第五四編 不自然

 金山かねやまやよいという少女にとって、クリスマスは然程さほど特別な意味を持つ日ではなかった。

 家族へクリスマスプレゼントを贈ったり、友人たちとイルミネーションを見に行ったり、チキンやケーキを食べたり。周囲の人間は当たり前のようにクリスマスを楽しんでおり、やよい自身もその流れにわざわざさからうような真似はしない。

 それでも、彼女のなかでクリスマスは「平日」だった。いつもと変わらず朝陽がのぼり、いつもと変わらず夕陽が沈む。周りはいつもより浮わついているけれど、やよいはいつも通り、冷めた表情かおでそれを眺めるだけだ。


「(――なにがそんなに楽しいんだろ)」


 中三の冬、つまり一年前。受験勉強の息抜きに、と友人が見たいというイルミネーション会場に引っ張り出されたやよいは、行き交う人々にそんな疑問をいだいていた。

「寂しいよなあ、俺ら」と自虐しながらゲラゲラ笑う男たち、イルミネーションそっちのけで自撮りに励む女たち。そしてそんな彼らを置き去りにするように、二人きりの世界にひた男女カップルたち。

 クリスマスはなにかと恋愛に結びつけられがちな行事イベントである。宗教に明るくないやよいからすれば「キリストのオッサンの誕生日と恋愛になんの関係があるんだ」と言いたいものだったが、宗教色の薄いこの国で聖夜クリスマスは「そういうもの」として扱われている。

 くだらない――当時から同年代と比べ大人びていた少女は、そんな世間の風潮を心のなかで一蹴した。「クリスマスだから」なんてただの理由付け。恋愛にうつつを抜かしたい連中が都合よく利用しているだけ。

 冷めきったやよいの瞳には、きらびやかなイルミネーションの光が虚構のように映っていた。


 そして、現在。


桃華ももか。せっかくのクリスマスなんだからアンタ、久世くせくんとデートのひとつでもしてきなさいよ」

「うええっ!?」


 放課後の一年二組、幼馴染みの少女と二人きりになった教室の真ん中で、仁王立ちのやよいはそう切り出していた。途端にボッ、と赤面するのはもちろん桃華だ。


「ま、待ってよやよいちゃん!? どうしたの、急にそんなこと言い出して!?」

「うっさいわよ。いいから彼を誘ってイルミネーションでも見てきたらどう? 中央公園のイルミネーション、今年も凄いんだってさ。たしか当日は夜までバイトなんでしょ? 仕事終わりに二人で見てきなさいよ」

「いやいやいや!? そんなの急に誘えないしっ……というかやよいちゃんってクリスマスとかハロウィンとかあんまり好きじゃないんじゃなかったっけ!? 『キリストと恋愛になんの関係があんのよ』とか冷めた目で言ってなかった!?」

「なに言ってんのアンタ。クリスマスは男女が恋愛するためにあんのよ」

「いったいなにがあったら一年でそんなに人間が変わるの!?」


 驚愕する桃華がツッコミを入れてくる。だが、やよいはなにも変わってなどいない。

 やよい、変わっていない。


「(――変わったのは桃華アンタのほうでしょ)」


 去年から今年。一年という短い時間のなかで、少女たちは中学生から高校生になった。環境だって新しくなった。人間関係も、部活や仕事バイトも。

 だが目まぐるしい変化の最中さなかにあって、やはりやよいは変わらない。自分自身やよいは相変わらず、世間の風潮クリスマスを冷めた瞳で見ている。


「(聖夜クリスマスなんて、くだらない。くだらないけど)」


 やよい以外の多くの者にとって、クリスマスが特別視される一大行事イベントであることは紛れもない事実だ。恋愛絡みの行事クリスマスやバレンタイン男女関係カップルが成立しやすいという統計も出ている。たとえくだらない風潮であっても、それらは確実に恋愛の進退に作用している。

 そして――桃華は今年、初恋に落ちた。

 だったら風潮それを利用しない手はない。幼馴染みの少女のために、たった一人の親友のために。


「(すべては、聖夜の気紛れクリスマスマジックに期待して桃華と久世くんを付き合わせるため――)」


 やよいは親友ももかの現状を正しく理解しているつもりだ。いくらクリスマスが恋愛に作用すると言っても、たった一度のデートであの久世真太郎しんたろうと付き合える、なんてことにはならない。というか、そんな軽いノリで付き合ってほしくない。

 やよいが桃華にこんな話をしているのは、将来的に大きな意味があると見越してのことだ。


「(『久世くんと聖夜クリスマスにデートした』って事実は確実にこの子の自信に繋がるし……なにより、久世くん自身の予定を掌握することにもなる)」


 久世真太郎という男はとにかくモテる。この学校には某野球部キャプテンをはじめ魅力的な男子生徒が多く在籍しているが、そんな初春はつはる学園のなかでも間違いなく一番だ。当然それに比例して、彼をクリスマスデートに誘いたいと思っている女子も多い。

 だからこそ、桃華が真太郎とクリスマスデートにぎ着けることの意味は大きい。他の女の子に出し抜かれずに済む。恋敵ライバルと差をつけることが出来る。


「(桃華の恋は、ちょっと不自然なくらい順調にいってる)」


 やよいはわずかに瞳をすがめた。


「(それでも久世真太郎は難攻不落。トントン拍子でことが進んだって、桃華が彼を攻略するにはどうしたって時間が要る)」


 だから、これは牽制けんせい。桃華の恋を進展させつつ、恋敵ライバルたちを停滞させる一手。叶うかどうかも分からない親友の恋が、どこかの誰かに奪われる形で幕を閉じることなどあってはならない。

 金山やよいは冷めている。冷めているから、楽観視などしない。

 親友ももかの恋を叶えるなら、なんとしても彼女を真太郎とのクリスマスデートに押し出さなくては――


「で、でもやよいちゃん。もう私、クリスマスはバイトのあとに久世くんとご飯を食べに行く約束になってるよ?」

「…………。……は?」


 桃華の言葉に、やよいは目を丸くした。どこかのお嬢様ほどではないとはいえ普段からあまり表情を崩さない冷静系ギャルも、この時ばかりは驚いた。


「ご飯食べに行くって……アンタが? 久世くんと?」

「う、うん。あっ、でも二人きりでってわけじゃないよ? 実は昨日、バイトの時に悠真ゆうまが誘ってくれたんだ。『クリスマスバイトのあと、予定ないなら三人で飯くらい食いに行こうぜ』って」

小野おの……?」


 幼馴染みの少年の名に、思わず片眉をぴくりと動かす。


「アイツが、また……?」

「? 『また』って?」

「……いや、なんでもない」


 桃華がきょとんと首を傾けるなか、やよいは一人思考する。


「(以前まえは、久世くんの好みタイプについて教えてくれたんだっけ)」


 伸ばし始めた親友の髪を横目で見やる少女の胸中に、モヤモヤとした違和感が浮かぶ。


「――ほんと、だな」

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