第八〇編 最初の笑顔
美しい少女が、静かに自分の携帯電話を置いた。四方、
「――……」
やがて、いつものように本を読み始めた彼女だったが、どこか集中しきれない。細くしなやかな脚を組んだり、ソファの肘掛けに腕をのせてみたり、自分で
そして少女はもう一度、テーブル上の携帯電話へと意識を向ける。
未来は日常生活において携帯電話をほとんど使わない。恋人はおろか、友人のひとりも作ろうとしない彼女にとっては無用の長物もいいところだ。連絡を取り合うような相手と言えば妹か祖母くらいのものであり、それすらも従者を介して行う場合が大半を
妹との直通連絡用にインストールしたメッセージアプリも、トーク履歴は妹だけ。アカウントに登録している相手もやはり家の関係者だけ。
だけ、だった。
――私の番号を入れておいたから、このメッセージアカウントとあわせて登録しておきなさい――
愚者の少年へ送ったメッセージを思い返す。彼が失くしてしまった携帯電話に勝手に登録しておいた、
なにか意味があっての行動ではない。彼と連絡先を交換する必要性などなかった。むしろ
だからあの行動は少女にとって、完全な
『いらっしゃいませ。あ、
それは今朝、気まぐれに訪れた〝
未来は別に、悠真の欠勤連絡になど興味もなかった。ただ、特に理由はないが
「お嬢様、宜しいでしょうか?」
「――ええ、入りなさい」
本の内容が脳を素通りしていくなか、三回鳴ったノックの音に未来が返事をすると、すぐに長身の従者・本郷
「失礼致します。実はお嬢様にお渡ししたいものがございまして」
「――なにかしら」
「ええ、実は――」
ちょうどその時、なにかを言いかけた本郷の声に重なる形で未来の携帯電話が振動した。即座に発言を控える優秀な従者に身振りひとつで断りを入れ、少女は端末の画面を点灯させる。
「――これは……」
メッセージアプリからの受信通知。差出人は例の少年。ここまでは
「…………」
それは、覚えのある三つの名前が刻まれた謎のマグカップを手に持ち、三人で自撮りをしている〝
「…………」
思うことはいくつかあった。どうして悠真の部屋に彼らがいるのか、どうして半日前よりも若干部屋が片付いているのか、どうしてこんな写真を送りつけてきたのか。しかし、諸々のすべてを差し置いてでもまずは問いたい。
その
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「…………。……本郷、これを見てどう思うかしら」
「はい? おや、
「昨日? ……つまり、小野くんが真冬の川に飛び込んでまで守り抜いたあのプレゼントは」
「はい、このマグカップでございます」
「骨折り損のくたびれ儲けどころではないのだけれど」
こんなもののために悠真は死にかけたのかと思うと、さしもの無関心お嬢様とて
「……というよりも本郷。貴女、昨日あのプレゼントを修復する時に中身を見たはずじゃないの?」
「はい、こちらの『久 世 真 太 郎』と刻まれたマグカップを拝見しました」
「これを見て、なにか思うことはなかったのかしら」
「はい、現役高校生の
「流行っていないわ」
「えっ? しかし、現に小野様たちはお揃いで持っておられるようですし……」
「断じて流行っていないわ」
「そして先ほど申し上げようとした内容と繋がるのですが、どうやら桐山様があのオリジナルマグカップを作られたのは七海グループの末端企業だったらしいのです。そこで私も是非お嬢様に流行の最先端を味わって頂こうと思い、こちらをご用意致しました!」
『七 海 未 来』
「要らないわ」
「そんなッ!?」
謎マグカップシリーズを本気で流行中だと信じているらしい本郷がキラキラした表情で差し出してきたソレを、未来はバッサリと切り捨てた。ショックを受けた様子の従者は「せっかくお嬢様とお揃いにしたのに……」と嘆きながら、ちゃっかり一緒に発注していた『本 郷 琥 珀』のマグカップを悲しそうに撫でる。こんなものが流行らないことくらい、流行に
未来はため息を落としつつ、改めて画面上の写真を見る。
「(文字通り命を
しかし、
悠真は未来の前であまり笑ってみせることがない。ともに談笑するような関係ではないし、苦しそうな表情を見る機会のほうがずっと多いだろう。
だから、これが初めてだ。苦笑でもなければ皮肉でもない、ただの笑顔を浮かべた小野悠真を見るのは。
「(……貴方は、そんなふうに笑うのね)」
気持ちは理解出来ない。
在り方は肯定出来ない。
ただ、その笑顔は少しだけ――
「お嬢様?」
「――なんでもないわ」
これが、彼らの物語における最初のクリスマス。
この聖夜はきっかけに過ぎない。
恋愛劇は、ここから加速していく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます