第一〇一編 演技

小野おのっち〜、ももっち〜。店の片付け終わったら、今日はもう上がりな〜」

「うい〜」

「わかりました!」


 金曜の夜。平日はいつも客足が少ない〝甘色あまいろ〟の閉店業務を終えた俺と桃華ももかは、店長からの退勤指示に従って事務所兼ロッカールームへ戻った。PC業務を行っている店長を横目に喫茶店の制服を脱ぎ去り、帰り支度を整える。

 桃華のほうをちらっと見てみると、彼女は深緑色のエプロンのしわを綺麗に伸ばし、丁寧に畳んでからロッカーに仕舞い込んでいた。偉いなあ、俺なんか適当に丸めて放り込むだけだから、いつもシワシワで店長に注意されているのに。この場合、桃化が几帳面きちょうめんなんだろうか、それとも俺が雑なんだろうか。……たぶん両方だな。


「ん? 悠真、どうかした?」

「! い、いや、別になにも?」


 視線に気づいてきょとんとする幼馴染みから慌てた視線を逸らす。いかんいかん、エプロンの脱着だけとはいえ、女の子の着替えをジロジロ見るなんてデリカシーに欠けている。

 自罰する俺の心情などつゆほども知らず、「じゃあ早く帰ろっ」と微笑ほほえみかけてくれる桃華。今日も今日とてうちの幼馴染みは可愛い。今日はどこかのイケメン野郎もいないので、この可愛さを独り占めしている気分だった。


「あ、二人とも。前々から話してた通り、明日からよろしく頼むぜ?」


 学校指定のかばんを肩に掛け、「お先でーす」と桃華を連れて店の裏口から外へ出ようとした直前、店長がそう言った。


「明日から……? えっ、明日ってなんかありましたっけ?」

「お前は本当にあたしの話を聞いてないな。ちょっと前からずっと言ってただろ、二月の初頭あたまはバレンタインの特別販売があるから忙しくなるって」

「えっ、そんなこと言ってましたっけ?」


 本当に記憶にない。が、隣の桃華を見ると「前に言われたよ?」という顔をしている。マジか。


「まあクリスマスと違って店の前に売り子を立てたりするわけじゃないし、あの時ほど忙しいってことはないけどな。でも今週と来週の土日はかなり忙しくなるから、くれぐれも遅刻したりサボったりするんじゃないぞ。特に、クリスマス当日に欠勤した誰かさん?」

「うっ……わ、わかってるっスよ」


 クリスマスイヴに真冬の川に自ら飛び込んで風邪を引き、一二月二五日のバイトを欠勤したことを持ち出されて呻く俺。アレは完全なる自業自得であり、つまりなにも言い返せる要素がなかった。

 もちろん店長含め〝甘色あまいろ〟の従業員は俺がイヴの日になにをしていたなんて知らないので、普通に体調を崩して休んだものと信じている。よって、時折こんなふうに軽くいじられる程度で済んでいるわけだが……それが余計に罪悪感を助長していた。せめてバレンタインくらいはしっかり働いて、罪滅ぼししないとな。



「そんじゃ、お疲れさん」という店長の声に送り出され、俺は桃華と連れたって家までの道のりを歩く。俺たちは同じ住宅街に住んでいるので、当然帰り道も一緒だ。桃華が〝甘色あまいろ〟で働き始めてからというもの、こうして二人で歩く機会が増えて、俺としては嬉しい限りである。


「店長さん、すっごく張り切ってるよね。お店に貼ってある宣伝ポスターのチョコレートケーキもめちゃくちゃ美味しそうだったし、たくさんお客さん来てくれるといいなあ」

「えっ? そんなポスター、貼ってたっけ?」

「結構前から貼ってあったよ!? もう、悠真ったら……お仕事なんだから、もっと真面目にやらなきゃダメだよ?」

「すまんすまん」


 ぷくっと頬を膨らませた桃華に苦笑する。彼女や久世くせは優等生なので、こうして俺の不真面目な部分を指摘されてしまいがちだ。自分では上手く手を抜いているつもりでも、彼らの目はなかなかあざむけないらしい。なんとも頼もしい後輩バイトたちである。


「……でも、もうすぐバレンタインかー」


 タイミングを見計らって、俺は我ながらわざとらしい台詞を口にした。


「桃華は、誰かにチョコ渡したりすんのか?」

「えっ。わ、わたしっ?」


 動揺し、少し裏返った桃華の声には気付かぬフリをしながら、俺は「おー」と適当ぶった相槌を打つ。は単なる雑談だと言い聞かせるように。あるいは、言い訳をするように。


「中学のときも、女子はこういう行事になると張り切ってたもんな。『友チョコ』とか『家族ファミチョコ』とかさ。桃華だって、やっぱり金山かねやまとかに渡したりするんだろ?」

「あ、あー……うん、そうだね、やよいちゃんにももちろん渡すよ」

「(やよいちゃん、な)」


 彼女は昔から、嘘や隠しごとが下手な幼馴染みだ。泳いだ目と淡く染まった頰が、今彼女が誰のことを考えているのかを明白にしてしまっている。


「そ、そういう悠真は? 女の子からバレンタインチョコ、貰えそうなの?」

「ぐっ……き、聞かないでくれ。そんなポンポンチョコを貰えるような男なら、運動部のリア充どもにマウント取られたりしてねえよ」

「???」


 先日の一組での出来事を思い出して苦い顔をする俺に、桃華は不思議そうに小首をかしげた。


「やっぱり男の子って、女の子からチョコ貰えたら嬉しいものなの?」

「そりゃまあ、大抵の男子はそうなんじゃねえの。というか男子じゃなくたって、他人ひとからの好意って普通に嬉しいだろ?」

「そうだね。……そっか」


 答えを聞いて、桃華がなにやら考える仕草をみせる。いい話の流れ――狙い通りの展開だ。


「あー、でもそういや、久世のヤツは甘いものあんまり好きじゃないらしいから、バレンタインにチョコ貰ってもあんまり嬉しがらないかもしれねえな」

「えっ。く、久世くんって甘いものダメなんだ?」

「俺も人から聞いたんだけどな。でも久世アイツ、いつもコーヒーはブラックだし、〝甘色あまいろ〟の試食以外で甘いもん食べてるとこあんま見ないから、たぶん本当っぽいぞ」

「たしかに、言われてみれば……」


 さらに深く考え込む桃華。大方おおかた、「じゃあ久世くんへのバレンタインプレゼントはチョコレートじゃないほうがいいかな……」とか考えているのだろう。本当に分かりやすい子だ。

 俺はやはりそれに気付かぬフリをして、代わりに「そういえば」と、ちょうど今思い出したかのように続ける。


「ミクペディア……じゃなくて七海ななみが言ってたんだけど、バレンタインのチョコって片想いの相手に贈るべきモンじゃないらしいな」

「!? ど、どうして?」

「えーっと、チョコは友だちとかに対して贈るべきで、好きな人にはマカロンとかキャンディーを贈ったほうが適切……みたいな話だった気がする」


 記憶力が悪いせいでかなり雑な説明になってしまった。が、大体の意味は合っているはずなのでよしとする。してくれ。


「好きな人……マカロン、キャンディー……」


 おそらくは無意識下の復唱。それを確認した俺は、自分が最低限

 果たすべき役割を全うできたことに安堵し、そして同時に瞳を伏せる。


「(初めてのバレンタイン……上手くいくといいな、桃華)」


 心からの願いに、胸の奥だけがジクジクうずく。



 そして、あっというにバレンタインはやって来る。

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