二章 サークル活動

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 平穏主義な俺に、田舎の大学は肌に合っていた。何かを気負うこともなく、成果は上げても全国ニュースで取り上げられることは少ない。先生方はおおむね温厚であり、教授と学生が友達のように仲良く歩いている光景も珍しくなかった。学生たちはそんな教授方に、あだ名をつけていたほどだ。サークル同士の関係もぎすぎすしておらず、共助関係にあるようだ。新入生のサークル勧誘も、「来る者拒まず、去るもの追わず」というスローガンが掲げられていた。究極のインドア派であり、趣味は読書である俺は、無理にサークルに入ろうとは思わなかった。彼女に出会う前までは。


 新入生入学歓迎会、つまり「新歓コンパ」というものがあった。これはサークルのコンパとは違い、同じ先生に将来的に師事することになる新入生と、その先輩方の飲み会だ。コースごとにこの飲み会は行われているらしい。俺が入っているコースには二人の先生がいた。一人は白髪の男性で、中世歴史宗教学が専門の先生。もう一人は眼鏡を掛けた女性で、民俗学が専門の先生だ。同じコースでも、将来的にはどちらかの先生について学ぶことになる。俺はお寺とかお経とかの歴史には興味がないので、民俗学を希望している。歴史となると、古文書などもメインで範囲に入ってくるため、俺はそこから逃げたのだ。


「新入生、自己紹介して」


 先輩の中でも幹事役になっていると思われる男性が、声を挙げた。皆に飲み物が行き届いたところを見計らってのことだろう。やはり俺の不幸体質は健在で、一番目に俺の自己紹介が当たった。緊張して何を言ったらいいのか、分からない。それなのに、拍手で急き立てられる。皆が興味を失い始める中間が良かったのに。俺はしぶしぶ立ち上がって、一礼した。


「東京出身の樹拓磨です。民俗学に興味があります。よろしくお願いします」


俺は皆からの視線を断ち切るように、今度こそ深く頭を下げて、自己紹介を強制終了させた。俺にならうように次々と新入生が自己紹介していく。それが終わると先輩方。最後に先生二人が自己紹介した。


 豆腐のサラダにパスタ、揚げ物など、大皿で出てくる。慣れた人は、戸惑っている俺をよそに、先生から先輩の順におかずを取り分けてくれる。主に女性陣だった。その女性たちは、手酌をしないように立ち回り、注文の追加なども行っていた。後で聞いたところによると、居酒屋でアルバイトをしている女性たちだった。納得がいくのと同時に、アルバイトのことを漠然と考えた。貯金を心掛けているはずなのに、晩年金欠。そんな俺は奨学金の審査にも落ちていた。働かなければ、大学の学費もアパートの家賃も払えない。つまり椿ともお別れだ――、って何を考えているのやら。仔猫のような椿は、神棚がある俺の部屋の間取りから出られないらしく、俺が大学に行くのを嫌がって引き留める作戦に出た。簡単に言うと「女の子のお着換えを、嫌らしい目で舐めるように見た主様」と、名詞を飾りに飾った呼び方をするのだ。俺はそんな真似はしていないと訴えたが、恨めしそうな顔で椿はそう言い続けた。さらに、椿は神様らしいスキルを持っていた。金縛りだ。足元にまとわりつく椿を何とか振りほどいた俺が玄関に走ると、椿は「強硬手段です♡」と言った。その瞬間、俺は全身筋肉痛のような、全身の強張りと痛みに襲われ、あえなく玄関で倒れた。口だけやっと動かせて「早く帰る」と約束して、やっと解放された。毎日こんなことをやっていたら、授業に遅れる。授業によっては一分でも遅れると欠席扱いとなり、単位が取れないため、大学生にとっては死活問題だ。いや、授業の前に俺の身が持たない。帰ったら椿に大学生の本分と、授業の大切さ、そして俺の身の上について説教せねばならない。いきなり金縛りで主を縛り、外出を妨害する福の神なんて、聞いたことがない。これではむしろ、逆なのでは?


 飲み会の会計の段階で、先生二人が気前よく半額を持ってくれ、残りは先輩方が奢ってくれることになった。これも通例らしい。新入生はそのまま帰された。俺はそそくさと外に出て、自宅アパートに帰ろうとした。そこで、いきなり一人の女性に声をかけられた。華奢な体形に、清楚な服装が映える。愛らしい顔は小顔で、髪と瞳の色はカフェラテ色だ。先ほど名乗りあったばかりなのに、彼女も民俗学に興味がある新入生の一人、としか思い出せなかった。しかし相手は俺のことを覚えていたらしく、気まずい空気が流れた。


「あの、柳は、森田柳もりたやなぎって言うんです」

一人称が自分の名前の人なんて、実際にいるのかと衝撃を受けつつ、俺も名乗る。


「俺は樹拓磨です」


「もしよかったら、柳と付き合ってください!」


え? 今、俺、告白された? 嘘だぁ。


「ダメ、ですか?」


 柳は俺のことを不安げに、上目遣いで見つめている。俺は原口杏のことを思い出した。杏も自分から俺に告白してくれた。俺は何かの間違いでないかと、幾度となく疑い、確認した。だって、その時の俺は「ゴッド」だったし、何かに優れているわけでもなかったから。もしかしたら、今の大学への進学を決めたのは、俺のことを誰も知らない場所に行きたかったからかもしれない。そうすればもう俺は「ゴッド」ではない。俺の憧れである「普通の人」になれる気がした。しかし、大学デビュー早々に、こんなにかわいらしい子から告白されるということは、あっていいものなのか。何しろ、今日初めて出会っただけの関係だ。自己紹介だって、今したばかりだし。脱「ゴッド」を目指していた俺は、「ゴッド」と呼ばれることになってから、いつの間にか疑い深くなっていた。それは、俺が幸運に恵まれることはないという、思い込みによるものだった。


「何で、俺なのか聞いてもいい?」

「それは、えっと、誤解しないでね。幸薄そうだったから」


 グッサーッ。刺さった。心に刺さった。それは感動したとか、感銘を受けたとかじゃなく、心に棘、いや、五寸釘くらいのヤツが刺さった。今俺の心が大きくえぐれた。「幸薄そう」じゃなくて、実際「幸が薄い」んです。はい。俺が落ち込んだせいか、柳は焦ったように言葉を重ねた。


「ち、違うの。えっと、母性本能がくすぐられる雰囲気があったから」


 慌てて言い直しても、俺の心の傷は癒えない。だって、言い方が違うけど、「幸薄いオーラ」全開だったから、ってことでしょ。ああ、誰か回復魔法とか回復薬とかくれないかな。まあ、ゲームじゃないから無理か。そんなことできる技とか薬とか、実際にあったらやばそうだし。


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