1-4

 俺は戸惑いながらも、手で幼女の頭を撫でてやった。


「分かったから、もう泣くな」

「はい。でも、嬉しくて」


 幼女はしばらく俺に抱きついたままだった。しかし気が済んだのか、恥ずかしそうに顔を赤くして、目をこすりながら俺から離れた。


「自己紹介がまだだったな。俺は樹拓磨。大学生だ。君は?」

「ななな、名前を先に言われてしまいました!」

「普通だろ? それに、名前がないと困るし」


 まさか、見たままの「幼女」と呼ぶわけにもいかない。


「でも、名前って大事っていうか、そんなにすぐに相手を信用してはいけないと思うっていうか、もしも相手が主様の名前を使って呪とか掛けたら大変です!」

「いつの時代の話だ? しかも呪って、縁起でもない」


 確かに試験で日本史を選択した同級生たちは、昔の人々が名前を大事にしていたと言っていた。だから、名前を相手に軽々と名乗ったり、偉い人から一字貰ったり、いろいろと大変だったようだ。それから名前を大切にするのは、単に名前が大事だからではなく、名前を使って相手をまじないをかけることがあったためだとも言っていた。しかし今では名前を名乗らなければ、始まらない。偽名だったりあだ名だったりを最初から名乗るのは、今では非常識だろう。


「え? 今も名前は大事ですよ?」

「まあ、俺と同姓同名がいたら少しは嫌かもしれないけど、それ以上はないな」

「そう、なんですか? 主様が言うならそうなのでしょう。でも……」

「どうした?」

「実は、私、忘れてしまったんです」


明らかに落ち込んだ幼女は、肩をがっくりと落としていた。


「あまりにも、名前を呼んでくれる人がいなかったもので。だから、主様が私に名前を下さい。お願いします」


 幼女はちょこんと頭を下げた。まさか福の神に名前を付ける日がこようとは、誰が想像していただろう。幼女は期待を込めた瞳で、俺を見つめている。俺は逡巡してから手を打った。


「ツバキ、椿でどうだ?」

 

 何たる安直さ。ツバキ・ハイムだから椿。しかし俺にはこんなネーミングセンスしかなかった。幼女こと椿は、満面の笑みを浮かべて、大きくうなずいた。


「はい! 椿です! 椿、椿、椿! 私の名前は椿です!」

 

 名前がどうこう言っていた椿は、嬉しさのあまりぴょんぴょんと跳ねながら、フローリングの床に円を描いていた。俺を中心にして、一人ではしゃぐ椿を見ていると、咄嗟につけた名前も悪くなかったのかもしれないと思うようになった。そして、娘ができた父親の気分とはこういうものなのかと、妙に責任感が芽生えた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る