第二章

幕間⑤ 一途

七海ななみグループ〟。商業、金融業、鉄工業、造船業など多種多様な事業を手掛け、国内はもちろん、世界でも指折りの規模と売上を誇る巨大企業グループである。

 傘下の子会社数は実に三〇〇以上、総従業員数は一〇〇万人超。前代表の時代に本拠を米国ニューヨークへ移してからも右肩上がりの業績を叩き出し続け、某国某誌にて『King of the seven seas(七つの海の王者)』などとうたわれていたことは記憶に新しい。

 そんな現状に対し、七海グループ現代表・七海幸三郎こうざぶろう氏――すなわち私の父親パパは、こう語る。


『いいかい、美紗みさキミたちは社長や代表になんてなるんじゃないよ。本当に……本ッッッ当に、大変だからね』


 短期留学のついでに顔を見せに行った米国むこうの本邸で、彼は遠いをしながらそう言った。言われなくたって私もお姉ちゃんもパパの後をぐ気なんてさらさらないのだけれど、まさかあっちから言ってくるとは思わなかった。一緒に話を聞いていた従者の服部はっとりも、あとで「幸三郎様あっちから言ってくるんですね……」と呟いていた。

 でもパパの言うとおり、社長になんてなるものではないと思う。

 もちろん地位や名誉、財力や権力を欲する人が多いことは理解している。しかしその代償に自由や時間を制限され、「責任」という名の重荷を背負うことになることを忘れてはならない。


 そう、大きな力には必ず代償が存在する。それがたとえ、生まれ持ってしまった力だとしても。

 であるならば、頭脳、身体能力、家柄、美貌――この世に生をさずかった瞬間からを持っていた彼女が対価を支払うことになるのは必定ひつじょうだったのかもしれない。


 わたしはもう長らく、他人だれかと笑いあう彼女あねの姿を見ていない。あれほど人を愛し、人に愛されてきたはずなのに。

 それでも、私は信じている。いつかまた、お姉ちゃんが昔のように笑える日が訪れることを。


 だって私のヒーローが、そう約束してくれたんだから。



 ★



「お待ちしておりました、美紗お嬢様」

「ただいま、本郷ほんごう


 新年、一月一日。短期留学を終えて空港に降り立った私を出迎えてくれたのは、スーツ姿の長身従者・本郷琥珀こはくだった。うやうやしく礼をとっていた彼女はやがて頭を上げ、私の無事を喜ぶかのようにそっと微笑んでみせる。


「長旅でお疲れでしょう。お車の用意が出来ておりますので、どうぞこちらへ」

「ありがと。本当に疲れたわ、短期でも留学なんてするものじゃないね。しかもパパのとこに顔出しちゃったせいで、帰ってくるのが三日も遅れちゃったし」

「そうおっしゃらずに。こういった機会でもなければ、直接お会いすることは叶わないでしょう。幸三郎様はご多忙を極められていますから」

「普段からしょっちゅうビデオ通話してるじゃない。というかさっきもママから掛かってきたよ、『早くも「未来と美紗に会いたい」って発作ほっさ起こしてる』って」

愛妻家あいさいかでも愛娘家あいじょうかでもあられるかたですからね」


 雇い主うちのパパの性格をよく知る従者は苦笑しつつ言った。創作物フィクションなんかだと大企業の社長は「仕事一辺倒で家族をかえりみない」みたいなキャラクターが多いと思うけれど、パパはむしろその対極に位置する。顧みないのも良くないだろうが、顧みすぎるというのもそれはそれで面倒くさい。現状いまのように、国境で物理的に分断されているくらいがちょうどいい距離感だと思う。


 話しているうちに貴賓きひん室から車寄せまで移動した私は、本郷がひらいてくれたドアから車に乗り込もうとして――目を丸くする。


「あれ? お、お姉ちゃんっ!?」

「――おかえりなさい、美紗」


 無人だと思っていた車内に腰掛けて本を読んでいたのは、私の実姉・七海未来みくわたしでさえ思わず見惚みとれてしまいそうになる美貌の姉は、驚く私にそう返しつつペラッとページをめくる。


「珍しいね、お姉ちゃんがわざわざ迎えに来てくれるなんて。どうしたの?」

「大した理由じゃないわ。別邸うちはお祖母様への来客で騒がしいから、ここのほうが静かに読書出来るというだけ」

「あー、そっか。元日がんじつだもんね、今日」


 私が留学に行っているあいだになにかあったのかと思ったが、なんら変わらず平常運転のお姉ちゃんだった。

 ちなみにうちのおばあちゃんは七海グループの相談役。本人は「とっくに隠居した身」と言っているがその人望は極めて厚く、毎年この季節になるとグループの重鎮じゅうちんたちが我先われさきにと新年の挨拶にやって来るのだ。

 もっとも、厳密に言えば彼らが通されるのは別邸やしきの敷地内にある講堂のほうだし、私たち姉妹は業界から切り離されているので顔を出す必要性もない。よって、このお姉ちゃんの回避行動は大袈裟おおげさなものだと言えよう。


 彼女の〝他人ひと嫌い〟は、少々行き過ぎているから。


「――そういえば美紗。服部はどうしたの?」

「えっ? ああ、あの子なら帰国とか諸々もろもろの手続きがあるから任せて置いてきたよ。なんかパパがわたしたちあてにクリスマスプレゼントを大量に用意してたらしくて、『持ち帰りきれないからトラックの手配が要る』って嘆いてた」

「迷惑な話ね」

「ママの知り合いのデザイナーさんが作ってくれたドレスとかアクセサリーもいっぱいあるんだって。半分はお姉ちゃん用らしいんだけど……要る?」

「要らないわ。どうせ無闇むやみ華美かびな衣装に決まっているもの。吾妻あづま呉服ごふく屋にでも送りつけておきなさい」

「言うと思った。まあ服部なら勝手にやってくれてると思うけどね。あ、そうだ。服部といえば、米国むこうに行く前に気になる話を聞いたんだけどさ!」

「?」


 走り出したリムジンの車内、私はずいっとお姉ちゃんのほうへ身を乗り出す。


真太郎しんたろうさんがアルバイトを始めたって、本当!? しかも、お姉ちゃんの行きつけの喫茶店おみせで!」

「……ええ、そうね」

「やっぱり本当なんだ!? キャーッ、素敵っ! エプロン姿の真太郎さん、絶対に見に行かなくっちゃ!」

「相変わらず一途いちずなものね、貴女も」


 無表情ながらも呆れた様子のお姉ちゃんに、私は「もちろんっ!」と即答する。

 久世くせ真太郎さん。私たち姉妹の幼馴染みであり、そして私の初恋の人。

 格好良くて優しい彼に、私は幼い頃からずっと想いを寄せ続けている。


「(それに……真太郎さんは、約束してくれたもの)」


 よみがえるのは数年前の記憶。


『心配しないで、美紗。僕はいつか必ず、未来みくの笑顔を取り戻してみせるから』


 いつからか笑わなくなってしまったお姉ちゃんを救い出すと言ってくれた、私のヒーロー。

 彼がそういう人だから、私もずっと一途に――


「(あれ? 『貴女』って……?)」


 ふと引っ掛かり、私の話には興味なさげに読書を続けている姉を見やる。

 まるで、私の他にもを知っているかのような口振りだった。

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