第八二編 不審者に注意!

「(……帰るか。英語の宿題もやらねえとだし)」


 沈みこんだ心でそう呟き、俺は公園のブランコから立ち上がった。するべきことがあるにも関わらずこんなところで時間を無為に過ごすなんて、会社をリストラされたサラリーマンか、俺は。

 元々なにか目的があって外を歩いていたわけでもない。さっさと家に戻ることにしよう――と、帰り道のほうに目を向けると。


「いったい誰なのよ、あの女の人……!? 私が留学してるあいだにいろいろ変わりすぎだし……! ああもうっ、こんなことならやっぱりずっと日本にいるべきだったわ……!」


「(…………。……ナンダアレ)」


 俺の視界のはし。電柱の陰に身を寄せ、ブツブツと独り言をこぼしながら、手帳らしきものになにかを書き殴っている謎の人物が目に入った。

 身長はあまり高くない、というか低い。見たところ俺はもちろん、桃華ももかよりも一回りくらい小柄だろうか。特徴的な丸型のサングラスに、病院の先生がけているようなデカいマスク、目深まぶかに被った馬穴帽バケットハットきわめつけは、全身をすっぽりおおっているダークグレーのロングコート。


「(あ……あやしい……!)」


 見知らぬ他人にもちいるべき表現ではないが、それにしたって怪しい。怪しすぎる。それはもう、「怪しい」を絵に描いたかのような怪しさ。怪しすぎるあまりひと目見た瞬間から警戒出来てしまうため、一周回って安心感を覚えるほどである。あれこそ一〇〇点満点、不審者のあるべき姿だろう。…………。


 いや、不審者に「あるべき姿」もクソもねえよ。


「(通報レベルの怪しさだけど……下手に関わらないほうがいいな)」


 触らぬ神にたたりなし、そう判断した俺は不審者から目をらしてさっさと歩き去ることにした。格好から行動まで怪しさ一〇〇点満点とはいえ、現時点で悪事を働いているわけでもない。どのみちおまわりさんに見つかったら職質不可避だろうし、束の間の自由を満喫させてやるとしよう。


「あ、ちょっと、そこの貴方あなた! 待ってください!」

「!?」


 なんと ふしんしゃ が はなしかけて きた!

 驚きのあまり、思わず脳内にRPGの敵遭遇エンカウント演出が流れる俺。それと同時に急激に膨らむ警戒心と恐怖心。だってそうだろう、まさか不審者むこう側から接触してくるだなんて夢にも思わなかった。やべえ、超こええ!?


「あ、心配しないでください。怪しい者じゃありませんから」

「(無茶言うな)」


 鏡を見てみろ。お前が怪しい者じゃないなら、この世に「不審者」なんて概念は生まれてねえんだよ。

 今にもコートの袖口からスタンガンが飛び出すのではないかと本気で身構える俺に対し、不審者は構わず話を続ける。


「貴方、さっきここであの女の子と話していましたよね!?」

「あ、『あの女の子』……?」

「ほら、こう……肩くらいの髪の長さで、安っぽいコートを着てて、悩みなんてなさそうな顔でぽわぽわ笑ってた――」

「(もしかしなくても桃華のことか……?)」


 えらい言われようなんだが。髪の長さとコートの高級感についてはともかく、「悩みなんてなさそうな顔」て。仮にも好きな女の子のことを悪く言われた気がして、俺はムッと唇を曲げる。たしかに桃華は楽観的な側面もあるが、それはただポジティブというだけで、考えなしに生きているわけではなかろう。


「(いや、待て……それよりも、なんで桃華のことを……? それに、『さっきここで話していましたよね』って……)」


 まるで俺と桃華が話す様子を見ていたかのような言い方だ。

 加えて、マスクで多少分かりづらいものの不審者コイツの声の高さ、そして背格好――女性か。今の、桃華に対する妙に攻撃的な物言いといい……ああ、もう大体察しはついた。


「彼女、と随分仲良さげでしたけど! いったいどういう関係なんですか!? 答えてください!」


 この不審者、おそらく久世くせのファンかなにかだ。そんで久世アイツの後をコッソリ追うなりしてきたところ、なにやら彼と親しげに話す桃華おんながいたので気が気でない、と。


「(あの野郎、モテるヤツだとは知ってたけど、冬休み中にガチの尾行ストーキングされるほどかよ)」


 言うまでもなく、ストーカー行為は立派な犯罪である。まあ久世が単品でストーキング被害に遭うぶんには別にどうだっていいのだが……桃華が絡むというなら話が変わる。


「(見るからに、桃華に対抗意識を燃やしてるみたいだし……)」


「女の嫉妬はこわい」とよく耳にする。この不審者が早まって、桃華に害をなそうとする可能性も決してゼロでない。

 であれば、前言撤回だ。たとえ一パーセントの確率であろうと、あの子のことを傷付けるかもしれないというのなら、俺はもはやこの不審者の存在を看過できない。


 俺が、桃華を守らなければ。


「ちょっと、私の話聞いてます!? 早く答えてくださ――えっ?」


 ガシッ、と。

 黙り込む俺に向かって伸ばされた不審者の左手首を掴み返すと、女の喉から困惑の声が上がった。


「ちょっ……な、なんですか急に、離してくださいっ!?」

「……来い」

「はあっ!?」

「いいから一緒に来いッ! 桃華アイツには絶対手出しさせねえッ! させてたまるかッ!」

「なんの話よっ!? やめてください、人を呼びますよっ!?」

「おまわりさーんッ!! おまわりさァーーーんッッッ!!」

「って、なんで貴方が人を呼んでるんですかっ! どう考えても立場が逆でしょっ!?」


 空に向かって全力で叫ぶ俺に、慌てた様子の女がツッコミをれた。


「うるせえ、この不審者がッ!? 今すぐ警察に突き出してやるからな、覚悟しやがれッ!!」

「だからなんで貴方が被害者面そっちなのよっ!? 不審者はそっちでしょっ!? 私が可愛いからって乱暴するつもりなんでしょっ!? この変態っ! 痴漢っ!」

「んなッ!? 誰がテメェみたいなクソストーカーにンなことするかッ!?」

「なあっ!? 誰がクソストーカーよっ!? もう許さないっ――」


 ギリッと心外そうに歯を鳴らすクソストーカー女。しかしいくら俺が殴り合いのひとつもしたことがない貧弱男子とはいえ、女相手に力負けすることなどあり得まい。

 このまま組み合っていれば、放っておいてもそのうち人が集まってくるだろう。そうしたら詳しい事情を説明し、警察を呼んでもらえばいい。状況だけ見れば男が女を拘束しているヤバい絵面えづらだが、相手は怪しさ一〇〇点満点の不審者。流石に理解してもらえるはずだ。

 詰みチェックメイトだと、俺が確信したその時だった。


「やりなさい、服部はっとりっ!」

「は? なに言っ――えッ!?」


 突如、右手に強烈な痛みが走った。そして反射的に拘束を解除してしまった俺のふところに、ストーカー女が間髪かんぱつれず飛び込んできて――


「どおりゃああああああああああッ!!」

「ぐえええええッ!?」


 まさかの一本背負い。一瞬にして視界が二七〇度回転し、強烈な勢いで地面に叩きつけられた俺は、ヒーローコミックの雑魚敵のごとき悲鳴を上げながらその場に転がった。肺からすべての空気が吐き出され、背中を中心に激痛が走り抜ける。


「(こ、この女……いったい何……者……!?)」


 かすみゆく視界、朦朧もうろうとする意識の中で、俺はストーカー女の姿を足下から見上げる。


「お嬢様、いくらなんでもやり過ぎでは? 拘束を外しさえすれば良かったのに、なにも投げ飛ばさなくたって……」

「う、うるさいわね、しょうがないでしょっ!? 貞操ていそうの危機だったんだから!?」

「いえ、やり取りを聞いていた限り、このかたにそんなつもりはなかったかと……はあ、だから言ったじゃないですか。その露骨に怪しい不審者みたいな格好をしてると無用な誤解トラブルまねくと」

「誰が不審者よ!? もういいから行くわよ! こんなところ、誰かに見られでもしたら厄介だわ!」

「それ、完全に不審者の物言いなんですが……このかたはどうなさいますか?」

「そこのベンチにでも寝かせておきなさい!」


 遠くのほうで、ストーカー女が誰かと話す声が聞こえた気がする。しかし俺の記憶はここでプッツリと途絶えており、その内容を聞き取ることは叶わず。


 三〇分後、いつのにか公園のベンチで眠っていた俺が目覚めた時には、不審者の影も綺麗さっぱり消え去っていた。

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