第3話 『全て』のうまくいかない人へ

 街に戻ると、ただでさえ薄暗くなった街路に突然影が差した。


 見上げると【霊象石】の力で空を飛ぶ船【飛行艇】が夕空を横切っていく。


 ちょっと気分転換に話をさせてほしい。


 俺は現在【マルグレリア】の守護契約士協会に配属されている。地理的な場所は【ジーファニア王国】と【ガルヴィーラ帝国】との国境沿い。


 今でこそ青い海と白塗りの壁が映える甘美な町だけど、10年前は両国の間で大きな戦争があって、大部分が破壊されていたんだ。


 その戦争を終結させたのが、ジーファニア側の新兵器、軍用飛行艇を投入した強襲作戦。


 各地方に展開していたガルヴィーラ軍は各個撃破され、開戦から一年で終結した。


「ただいま戻りました……」


 協会の戸を開けると、ノイズのかすむラジオのジャズが流れてくる。


 それに交じって「お帰り~」と間延びしたなじみの声が耳をはいずってきた。


「あれシャル? なんだ戻っていたんだ」


「なんだとは失礼だねエルやん。お姉ちゃんに向かって」


「いや、姉じゃねぇーし」


 まだ勤務中だというのに蜂蜜酒で一杯やっているこの女性は《シャルリア=サンギーヌ》。2歳年上の幼なじみで、専属医として出向に来ている。


 夕焼けみたいなオレンジがかった栗毛のショートポニ。


 耳元のやわやわした猫っ毛を小指でかきあげると、健康的な小麦肌のうなじがのぞく。


 年上幼なじみなんて小説に出てきそうなヒロインだよな?


 でも残念ながら甘酸っぱい思い出は一切ない。むしろ世話を焼いたのは自分の方が多いまであるね。


 ちなみに《エル》っていうのはあだ名。何のひねりもなくてつまんないだろ?


「いい加減飲みすぎよ。シャル、その辺にしときなさい」


「い~じゃ~んカサンドラさ~ん、暑いんだしさぁ~」


 テーブルの上でシャルが猫みたいに液状化する。ウェーブする背骨は毎回どうなってんだって思うよ。頬に手を当ててカサンドラさんは困った顔をした。


「……もう、しょうがないわね。これが最後の一杯よ」


 やったーとなみなみと注ぐシャルを尻目に『いっぱいってそういういみじゃーねよ』と思いつつカサンドラさんのもとへ。


「おかえいなさいエル。お疲れ様」


「ただいまです。で、今日は何に荒れてるんですか?」


「またお見合い話が破談になったのよ」


「お見合い……ああ、それで」胸の前で腕を組む。「じゃあ完了報告いいですか?」


「そこまで聞いて『ああ、それで』で済ませないでよ~」うっとうしくシャルが泣きついてくる。「かまって~愚痴聞いて~なぐさめて~」


「ああもうっ! 重いって、どうせまた子供好き、動物好きアピールしすぎたんだろ」


「重いなんて言わないで~、ウチは悪くないも~ん! 開口一番に『写真と違いますね』なんて言うやつがわるいんだも~ん!!」


 もうどっちもどっちだ。とりあえず後で付き合ってやるからと適当にあしらった。

「それでどうだった? 大丈夫だった?」


 杖を突き、右足を引きずる妙齢の女性こそ、支部長カサンドラ=ディアンサスさん。


 以前はその道では知らない人はいないとまで言われていた【霊象予報士】。


 基本【霊象獣】は黄昏時や、気候や自然バランスの【霊象】の乱れで発生する。


 つまり【霊象】を読んで乱れを予測するのが【霊象予報士】。けど今は――。


「あら? どうかした? そんな辛そうな顔して?」


「いえ、大丈夫です。あ、これ回収した【霊象石】です」


「まぁ! 結構大物ね。じゃあ明日工房に持って行って現金にしてきてくれる?」


「分かりました。あと、これ農家さんから頂いたハチミツです」


「それはそれは。後でお礼の手紙書かなきゃね」


「はいは~い! ウチも欲しい!」


「しょうがないわね。じゃあちょうど三人分あるしみんなで分けましょ?」


「うぉ~やったー! これぞ太陽神のめぐみ! ねぇ知っている二人とも? これトーストによく合うんだよ!」


「へ~トーストに……そうなのね! 今度やってみるわ」


 嬉しそうにカサンドラさんはハチミツ話に花を咲かせる。


 だけど彼女の右足は【霊象獣】による傷――【ケガレ】がある。


 それは先月、仕留めそこなって、襲われそうになった俺をかばって出来たものだ。

 これがやっかいなもので【霊象術】を乱す。


 今は薬で浸食を抑えているけど、いずれ全身をむしばんでやがて命を奪う。


「それでねエル。シャルには伝えたんだけど――」


 真剣な顔で切り出されたカサンドラさんの話に、俺は向き直る。


「上からの連絡でね。帝国の兵士が一人、先週消息を立ったという情報が来てね……」


 マルグレリア方面に逃亡したから見つけたら報告しろとのこと。


「兵士が消えた? 珍しいですね。帝国――【蒼血人】が協力を求めてくるなんて」


 そうね――とカサンドラさんがつぶやいた瞬間、時計が19時を知らせる。


「あら? そろそろラジオ霊象予報の時間ね」


 カサンドラさんはボリュームを上げる。


 現在はこのラジオに頼らざるをえなくなってしまった。


『……ジオ霊象予報の時間です。ジーファニア国境沿いで、雷象気と水象気の影響により、にわか雨がありますので、お帰りの際には念のため雨具をお持ちください』


 それを聞いて、すぐに出かける準備をした。消毒を終えた手甲を手に取る。


「んじゃ、行ってきます」


「気を付けてね。エルなら心配ないと思うけど、軍ともめ事は起こさないでね」


「だいじょぶだよ~エルやんは、今はいない誰かさんと違ってしっかりしているから~」


「また別のどっかの誰かさんはいい加減しっかりしてほしいけどな」


 飛びかかってくるシャルをかわして、さっさと俺は国境へと向かった。

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