第四九編 行動原理

「うう~~~むう~~~……」


 翌日。相変わらず屋上で昼食を食っているお嬢様のかたわら、俺はノートを開いて一人ウンウン唸っていた。


「くっそ~、ホントに何がダメだったんだ……? 途中までは順調だったのに」


 唇を尖らせながら考えるのは、もちろん昨日の映画鑑賞会のこと。久世くせ桃華ももかを誘い、初めて遊びらしい遊びに出掛けたところまでは上出来だったはずなのに、終わってみれば成果らしい成果は得られなかった。


「(いや、一応成果はあったか……久世アイツ、『また三人で遊びに行こう』って言ってたもんな)」


 それは昨日の帰り道、別れ際にあのイケメン野郎が発した言葉だった。そういう意味では、最低限の目標は達成したと言えなくもない。

 といっても、あれはどちらかと言えば社交辞令的な言葉ものだった気がしてならないが。俺が狙っていた通り、「楽しかったからまた遊びに行きたい」と思わせられたとは到底思えない。だって久世アイツも桃華も、映画を観終わったあとグッタリしてたもん。


「(やっぱり無難にアクションとか恋愛モノにしとくべきだったかなあ……久世に桃華のことを『可愛い』と思わせられた手応えもなかったし……いや、そりゃ桃華はめっちゃ可愛かったけど)」


 左腕に密着してきた初恋の幼馴染みを思い返し、頬に熱が集まってくるのを感じる。本当に、惜しい。アレを久世にかましていれば、もしかしたら一発で篭絡ろうらくすることも出来ていたのではなかろうか。それとも、これは俺が桃華に惚れているからそう思うだけなのか?

 どちらにせよ、今回は失敗だった。一〇〇点満点中、精々四〇点といったところだろう。そして大事なのは、だ。次に似たような機会があった際、同じ結末を辿ってはならないのだから。


「やっぱり大事なのは席順か……? いや、でも次遊びにいくときも映画を観に行くとは限らねえしな……もっとこう、どう転んだとしても桃華の魅力が久世に伝わるように……」

「…………」

「……あ? なんだよ。なに見てんだよ、お嬢?」

「――いいえ、別に」


 ふと視線を感じて顔を上げると、珍しく本から意識をらした七海ななみがこちらをじっと見つめていた。既に昼食は食べ終えたようで、紙パック入りのミルクティーにストローを差して飲んでいる。俺がここへ来る前に購買部まで買いに走らされたものだが……コイツ、お嬢様のくせしてこんな安っぽいもんも普通に飲むのな。


「――先ほどから見ていたけれど、熱心なものね。そうまでして〝彼女〟の恋を叶えたいものなのかしら」

「うるせえな、何回同じこと聞くんだよ」

「それだけ貴方が異様だと言っているのよ。貴方の行動には目的こそあれ理由がない。『〝彼女〟の恋を叶えたい』とは何度か聞いたけれど、『どうして〝彼女〟の恋を叶えたいのか』はまだ聞いていないわ」


 ストローから口を離した七海は、その黒い瞳でまっすぐにこちらを見据える。


「貴方は〝彼女〟から感謝されたいの? それとも友人として、幼馴染みとしての好意でも欲しいのかしら」

「……アホか。んなわけねえだろ」


 顔を背けて吐き捨てる。

 感謝なんて要らない。好意が欲しいわけでもない。もし本気でそんなものを望むなら、桃華にバレないようにことを運ぶ理由などありはしない。

 お嬢様も、それくらい聞くまでもなく分かっていたのだろう。「そうでしょうね」と相槌を打った彼女は、続けて問うてくる。


「それなら、?」

「…………」


 改まって聞かれると、返答に窮してしまった。

「答え」はある。俺自身の行動原理は、たしかに存在している。きっとどこかで、七海コイツに話したこともある。

 ただ、はこのお嬢様が求める「理由」とは少し違うものかもしれない。を話して聞かせたところで、おそらく彼女は納得しない。

 でも、仕方がないだろう。俺にはしかないんだから。


「――危うい」

「……え?」


 黙り込む俺にそう言った七海を見返す。彼女は既に興味を失ったかのように――あるいは聞くだけ無駄と判断したかのように――、手元の本へ視線を落としていた。


「なんだって構わないけれど、他人同士の恋愛にかまけて自分のことをおろそかにしないようにね」

自分おれのこと……? なんだよ、どういう意味だ?」

「ひとつの意味に限ったことではないけれど――たとえば貴方、勉強はしているの? もうそろそろ始まるけれど」

「始まるって、なにが……あっ」


 思い出した。つまり、忘れていた。

 もう明後日から一二月。そして一二月中旬にはもう始まるじゃないか。

 年に数回訪れる、学生にとっての山場――定期試験が。


「や、やべえ……桃華のこととバイトばっかで、まったく勉強なんかしてねえ……!」

「……普通忘れるかしら」


 にわかに焦燥に駆られる俺を見て、「学生の本分でしょう」と呆れ顔で呟くお嬢様。そ、そうだ! そういえば久世が言ってなかったか、七海コイツの成績が学年一位トップだとかなんとか!


「お、お嬢! いやお嬢様ッ!」

「嫌よ」

「まだなんも言ってねえよ! た、頼む、俺に勉強を教えてくれ!この通り!?」


 パンッ、と両手を合わせて拝み込む俺。七海はしばらくの間なにも言わずにうつむいていたが、やがて俺の真摯しんしな願いに心を打たれたのか、「仕方がないわね」と顔を上げた。


「一問あたりミルクティー一本で手を打つわ」

「いや高えよッ!? 一問ごとに一一〇円も払ってられるか! 俺の頭の悪さを舐めるなよ、小娘ッ!」

「どうして偉そうなのよ。嫌なら別に構わないわ。教師なり友人なりに教えてもらいなさい」


 仮にも協力者が危機的状況ピンチだというのにまったく意にも介さないお嬢様に、俺は「ぐ、ぐぬぬっ……!」と歯噛みする。

 そしてこの日から約一週間、俺の期末試験対策が始まった。

 もちろん、お嬢様への課金はしなかった。

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