幕間④ 夢想

 長い金髪が冬の風になびく。

 そこは入り組んだ小道の先――明るいとは言えない街灯を頼りに何の変哲もない脇道をしばらく進むと唐突に現れる、思い出の高台。

 その場所から遠く見渡せる聖夜の景色を瑠璃色の瞳に映しながら、少女は静かに過去の出来事を振り返る。何物よりもとうとく、何物よりも美しく輝く、あの頃のことを。


『――瑠璃るりっ! なにをしているの、早く行くよっ!』

『ど、どうかお待ちください、お嬢さまっ!? もう外は暗くて、危ないですからっ!?』


 あれは少女たちがいくつの時だっただろうか。皆、まだ一〇歳にもなっていなかったはずだ。初めてこの場所を見つけ出した、あの聖なる夜は。

 別邸やしきの門を飛び出して行く小さな主人の背中に手を伸ばす自分。暮れてしまった太陽よりもずっとまぶしいその笑顔を追いかけ、後から大人たちに叱られてしまうのではないかと、泣きそうになりながら引きめようとしていたことをよく覚えている。


真太郎しんたろうさまっ、お嬢さまをとめてくださいっ!? このままじゃ、またことさまがおいかりに……!?』

『わ、わかった!』

『あははっ! おねえちゃん、まってー!』

『って、こら美紗みさ!? ついていっちゃダメだろう!?』

『ほらみんな、こっちこっち! 今日はこの山で冒険するよっ!』

『お嬢さまあ〜〜〜っ!?』


 引き留めようとはしたが、一度として成功しなかったことも覚えている。


『あ、あうう……お嬢さま、こんな暗くてほそい道に入って大丈夫なのですか……?』

『大丈夫だいじょうぶ、この辺りの地図は全部目を通して覚えてるし……あっ、今あそこに猫がいた! 追いかけてくるっ!』

『お嬢さまあ〜〜〜っ!?』

『ま、待ってよ!? キミしか道が分からないのにキミがいなくなったら、ぼくたちが迷子になっちゃうじゃないか!?』

『おねえちゃんあっち、ネコちゃんあっちにいったよ!』

『だから美紗っ、ついていっちゃダメだってば!?』


 才能と好奇心にあふれる主人に、置いてけぼりを食らったことも覚えている。


『うわあぁぁぁんっ!? こ、ここはどこですかあぁぁぁっ!?』

『お、落ち着くんだ、瑠璃。迷子になったら泣くよりもまず、ぼくたちが今いる場所を調べないと……!』

『だって、こんな明かりの少ないところ見たこともないですよっ!? もうおしまいですっ、きっとわたしたち、このままここでしんじゃうんですっ!?』

『? みんなどうして泣いてるの? わたしたち、迷子になんてなってないわよ』

『ふぇっ……? お、お嬢さま、わたしたちが今どこにいるのか分かるんですか……?』

『当たり前じゃない。言ったでしょ、「この辺りの地図は全部覚えてる」って。そんなことよりほらっ、見てみて! 思った通り、すごく綺麗な景色よ!』

『? ――……!』


 ――散々振り回されたあと、眼前に広がった夜景に言葉を失ったことも覚えている。


『瑠璃、このあいだ「中央公園のイルミネーションを見てみたい」って言ってたでしょ? でもクリスマスの夜は人がいっぱいで危ないし、私たちの身長じゃよく見えないと思ったから』


 主人は、どんな宝石よりも美しい笑顔で言った。


『ここからなら、みんなでゆっくり見られるでしょ?』

『お嬢さま……』


 主人は心優しい女の子だった。いつも他人だれかのことを一番に考えて、他人だれかのために行動する人だった。

 そんな主人に、少女はずっと憧れていた。

 彼女のそばを離れたあの日まで。いや、離れてからもずっと。


「お嬢様……お元気でしょうか」


 あの頃よりもずっと高くなった視点から思い出の風景を見下ろして、少女は呟く。


「昔とお変わりないでしょうか。……聡明でお美しいところは、きっと変わられていないのでしょうね」


 学業で苦労していたり、美貌が衰えてしまった主人の姿など想像も出来ない。

 同様に、あの太陽のように明るい笑顔や誰かのために一生懸命になる性格も、決して変わることはないのだろう。


「――あの方との恋は、順調に進んでいるでしょうか」


 主人と相思相愛だった〝彼〟との関係は、どうなっただろうか。


「……きっと、お似合いの男女カップルになられているのでしょうね」


 少女は静かに瞳を閉じる。その表情にはどこか、後悔の色が浮かんでいるようにも見えた。

 聖なる夜に、祈りを捧げるかのように静かな時間が流れる。


「わあっ……! すっごく綺麗……! 周りに光があんまりないから、街のあかりがはっきり見える……!」


 その時、高台の下から誰かの話し声が聞こえた。


「こんなに暗いところだったかな……僕も何年も前に見つけたきり来ていなかったから、記憶が少し曖昧あいまいだよ」


「(若い男女……デート中でしょうか。私が高台ここに陣取るのは無粋ぶすいというものですね)」


 思い出の景色はもう瞳に焼き付けた。これ以上の長居は無用だろう。

 それに、幼い自分たちが過ごした思い出の空間に第三者の姿がのは嫌だった。少女にとってこの場所はそれだけ特別な場所なのだ。方向感覚に劣っているという自覚のある彼女が、自力で辿り着けてしまうほどに。

 高台をりた少女は、男女カップルの話し声を背景にその場から立ち去る。


「(私も……またいつの日か、お嬢様と一緒に来られるでしょうか)」


 自問し、やがてそっと首を左右に振る。

 それがもはや叶わぬ夢であることくらい、少女はとうに理解している。

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