第八三編 憂鬱な新学期

 二週間強の冬休み期間が明け、憂鬱な新学期が始まった。

 初日は休み明け恒例の始業式。校長のどうでもいい長話を聞き、担任から直近の簡単な予定表スケジュールの説明を受け、最後に冬休みの課題を提出して終わりだ。

 なお結局英語の課題を終わらせられずじまいだった俺は、「もうすぐ二年生になるという自覚が足りない」だの「来年度は受験生にとっての天王山てんのうざんだ」だのと、新学期早々ありがたーいお説教を頂戴ちょうだいするハメになった。


「ったく、なにが天王山だ、その理屈なら今はまだ一年生なんだから別にいいじゃねえか……というか二週間しか休みがないのに課題が多過ぎンだよ……山篭やまごもりの修行僧か、俺は」

「――さっきからブツブツと五月蝿うるさいのだけれど」


 そして始業式の翌日。早くも通常授業がスタートし、長期休暇に甘やかされた脳みそを酷使しながらも午前中の授業を乗り越え、ようやく訪れた昼休みの時間。

 俺が焼きそばパンとレモンティーでエネルギーを補給しつつ文句を垂れ流していると、清流のごとんだ声音こわねでクレームがはいった。隣のベンチに腰掛けて本をひらいているお嬢様・七海ななみ未来みくだ。


「学生の本分は勉強でしょう。他人同士の恋愛にうつつを抜かして本分それおろそかにするだなんて、愚の骨頂よ。そもそもあの程度の課題、どこに苦戦する要素があるというの?」

「うるせえな、成績学年一位おまえごときには分かんねえよ、この次元レベルの話は。成績下位者おれとお前じゃ立ってるステージが違うんだ。お前の目には大したことなく映る課題も、俺にとっては強大な〝試練〟――お前よりも遥か低みにいる俺は、ずっと多くの苦難・困難に立ち向かいながら生きてるってことさ」

「…………」

「ねえガン無視しないで? 俺めっちゃ頑張って喋ってるよ?」


 お嬢様のくせに紙パックのミルクティーなんて飲んでいる彼女は、格好をつけた言い回しをする俺を完全無視スルーして読書を続ける。相手にするのが面倒だったんだろうが、相槌あいづちくらい打ってくれよ。せめてこっちを見ろ。一切興味なさそうにページめくってるんじゃないよ。

「おーい」と、七海の顔と本のあいだでヒラヒラ手を動かすと、彼女は鬱陶うっとうしそうに俺の手をはたいた。それこそわずらわしいハエを払うかのように。俺は虫ケラかコラ。


「……まさかとは思うけれど貴方、また〝彼女〟のためになにかしていたの?」

「え? いや、トクベツそういうわけじゃねえけど」


 無表情のままこちらを一瞥いちべつしてくる七海に、俺は首を左右に振って返す。

〝彼女〟というのは桃華ももかのことだろう。約二週間前、俺が彼女へクリスマスプレゼントを届けるために死にかけたことをよく知るお嬢様は、どことなく懐疑的かいぎてきな目をしている……ような気がしなくもない。


「……そう。けれど、それなら尚更課題に苦戦する意味が分からないわ。貴方はもう少し計画的に物事を進める癖を身に付けるべきよ」

「俺なりに計画立ててやってたっつーの。ただ年末年始は急に親戚の集まりが入ったり、バイトのシフトが入ったり、なんかイマイチ勉強する気にならなかったりして、計画通りに課題を進められなかっただけで」

「最後の一つは貴方次第じゃない」

「それでも、ホントだったら最終日に全部終わらせられたはずだったんだよ。なのに一昨日おととい、なんか変な女に絡まれてさ」

「変な女?」


 焼きそばパンを食い終えた俺は、一昨日の夕方にあった出来事を七海に話して聞かせた。久世くせのストーカーにして、明らかに桃華ももかを敵視していたあの不審者のことを。

 あれからというもの、背負い投げを綺麗に決められた俺は背中に残るにぶい痛みに悩まされることとなった。激痛とまではいかなくともジンジン響いてくる感覚が不快で、ただでさえ苦手な英語の宿題をこなす気になどなれなかった。つまり、俺がお説教を食らった原因はあの不審者にあるといっても過言ではない。


「それは単なる牽強付会けんきょうふかいかこぐさでしょうけれど」


 俺の正当な言い分を一蹴し、お嬢様は続けた。


「――貴方も相変わらず愚かなひとね」


 本をひざの上に置いた彼女は、今度こそ呆れたようなをこちらへ向ける。


「ストーカー気質の人間を相手に、力尽ちからずくで問題を解決しようとするのは悪手あくしゅよ。その手の人間は、目的のためであれば傾向が強い。その女性が凶器ナイフでも隠し持っていたら、『背中が痛い』では済まなかったかもしれないわ」

「うっ……」


 たしかにその通りだ。咄嗟とっさの判断だったとはいえ、相手によっては狂気が、もとい凶器が飛び出してきたっておかしくなかった。クリスマスの時同様、軽率な行動であったことは否定出来ない。反省だ。


「……だけど」


 瞳を伏せつつ、俺は言う。


「『守らなきゃ』って……そう思ったんだ」


 あの子を。

 主役ヒーローにはなれなくても、脇役なりに桃華ヒロインを守らなければと。


「…………そういうところが、あやういと言っているのよ」

「えっ?」

「――なんでもないわ。ただ、『守る』というならやり方が違うでしょう? 結果を論ずるとすれば貴方の行動は相手ストーカーを不必要に刺激した上に反撃を受けて気絶させられ、なんの情報も得られないまま逃がしただけよ。一度つかまりかけたとなれば、今後は相手も警戒しながら行動する。要するに、貴方のせいでそのストーカーを確保する難易度は大幅に上がってしまった。被害者の立場からすれば有難ありがた迷惑――いいえ、単なる迷惑ね」

「言いすぎだろ!」


 なにもそこまで言わなくたっていいじゃないか!? 俺なりに桃華のためを思ってやったことなのに!?


以前まえにも言ったけれど、落としどころはわきまえなさい。人間、誰しも全能ではないのよ。一人でなんでも思い通りに出来る人なんてこの世にいないわ」

「わ、分かったっつの……そりゃ俺だって、自分一人でなんでも出来るなんて思ってるわけじゃ――あっ」

「?」


 ふと思い付いて、俺は七海の顔を見る。


「そうだ……俺には無理だったけど、出来る人もいるじゃねえか……!」


 俺を投げ飛ばすどころかお姫様抱っこしてみせた人が、身近なところに。

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