第一〇二編 「報われない」



「準備はいい、桃華ももか。始めるよ」

「う、うん……」


 呼び掛けに応じたその少女は、緊張の面持おももちでキッチンの前に立っていた。エプロンを身に着け、頭には三角巾。手ずから料理をする機会などあまりない彼女は、シンク横に並べた材料を何度も確認し、レシピ本と見比べている。

 その様子を隣で静かに見つめるのは茶髪の女子高校生・金山かねやまやよい。カレンダーの日付は二月一三日、デジタル時計の時刻は二〇時三〇分。つまり、バレンタインデー前日の夜。

 そう、今から行われようとしているのは少女――桐山きりやま桃華が初恋の相手へ贈る、バレンタイン用のお菓子作りだ。


「そんな緊張しなくても大丈夫でしょ。桃華アンタは別に料理下手じゃないし、さっき友だち用に作ったチョコも十分美味しく出来てたじゃん」

「で、でもでも、久世くせくんに渡すお菓子を作るって考えると手が震えちゃって……それにチョコレートは何度か作ったことあるけど、キャンディーなんて初めてだし」

「まったく……」


 相変わらず恋愛が絡むと途端に尻込みしてしまう幼馴染みに、やよいはため息を吐き出す。


「だったら、やっぱりさっきのチョコを久世くんにも渡したら?」

「だ、ダメだよ。だって悠真ゆうまが、久世くんは甘いもの好きじゃないって言ってたんだもん」

「(……小野アイツが、ね)」


 桃華には気付かれない程度に左目をすがめる。もしが偶然であるならなかなかのファインプレーだが……やよいは既に知っている。は決して偶然などではない、意図的に与えられた情報であることを。

 小野おの悠真という少年は、桃華の初恋を叶えようとしていることを。


「――やっぱり、本気なんだね」

「? う、うん。やっぱり、久世くんには喜んでもらいたいから……」


 頬を赤くした桃華がそう答えたが、やよいが言葉を向けた相手は彼女ではない。これまで何度も桃華の恋を陰から補助サポートし、それでいてどういうわけか、桃華本人にも補助それを悟られないように暗躍し続けている少年へ向けられた言葉だ。


「(小野アイツがなに考えてんのかは知らないし、どういう動機でこんなことしてるのかも結局分かんないままだけど)」


 やよいがを悠真は知らない。彼の協力者たる令嬢・七海ななみ未来みくにはおそらくバレているので、あのお嬢様を経由して悠真本人に話が伝わった可能性もゼロではないが……もしそうだとしたら、悠真のほうからなにかしらのリアクションがあってもいいはずだ。


「(たとえば今回の件だって、小野アイツが本気で桃華にバレずに力を貸したいなら直接情報を伝えるより、私から桃華に教えたほうがよかったはずだもんね)」


 単にそこまでやよいを信用しきれなかっただけ、という考え方も出来るが、それでも秘密がバレたことを知ったなら、その時点で「桃華には言わないでくれ」と口止めくらいしてくるだろう。でなければ、あれほど暗躍に徹してきた意味がなくなる。


「(……でも、なんで小野アイツ、桃華にバレたくないんだろ)」


 それも疑問点のひとつだった。

 悠真が桃華の恋愛に手を貸す理由の一端は、彼が桃華に対して異性としての好意をいだいていたからだろう。その好意が過去形なのか現在進行形なのかは不明だが、「好意を抱いたことがある」という点については明言こそけられたものの、悠真本人も認めていた。


 しかし、だからこその疑問。

 桃華の恋を叶えようとしている時点で、悠真は桃華の恋人になることを諦めたのだと推定できる。ならばせめて友人として・幼馴染みとして彼女に手を貸し、友愛・親愛を勝ち取るのが次善ではないだろうか。

 彼の暗躍が桃華にバレていないということは、仮にこのまま桃華の初恋が成就したとしても、悠真が彼女から感謝されることはない。好感度が上がることもない。


「(もし小野アイツが堂々と桃華の恋を手伝ってたとしたら、まだ理解出来るんだけど……)」


 その場合、桃華のなかで悠真への好感度や信頼は増していくはず。そして少し生々しい話をするなら、万が一桃華が真太郎しんたろうに振られてしまった際、〝その次の恋愛対象〟に選ばれやすくもなるだろう。ずっとそばで支えてくれていた相手に好意を抱いてしまうというのは、別にあり得ない話でもあるまい。

 あの少年にそこまでの計算が出来るかどうかは別として、「今すぐは無理でも、いつか振り向いてほしいから」という理由で桃華の恋を応援しているというなら、彼の行動にも一応の説明はつく。


 だが、現実の彼が行っているのは〝暗躍〟だ。桃華どころか、やよいにも気付かれないように陰から補助サポートを続けている。だからこそ分からない。彼自身の目的が。彼にとっての利益メリットが。


「うええ、やよいちゃーん、これどうやって切ったらいいと思うー? ……やよいちゃん?」

「…………」


 包丁を片手に四苦八苦する幼馴染みの姿に、やよいは真顔のまま思考する。

 悠真が桃華に手を貸すことに、理由などないのかもしれない。

 目的も利益も、なにもないのかもしれない。

 ただ、桃華のことが好きだから――大切だから、幸せになってほしいだけなのかもしれない。

 幼馴染みの笑顔を、守りたいだけなのかもしれない。

 その気持ちは理解できる。だって、やよいもそうだから。


「……むくわれないな」

「?」


 愚者の少年に向けた呟きをこぼした親友に、なにも知らない少女は小さく首を傾けるだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る