第七〇編 千載一遇

 とある脇役しょうねんの愚行の裏で、表舞台の物語は進行する。


「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」

「ご馳走様でした」

「ご、ごちそうさまでした〜……」


 金髪姫ギャルこと錦野にしきのアリサイチオシのレストランで夕食を済ませた真太郎しんたろう桃華ももかの二人は、店員の見送りを受けながら店の外へ出た。


「すごく美味しかったね、桐山きりやまさん」

「う、うん。噂のデザートも美味しかったネ〜……」


 爽やかなイケメンスマイルを浮かべる真太郎に対し、桃華はぎこちない笑顔とぎこちない日本語でどうにか答える。

 よもやこの聖夜に想い人と二人きりで食事をすることになるなどとは夢にも思っていなかった少女は、未だにけない緊張に支配されていた。彼との会話が途切れないよう頭を回すことに必死で、正直なところ美味しい食事とデザートの味も半分くらい覚えていない。

 その真太郎はと言えば、流石は初春はつはる学園演劇部が誇るイケメン王子様と言うべきか、仮にも女子とのクリスマスデートだというのに、まるで緊張や動揺の素振そぶりを見せなかった。彼が普段通りに接してくれていなければ、桃華が食事から逃げ出すことなく耐え切ることも出来なかっただろう。


「で、でも、本当に残念だったね。悠真ゆうまも一緒にられたら良かったのに」

「……うん、そうだね」


 桃華の言葉に、ワンテンポ遅れて真太郎が頷く。同僚の直前連絡ドタキャンに怒っているわけではないだろうが、桃華は彼の横顔にどこか寂しそうな雰囲気を感じた。

 久世くせ真太郎という少年は、悠真に対して信頼を置いているように見える。当の悠真が真太郎にぞんざいな態度をとっているため、人によっては意外に思うかもしれない。しかし少なくとも桃華の目には、あの二人のあいだに独特の絆があるように映った。


「(久世くんも今日、悠真とご飯に行くの楽しみにしてたのかな……でもなんだか、それだけじゃないような気もする)」


 いつのにか強風が落ち着いた夜空の下、桃華は考える。

 真太郎が今日の食事会を楽しみにしていたことも、急に悠真が来られなくなったことを残念に思っていることも、おそらく間違ってはいないだろう。しかし彼の表情にはどこか、それだけでは説明がつかない心情が浮かんでいるような気がしてならなかった。


「……あ、あの、久世く――」

「桐山さん。このあと、どうしようか?」

「ふぇっ? あっ、え、えっと……!」


 話し掛けようとしたところでタイミング悪くそう問われ、桃華は思考を一時中断する。

「このあと」というのは、つまり当初の予定――中央公園のイルミネーションを指しているのだろう。〝甘色あまいろ〟の事務所では「せっかくだから見に行こう」という話になっていたが……。


「(で、でも久世くんと二人きりでイルミネーションを見に行くなんて絶対無理っ!? 絶対に心臓とがもたないっ!?)」


 恋人たちで溢れ返る聖夜の中央公園は、地方雑誌でも取り上げられているような超メジャーデートスポットである。そんな場所を、レストランで食事するだけでいっぱいいっぱいだった桃華じぶんと真太郎が連れ立って歩く――出来るはずがない。壊れたおもちゃのように「綺麗ダネー」と繰り返している姿しか想像出来ない。


「(それに、もしかしなくても学校の人もたくさん来てるだろうし……もし久世くんと一緒に歩いてるところを見られたりしたら……!)」


『学園の王子様、聖夜の密会!』『お相手は隣のクラスの村娘!?』――冬休み明けの学校新聞、隠し撮りされた自分たちの写真が一面を飾っている様を幻視してしまった桃華は、恐ろしさのあまり背筋を震わせる。

 久世真太郎の人気は学年内どころか学園内にも留まらない。働き始めたばかりの〝甘色あまいろ〟でも既に多くの女性客ファンがいるし、今だって道く女性たちが彼の整った容貌を見ては頬を染めている。すぐ隣に邪魔者ももかがいなければ、既に何度も声を掛けられていただろう。

 駄目だ、やはり悠真という重要人物キーマンを欠いた状態でイルミネーションを見に行くのは危険過ぎる。下手をすれば、真太郎のファンに夜道で襲われるかもしれない。馬鹿な冗談だと思うことなかれ、久世真太郎という男は本当にそれほどの人気があるのだ。


「う、うーん、今日のところはやめておかない? 交通規制されるくらい混んでるみたいだし、人が多過ぎてイルミネーションもちゃんと楽しめないかもだし……」


 これが千載一遇せんざいいちぐうのチャンスであることは桃華とて理解している。クリスマスに好きな人と夜景を見に行くなど、乙女なら誰もが憧れるシチュエーション。そんな好機を自ら放棄した、などと幼馴染みのギャルに知られようものなら「なにやってんだ」とお仕置きの尻蹴りを見舞われるかもしれない。

 それでも諸処しょしょの事情を踏まえ、身を切るような思いで決断を下した桃華に、真太郎はそっと自分の顎下へ手をやり、考える姿勢ポーズをとった。


「中央公園……あそこなら……」

「? あの、久世くん……?」


 ぽつぽつと独り言を呟く真太郎に桃華が首をかしげていると、やがて彼は少女に向かって言った。


「桐山さん。実は僕、人混みを避けて中央公園のイルミネーションが見られる穴場を知ってるんだけど……行ってみないかい?」

「えっ? そ、そんな場所があるの?」

「うん」


 どこか神妙な面持おももちで頷いた真太郎は、遠い過去に想いをせるかのごとく、夜空に浮かぶ月を見上げる。


「ずっと昔――たった一度だけ、皆で夜景を眺めた場所さ」

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