、座敷童の椿が猫派なのは、必然的だと言っていいだろう。しかし、今日の俺は「卒ゴッド」であるから、そんな細かいことは、いちいち気にしていられないのだ。さっそく夕食の準備に取りかかる。準備と言っても、今日は買って来た物を皿に移して並べるだけだ。日頃から節制している俺は、一人暮らしを始めてからは清貧生活を決意したのだが、今日ばかりはお祝いということで、奮発した。値引きされた刺身に、タイムサービスの酒、魚の煮つけに、サラダ。椿は人間のように食べるわけではないから、一人分で二人の腹を満たすというお得感もあった。俺は机に並べた皿を得意気に示し、椿に差し出した。
「さあ、夕食だぞ」
俺のテンションはマックスなのに、椿は泣きそうな顔でいやいやと首を振る。ここに来て、俺は大人げないとは思いつつ、椿に対してイラっと来た。
「何だよ? 何が不満なんだよ?」
「やっぱり、主様から貧乏神の臭いがします。どこで付けて来たんですか?」
「貧乏神?」
貧乏神と言えば、その名の通り、人間を金欠にしてしまう恐ろしい神様だ。確かに俺はゴッドであったから、晩年金欠ではあった。しかし今はチューターというアルバイトにもありつけたし、俺が家から出てからは何故か父親の給料が上がり、母親のパートも順調に行くようになったから、むしろ俺の実家に関しては金銭的余裕が出てきた方だ。俺も今日だけのお祝いのつもりだったし、何の問題もない。しかし、神様って臭いがあるんだな。初めて聞いた。貧乏くさいという言葉は、幾度となく浴びせられた言葉だったが、まさか本当に貧乏神に 臭いがあるとは思わなかった。もしかしたら、神様同士って意外と臭いで相手をかぎ分けていたりして。ほら、犬の挨拶みたいに、相手のお尻の臭いをかぐとかある。そんな感じだろうか。椿はまだ鼻をひくひくと動かしている。本当に猫っていうより犬みたいだ。
「かすかですが、他の神様の匂いもします」
他の神様ということは、俺は一日で二回も神様に会っていたということか。そう言えば、神社に行ったから、そこに祀られている神様だろうか。椿は考え込むような表情を見せていたが、いきなりハッとして、俺を見つめてきた。
「主様、今日、何かお告げみたいなものに触れませんでしたか?」
「お告げ?」
俺は今日一日を振り返る。柳にサークルに誘われて、梅野先輩を紹介されて、そこに竹内先生が来て、マリア先輩のチューターになって、それから神社に行って。それから柳に告白しに、神社に行ったんだっけ? こうしてみると今日だけで随分初めての人に出会っている。大学生になったばかりだから、しょうがいない気もするが、全員女性だ。しかも全員魅力的で美人ばかりだ。あれ、待てよ。柳の家が神社で、そこで確か巫女さんに出会った気がする。確かアルバイトの巫女さんで、名前は、桜。
——女難の相が出ています。
俺の顔は、一気に蒼褪めた。まさか、今日出会った女性たちの中に、俺に受難を与える貧乏神が混じっていたとでも言うのか? 確かに梅野先輩はさばさばしていて、俺に次回の朗読を押し付けてきた人だけど。確かに竹内先生は、何事にも厳しそうな人だけど。確かにマリア先輩は面倒くさそうな人だったけど。柳に関しては人畜無害な女性だし。これはどんな謎も解いてしまう探偵もお手上げの状態だろう。だって、全員白っぽいし、黒っぽい。少なくても俺の頭の中では、皆白だ。
「お告げの後に会っている人物が、貧乏神です」
うわー、言うな、言うな。俺は両手で自分の耳を塞いだ。そう、俺は何となく分かっていた。何といっても、これまでゴッドだった俺だぜ? このフラグに気がつかないわけがない。不幸には慣れている。慣れていることも問題だが。いや、大問題だが、今はそれどころじゃない。さすがに俺の不幸の引きは健在だった。まさかこんなに多くの出会いの中から、たった一人の貧乏神を初の彼女にしてしまうとは、何という恐ろしさだろう。俺は肩で息をしながら、思わず椿の口を塞いだ。まるで変態なロリコンが、後ろから幼女を拉致する寸前のような格好だ。椿は口をもごもごとしていたが、俺は、はぁはぁと荒い息のまま言った。
「これ以上、何も言わないでくれ。せっかく出来た彼女なんだ。彼女のためなら俺は貧乏でもいいんだ!」
ごめん、椿。ごめん、お告げしてくれた神様。俺は柳と共に心中する覚悟だ。俺の心がそう叫んだ時、椿が俺の手に思いきりかみついた。
「いって—!」
俺は血がにじんだ手を押さえながら、部屋を転げまわった。そして転げまわっている内に、机の脚の角に頭をぶつけて、やっと起き上がった。
「いきなり嚙みつくなよ!」
「主様こそ、どれだけ変態なんですか? まさか私を……」
椿は涙目になって、和服の襟元を押さえている。その姿はまるで、追い詰められた幼女そのもののようだった。俺は変な想像をして、赤面した。青くなったり赤くなったり、俺の顔が七変化している間に、椿は涙を拭いていた。人生初の彼女に浮かれていて忘れるところだったが、椿はまだ子供なのだ。そんな椿に手を出す、いや、手を挙げるような真似をしていいわけがない。こっちはもう成人した大人ではないか。
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