第五五編 あの頃、あの場所

 クリスマス前夜イヴが明後日に迫ったその日。業務しごとを終えた真太郎しんたろうは、清掃モップを片付けに行く途中で〝甘色あまいろ〟の店内から夜空を見上げていた。


「真太郎、こっちはもう終わったか――って、なに一人で黄昏たそがれてんの、お前?」

「! すみません、新庄しんじょうさん。今終わったところです」


 後ろから声を掛けてきたのは先輩アルバイトの新庄千彰ちあき。現在大学三年生で、この店で働く学生アルバイトのなかでは最も古参にあたる男だ。フロア業務から厨房キッチンまで一通りこなせるベテランである。

 外見はやや派手チャラめで中身も見かけ通りだが、仕事は早く指示も的確、後輩バイトの面倒見もいいということで周囲からは頼りにされている。ちなみにもうすぐ退職する他の大学生バイトの二人曰く、「仕事中はデキるヤツだけど女タラシ」「『なんかモテそう』とか舐め腐った理由でバイト始めたのにあんまモテてない」らしい。そしてそれを聞いた悠真ゆうまはさりげなく桃華ももかを背中に隠していた。


「新庄さんのほうはもう終わりましたか?」

「おー、今日のところは一通りな。終わったんならさっさと上がろうぜ」


 頭の後ろで両手を組む新庄のあとに続き、「STAFF ONLY」と表示された扉をくぐって店内フロアから厨房へ。そのまま二人が事務所へ抜けると――


「ぐ、うおおおおおっ……!」

「うああっ!? い、一色いっしき店長!?」

「なに事務机デスク抱擁ほうようしてんすか、店長」


 うめき声を上げながら机に突っ伏す上司に真太郎は慌てて駆け寄った。一方で新庄は慣れた様子で半分無視スルーし、シュルリとほどいたエプロンを自分のロッカーに押し込んでいる。


「や、やっとクリスマスケーキの準備が一段落した……スポンジの用意は終わってるし、トッピングの材料も予定通り明日の朝一にはすべて揃う……ああ、でも明日からいよいよ販売が始まっちまう……予約だけでも相当な数だし、当日販売分も用意しないといけないし、今年のクリスマスは土日だから去年以上に店も忙しいだろうし、その上で限定ケーキとカップル用ケーキも作らなきゃいけないし……あああああっ、今年も寝る暇もない地獄の聖夜が始まるうううううっ!? くたばりやがれキリスト、くたばりやがれリア充どもおおおおおっ!?」

「一色店長!? や、やめてください、机に頭を打ち付けないでっ!?」

「気にしなくていいぞー、真太郎。店長このヒト、毎年この時期は忙しすぎて発狂するんだ」

「いや気にしますよ!」


 ガンッ、ガンッとデスクに繰り返し頭突きをかます一色を羽交い締めにして制止する真太郎。すると一色は「く、久世くせちゃあん……!」と潤んだ瞳でこちらを見上げてきた。


「格好悪いとこ見せちゃってごめんな……久世ちゃんやももっちにとってのアタシは『いつも素敵で格好いい美人店長』っていう認識だと思うんだけど」

「真太郎、違うことは『違う』って言っていいんだぞ」

「クリスマスの季節はいつもバタバタでな……商品の考案から試作から仕入れから宣伝から、とにかく忙しすぎる。おかげで素敵な彼氏とクリスマスデートに行くことも出来やしない」

「どっちにしろ店長はデートなんて出来ないでしょ、彼氏居ないんだから」

「でもアタシはくじけないぞ……今年もどうにかこの地獄を乗り切ってみせる……! アタシと同じくクリスマスになんの予定もない、アルバイトのみんなと一緒にな!」

「いや、俺は二四日の夜から彼女と出掛ける予定ですけどね」

「さっきからうるさいんだよ新庄ジョーシンッ! っていうかお前、ちょっと前に『彼女にフラれた』って言ってなかったっけ!?」

「一個前の彼女にはフラれましたよ。そんで、そのすぐあとに四個前の彼女と復縁しました」

「四個前の彼女と復縁!? あ、相変わらず恋人を取っ替え引っ替えしやがって、この女タラシが!? うわぁんっ、久世ちゃぁんっ!? アタシの心のり所は久世ちゃんたち高校生バイトだけだあっ!?」

「す、すみません、一色店長。僕たちも二四日の夜は約束をしていて……」

「うえええええっ!?」


 心の拠り所にも裏切られ、衝撃のポーズを取ったまま石化する一色。そんな彼女に構わず、新庄は「あー」と思い出すように呟く。


「そういや昨日、悠真ゆうま桃華ももかちゃんがそんなはなししてたな。どっか出掛けんのか?」

「はい。といっても三人とも仕事バイトなので、軽くご飯を食べに行くだけなんですけど」

「ふーん? その時間からでもイルミネーションくらいなら見に行けそうだけどな。この辺で高校生に人気なとこっていうと……やっぱ中央公園とかか?」

「ああ、毎年すごく綺麗だって学校の友だちもはなしてましたね。実は僕、小さい頃に一度行ったきりだからあまりよく覚えてなくて」

「へえ、じゃあせっかくだから行ってきたらどうだ? 〝甘色ココ〟からでも頑張れば歩いていける距離だし、桃華ちゃんはそういうの好きだろ、絶対。悠真は興味なさそうだけど」

「あはは、確かにそうですね」


 新庄の言葉に苦笑に近い笑みを浮かべた真太郎は、おぼろげな当時の記憶を探るように瞳を細める。


「中央公園のイルミネーション、か」


 確かにあの時、あの場所には何物よりも美しい輝きがった。

 それ以外の記憶が霞んでしまうほどまばゆく、まだ幼かった少年が魅入られてしまうほど綺麗な光が在った。

 ――彼は今でも、忘れることが出来ない。

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