第八一編 ブランコ

 聖夜を乗り切り、大晦日おおみそかを越して、新しい一年がやって来た。

 といっても、俺の成すべきことはなにも変わらない。大切な幼馴染み・桐山きりやま桃華ももかの初恋を叶える――可愛くて優しいあの子には、幸せになってほしいから。

 そのためにも、俺には休息している暇などなかった。なにせあの子が恋しているのは学園でもトップの女子人気を誇るイケメン野郎。桃華に彼をには、間断かんだんなくアタックし続けてもらう必要がある。そしてその土台を構築し、陰ながら支援サポートするのが脇役たる俺の役目。

 だから俺は考え続けた。大晦日だろうが三が日だろうが関係ない。なにか一つでも桃華と久世の距離を縮められる方法はないかと考え、策を練り続けていたのだ。

 そうして迎えた本日・一月九日、つまり冬休み最後の日。


「(なんっっっっっにも進展してねえッ!!!!)」


 俺は心の中で絶叫していた。現在地ここが近所の住宅街でなければ、両腕で頭をかかえながら天をあおいでいたに違いない。

 新年が明けて一週間余日。俺はなにひとつ行動を起こしていなかった。ただ家族とのんびり年を越し、近くの神社まで初詣はつもうでに行き、親戚の集まりに顔を出し、進学校特有のアホみたいな量の課題に追われていただけ。


 もちろんそのあいだ、桃華のことを考え続けていたというのも嘘ではない。「桃華からあけおめメール届かないかな〜」とか、「近所だし桃華もこの神社に初詣来てないかな〜」とか、女々めめしい期待が常に思考の隅っこにあったりもした。ちなみに初詣でバッタリ遭遇することはなかったが、あけおめメールは届いた。嬉しかった。


「(冬休みこそ、桃華に他の女子たちと差をつけさせてやれる絶好のチャンスだったはずなのに……なにをやってんだ、俺は)」


 奥歯を噛み締めつつ、己の不甲斐なさを叱咤しったする。

 冬休み期間中であっても久世くせと交流の可能性がある女子など、彼が所属している演劇部の部員くらいのものだろう。その演劇部に桃華の恋敵ライバルがどれくらいいるのかは分からないが、少なくとも仕事バイトで久世と一緒になる機会が多い桃華が大きく遅れをとるようなことはあるまい。だからこそ、プラスアルファの交流――たとえばどこかへ遊びに行くとか、冬休みの課題を一緒にこなすとか、そういった場をもうけてやれなかったのは大きな痛手いたでなのだ。


「(ああ、クソ……桃華の恋は進展させられねえし、明日からまた学校だし、なのに英語の宿題はまだ終わってねえし……新年早々ツイてねえな)」


 後半の二つに関してはツイてるツイてない以前の問題な気がするが、考えないことにする。要するに、今年の俺は最悪のスタートを切ってしまったということ――


「あれっ、悠真ゆうまだ! どうしたの、そんなところでぼーっとして?」

「!? も、桃華!?」


 吐き出した真っ白いため息が空に吸い込まれていくのをぼんやり見ていたところでバッタリ遭遇したのは、まさかのうちの幼馴染みだった。瞬間、〝今年の俺のツイてる度メーター〟がほぼ最低値から最高値まで跳ね上がる。どうやら今年の俺は最悪どころか最高のスタートを切れてしまったらしい。

 冗談はさておき、「今日も寒いねえ」と言いながら笑顔で歩み寄って来る桃華と挨拶をわす。彼女とは冬休み期間中も〝甘色あまいろ〟で顔を合わせていたとはいえ、突然のことに脳の処理が追いつかない。「お、おぉん……」と鳴き声のような返事をしてしまった自分が恥ずかしい。


「も、桃華こそ、こんなところでなにしてんだ? 今日、たしかバイトのシフト入ってただろ?」

「うん。でも夕方まで暇だったから一人でお散歩してたんだ〜。そしたら近所の小学生たちに『遊んで〜』って言われちゃって、ついさっきまでそこの公園でかくれんぼしてたの」

「(かわいい)」

「そうそう! 田中さんとこのヒロくんがすっごい大きくなっててビックリしちゃった! 佐藤さんちのエミちゃんも、前はもっとヤンチャだったのにめちゃくちゃ女の子らしくなってたし! いやあ、時間がつのって早いよねえ」

「(誰か分からない)」


 俺は年下の子が苦手なので、近所に住んでいる小学生の名前などマジで一人も分からないのだが、よく覚えられるものだ。

 そして桃華がゆびさした先にあったのは小さな児童公園。俺たちもガキの頃によく遊びに来た場所だった。しかし、流石に高校生にもなって公園ここでかくれんぼに興じる度胸は俺にはない。いくら子どもからせがまれたとはいえ、付き合ってあげる桃華はやはり優しいと思う。


「昔、私たちもこの公園でよく遊んだよね」

「!」


 公園内の小さな滑り台を見つめながら、桃華が微笑む。


「だから、私にとってここは思い出の場所なんだ。悠真とかやよいちゃんとか、いろんな人と一緒に遊んで、笑った場所ところだから」

「…………そうか」

「うん!」


 微笑み返した俺に、振り向いた桃華が大きく頷いた。

 俺の記憶にも、たしかに刻み込まれている。公園を背に立つ彼女の姿に、まだ幼い頃の彼女きおくが重なる。


 砂場では協力して大きな山を作ったことがある。

 ブランコでどちらが高くまでげるか競ったりもした。

 鬼ごっこで誰も捕まえられなかった鈍足どんそくの俺を見かね、わざと捕まってくれたことだってある。

 スカートのまま逆上さかあがりをしようとする彼女を、慌てて他の男子の目から守ろうとしたっけ。


 どれも懐かしく、大切な思い出の一欠片。ひとつひとつは小さな記憶に過ぎずとも、そこにいる彼女はいつも明るい笑顔で、そんな彼女に俺はかれた。

 桃華のことを好きになった理由なんて覚えていない。それを疑問に思ったこともない。明るく、優しく、幸せそうに笑う彼女の姿に、俺は何度も救われてきたから。


 その笑顔は、今も当時となんら変わらないように映るけれど。


「やあ、そこにいるのは小野おのくんと桐山きりやまさんじゃないか」

「! 久世くん!」


 現れたのはイケメン野郎こと久世真太郎しんたろう――桃華の想い人。相も変わらず気に食わない、爽やかな笑みを浮かべる彼に気づいた途端、桃華の頬が分かりやすく紅潮する。

 その横顔は、過去ガキの俺が見たこともないほど幸せそうに見えた。


「……なんで久世おまえがこんなところにいるんだよ。明日から学校だぞ、家で英語の宿題やってろよ」

「冬休みの課題のことなら初日に全部終わらせたよ? 僕は今からバイトに向かうところさ」

「つーか今どこから歩いて来たんだよ。久世おまえ、全然こっちのほうじゃねえだろ」

「うん、実は一度〝甘色あまいろ〟の近くまで行ったんだけれどね。大きな荷物をかかえたおばあさんがいたから、ご自宅まで運ぶお手伝いをしてきたんだ」

「テンプレみたいなイケメンエピソードやめろ」


 しかもテンプレ通りであれば、お婆さんを送り届ける代わりに遅刻したりするもんじゃないのか。なんでイケメン行動ムーヴをした上、普通にバイトにもに合いそうなんだよ。欲張りすぎだろ。


「それより、桐山さんも今日はシフトにはいっていたはずだよね? 時間、大丈夫なのかい?」

「あ、ほんとだ。もうそろそろ行かなくちゃ」

「もう用意が出来てるなら、せっかくだし一緒に行こうか?」

「う、うん!」


 ――幸せそうだ。

 繰り返し、そう感じる。


「小野くんも、もし時間があるなら一緒に店まで歩かないかい?」

「そうだよ、悠真も行こっ! たまには三人でお話ししようよ!」

「……いや、俺はいい」


 俺は桃華の恋愛劇における脇役。

 久世ヒーロー桃華ヒロインが出会ったら、さっさと舞台袖に引っ込むのが役目なんだ。


「実はまだ、英語の宿題が終わってなくてさ」

「さっき僕にあんなことを言ってたのに!?」

「そっかあ、じゃあ頑張って終わらせないとだね。頑張ってね、悠真!」

「おう。お前らも仕事バイト、頑張れよ」

「うん!」

「ありがとう、小野くん。それじゃあ、また明日学校で」


 適当に手を挙げて返すと、桃華と久世は連れたって歩いていった。


「…………」


 二人の話す声が聞こえなくなるまでその場に立ち尽くしていた俺は、やがて意味もなく人気ひとけのない児童公園へと足を踏み入れる。ベンチ代わりにブランコへ腰掛けてみると、昔よりもずっと小さく感じられた。


「変わっちまったんだな……俺も、桃華も」


 キィ、ときしむ音が耳朶じだを打つ。

 あの頃は、なにも気にならなかったはずなのに。

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