2-4


「見たくて見たわけではないんだが。大体、ここは俺の部屋だぞ? どうして勝手に風呂に入って着替えしてんだよ?」

「沐浴ですよ、主様。それに、ここが自分の家であるという点においては、主様と私は同じじゃないですか」

「それは、そうだが」


 いや、正確には同じではない。俺は家賃を払っているが、椿は完全に居候ではないか。神様だからと言って、何でも許されるのか。理不尽極まりない。


「それに、今日の朝餉はお水とパン一個って、ありえませんよ。お水はきれいだったから、許します。でも、やっぱり白米でしょう?」

「そこは、俺が悪い。すまなかった。許してくれ」


 俺はもはや土下座のような格好だ。そしてそのまま、自分の脇に置いてあった保冷バッグと、ビニール袋を引き寄せて、椿に差し出す。


「これで、勘弁してくれ」

「何ですか? 物でつられるほど、私は安くないんですからね」


 椿はまず献酒の入った白いビニール袋の結び目を解いて、一升瓶を取り出した。その瞬間、椿の青い瞳の中に、星マークが浮かんだのが見えた。口角も上がっている。そして、小刻みに体を震わせている。


「これ、幻の酒と言われる銘酒じゃないですか! きゃああっ、どうしたんですか? まさか盗んできたんじゃないですよね、主様?」

「人聞きの悪いこと言うな。それ、そんなにいい酒なのか? 貰いものだけど」

「そうでしたか、納得です。そうすると、こっちは?」

「ああ、これはまだだ」


 俺が保冷バッグを引っ込めると、椿は転びそうになる。何とか尻もちを避けた椿だったが、頬を膨らませている。


「ちょっと待ってて」


 俺は台所に立って、タッパーから皿に料理を移し変えた。一人分の食器しかなかったため、全部の料理を盛り付けるのに苦労したが、何とか乗せることができた。後はフライパンで肉を焼くだけだ。味はもうついている。焼いてから、こちらも皿に盛りつける。盆に箸をおいて、お猪口を隅に乗せる。自分で料理したわけではないが、なんだか誇らしい。


「ほら、椿。夕食だぞ」


盆の料理に椿は目を輝かせる。椿の方に箸が向くようにしたが、椿は箸を持たなかった。


「どうした? 食べないのか?」

「もう。主様は何にも分からないんですね。私は神様ですよ? 拝んでくれないと食べられないんです」

「あ、そうか。そういうことか」


 俺は神社でするように、二礼二拍手一礼した。すると椿はすぅっと息を吸い込んだ。まるで盆の上の空気だけを吸うかのように。


「ああ、美味しい。ごちそうさまです。後は主様が食べてもいいですよ」


 盆の上には一口も手を付けられていない料理が、そのまま残っていた。あの一呼吸で、椿の食事は終わりなのだと気付くのに、少し遅れた。確かに神様が本当にお供え物を食べたなんて話は、聞いたことがなかった。


「じゃあ、いただきます」

 

 俺はテーブルに盆を移して、食べ始めた。椿はいつの間にか、俺のベッドで寝息を立てている。随分と安心しているらしい。その寝顔には笑みが浮かんでいる。その顔を見ながら、食事を口に運ぶ。随分と奇妙な同居生活になったものだ。


「うまっ」

 

 声が出るほど、牡丹の手料理はどれも美味しかった。さすがは大家さんの専属メイドだ。大家さんが食べるためか、どれも薄味だが、出汁がきいていて満足感がある。ふと、お猪口を見ると、酒だけはなくなっていた。椿が飲んだのだろう。幼女のくせに、酒豪じゃないか。


 俺が台所で洗い物をしていると、椿が起きてきた。


「主様?」

「何だ?」

「主様は、いつも家にいないんですか?」


 寝癖をつけ、少し着物がはだけている椿は、本当の人間の子供のようにかわいらしかった。俺は大学や、これから入るであろうアルバイトやサークルについて、話さなければ、と思っていた。しかし椿のその姿を見ると、少しかわいそうな気がしてくる。きっと寂しいのだろう。


「俺は学生なんだ」

「がくせい? 何を学んでるんですか?」

「民俗学っていうんだけど、まあ、一つの学問だ」

「がくもん。じゃあ、休日は?」

「それなんだけど、アルバイト、えっと、働こうと思ってる」

「働きながら、学問を修めるんですか?」

「それだけじゃなく、仲間といろいろなことをしたいから、帰りは遅くなると思う」

「主様は忙しいんですね」

「そうだな。だから、今日みたいな金縛りは絶対にしないでくれ。遊んでいるわけじゃないんだ」

「私のこと、忘れないで下さい」


椿は俺に抱きついた。神様と言えど、やはり子供なのだ。


「椿のことは、忘れないよ」


俺は椿の頭を撫でた。


「椿には、友達とか知り合いはいないのか?」


椿は首を横に振った。


「私には、主様しかいないんです」


確かに、神様の世界のことは良く知らないが、幼稚園や小学校はなさそうだ。それに、神社の神様はちゃんと鳥居と社があるが、椿にあるのは神棚一つだ。そのため、多くの人には認識されず、俺が祀らないと椿は消えてしまうのだ。なんて、儚い存在なのだろう。


「分かったよ。ちゃんと毎朝拝むから、約束しよう」


俺が小指を突き出すと、椿は嬉しそうに自分の小指をそれに絡めた。


「約束」



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