第七四編 自己犠牲イルミネーション

『――報告は以上になります、お嬢様』

「そう。ご苦労様、本郷ほんごう


 電話越しの従者に短くねぎらいの言葉を送り、未来みくは通話終了ボタンを押した。


「ど、どうなったんだ? 桃華ももかのプレゼント、ちゃんとに合ったのか?」


 少女が携帯をテーブルに置くやいなやたずねてくるのはもちろん悠真ゆうまだ。現金なものである。さっきまではロクに受け答えもせず、亡霊のように窓際へ陣取っていたくせに、未来の携帯が着信に震えた途端、打って変わって彼女のすぐ目の前まで飛びついてくるのだから。

 未来は呆れ半分で「落ち着きなさい」と言ってから、従者からの報告を簡潔にまとめて伝えた。


 真冬の川に飛び込んだ愚者の少年と一緒に回収された青色のプレゼントボックスは、とてもではないが贈り物として使える状態ではなかった。少年が間一髪かんいっぱつのところで水没から守り抜いたため中身こそ無事だったものの、包装紙は泥に汚れ、箱も変形してしまっていたからだ。そんなものをプレゼントされて喜ぶ者はまずいないし、贈ろうとする者もいない。

 ゆえに、未来は従者に包装ラッピングの復元を命じた。幸いなことに、くだんのプレゼントに使用されていた包装類はいずれもありふれた市販品であり、クリスマスシーズン真っ只中の今ならどこでも簡単に手に入る。もちろん製造元メーカーまで完全再現するとなれば話は別だが、限りなく元の状態に近付けることは容易だ。特権階級七海グループの力を最大限にもちいてよいとなれば尚更である。


 厄介なのはプレゼントの復元より、そのプレゼントを桐山きりやま桃華にバレることなく彼女のかばんに戻さねばならない、という点だった。結局のところ、桃華が真太郎しんたろうにプレゼントを渡せなければすべては水の泡となる。今回の一件で間違いなく最大の問題であり、実際に悠真は最後まで解決策を見出すことが出来なかった。

 さしもの有能ハイスペック従者であっても難航必至の任務ミッション。ただ幸運だったのは、桃華と真太郎が人で溢れ返る中央公園に足を向けたことだろう。人混みにまぎれて彼らに接触することさえ出来れば、無防備な少女の鞄に小箱ひとつを仕込むことなど容易たやすい。言い換えれば、あとほんの少しでも接触が遅れていた場合、本郷の手にも負えなくなっていたかもしれない。


 そう、本当にギリギリだった。愚者の少年が喫茶店を飛び出すタイミングが少しでも遅れていたら、中洲なかすの枝にとらわれた小箱を回収するために川へ飛び込むことを少しでも躊躇ちゅうちょしていたら。美しい少女が暗闇をいずる少年の存在に気付いていなかったら、他人ひとに無関心であるはずの彼女が即座に従者へ命令を出していなかったら。

 なにかがひとつ欠けていれば成立しなかった。なにかがひとつズレていれば間に合わなかった。ギリギリの綱渡りを制した果てに、桐山桃華のクリスマスデートは笑顔の幕引きを迎えたのである。


「――そうか……よかった」


 未来が本郷からの報告を要約して話し終えると、悠真は張り詰めていた糸が切れたようにヘナヘナとその場へ座り込んだ。そして一級品の絨毯じゅうたんの上で胡座あぐらをかく彼を見下ろしながら、美しい少女は思考する。


「(まったく……見上げた愚直さだわ)」


 そもそもの話をするなら、プレゼントを橋から落としてしまったのは他ならない彼の失態ミスだし、彼がもっと注意深い人間であれば、泥にまみれて凍え死にそうになることもなかっただろう。

 だがもしも悠真がプレゼントを落としていなかったら、彼は最大の問題を自力で解決することになっていた。しくは悠真が川に落としたプレゼントを早々に諦める選択をとっていたら、少女たちが笑顔の幕引きを迎えることもなかった。

 小野悠真が愚者でなければ、この結末に辿り着くことはなかった。


「……ありがとな、七海ななみ

「?」


 不意にそう言った悠真に、未来は静かに目を向ける。


「お前が手を貸してくれなかったら、なにも上手くいかずに空回からまわりして終わってたと思う」


 そして少年は深く――深く、頭を下げた。


「だから、ありがとう。俺のことを助けてくれて」


 ――何度でも言おう。小野悠真は愚者だ。

 たとえ自分の行動に意味がなくても、なんの利益メリットもないと分かっていても、それでも動かずには居られない愚者。

 無意味で、無価値で、無茶で、無謀でも。己の心身にどれほどの〝痛み〟を伴おうとも、器用に生きることなど出来ない男だ。


 しかしそれでも彼は一途いちずで、そして真っ直ぐだ。

 恋慕おもいかたいびつでも、言葉と行動をいつわりはしない。いつだって、自分の心と正直に向かい合っている。

 そんな愚者の姿は、聡明な少女の瞳にどう映っただろうか。


「……鬱陶うっとうしいわ。顔を上げなさい、小野くん」


 どこか突き放すように未来が言う。


「私は貴方を助けた覚えなんてない。言ったはずよ、『私が貴方に協力するのはそれが「対価」だから』だと。今日だってそう、私はあのペアケーキの対価を返しただけ」


 美しい少女は瞑目めいもくし、続けた。


「〝彼女〟の聖夜クリスマスを守り抜いたのは、他でもない貴方自身の努力でしょう」

「…………!」


 未来にそう言われて目を丸くした少年は、やがて唇をきゅっと結び、そして深くうつむく。まるで少女の言葉に激しく胸を打たれたかのように、涙に崩れそうな表情を隠すかのように。

 そんな悠真をその場に置いて、ソファーから立ち上がった未来は先ほどまで彼が夜景を眺めていた窓際へと歩み寄る。そして継ぎ目のない窓ガラスから、人工的な光に満ちた世界を見下ろした。

 あの光の海のどこかで、久世真太郎と桐山桃華は過ごしているのだろうか。

 あの光の海のどこかに、少年が懸命に守り抜こうとした少女の聖夜はあるのだろうか。


「…………」


 くだらない。そんなことは心の底からどうでもいい。未来は他人の恋愛にもクリスマスにも、欠片ほどの興味もなかった。

 しかしそれでも、彼女は思う。


「……綺麗ね、イルミネーション」


 静かにそう呟いた美しい少女に、未だ俯いたままの少年は枯れたような、涙ぐんだような声で小さく答える。


「……そうかよ」

「ええ――本当に、嫌になるくらい」


 未来の言葉に嘘はない。綺麗だった。ただの電飾の光でしかないと分かっていても。

 なぜならあの一粒一粒こそ、彼が守り抜いた光そのもの。

 無謀な行動に身をやつし、胸を締め付ける痛みに耐えながら、彼等の最高のクリスマスのため、陰から懸命に照らされた〝自己犠牲イルミネーション〟。


「――馬鹿ね」


 窓ガラスに反射する少女の表情は、これまで見せたことがないほど穏やかなものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る