第四七編 私服と映画と無料券

「(桃華ももか久世くせは……まだ来てねえみたいだな)」


 一度帰宅し、私服に着替えてから駅前のショッピングモールを訪れた俺は、待ち合わせ場所で携帯電話の画面を点灯させた。約束の時間まで約一五分。少し早く到着してしまったようだ。


「(なんせ、桃華と遊びに行くなんて小学生ぶりだもんな……)」


 その事実に、思わず目的も忘れて浮き立ちそうになってしまう。というかガキの頃だって、幼馴染みの彼女と放課後遊ぶ機会こそあれど、こんな風に待ち合わせをして出掛けたことなど一度もない。そりゃあバイト遅刻ギリギリ常連の俺も、ソワソワして早く着くというものだ。

「こんなことならバイト代でオシャレ服のひとつでも買っておくんだった」と後悔しつつ、必死に選び抜いた服のシワをピシッと伸ばしてみる。香水やらヘアワックスやらといった飛び道具、もとい嗜好品しこうひんは持ち合わせていないので、あとは身一つと心意気のみ。

 ネットでデートで活きる小技テクニックでも検索しておこうかなどと考えていた時、「おーい」と遠くのほうから駆け寄ってくる存在に気付く。パッと顔を上げて見ると――


「やあ、小野おのくん! 早かったんだね、お待たせ!」

「…………」

「ど、どうして無言のまま携帯の画面に視線を戻すんだい小野くん!?」


 何事もなかったかのように「初デート 女の子 喜ばせ方」で検索しようとしていると、顔と画面のあいだでイケメン野郎の手のひらがヒラヒラと動かされる。鬱陶うっとうしいな。

 もしかしたら久世コイツが遅れてきて桃華と二人きりでお喋りする時間が出来たり、あわよくば「ちょっとそこの喫茶店で時間潰そっかー」みたいな展開にならねえもんかなという俺の期待は、キッチリ一〇分前行動してきたイケメン野郎によってあえなく潰されたわけだ。別にいい、別にいいが、とりあえず盛大に舌打ちはしておく。

 そんな俺の下心など知るはずもない久世は、カジュアルに着こなしたジャケットの袖から腕時計を確認して言った。


桐山きりやまさんはまだ来てないんだね?」

「ああ。金山かねやまが集合場所と時間は伝えてくれたし、もうすぐ来ると思うけどな」

「そっか。それじゃあどうする? そこの喫茶店でお茶でもしながら待とうか?」

「(どうでもいい部分だけ叶った)」


 これが久世コイツじゃなくて桃華だったなら完璧だったのに、久世コイツが先に来たせいでなんの意味もなかった。相手が桃華じゃない以上、お喋りはともかく喫茶店は金の無駄にしかならないので「どうせ映画館で飲み物買うだろ」と適当に断っておく。


「あっ、悠真ゆうま!」

「!」


 その時、今度こそ聞き馴染みのある可愛らしい声が届いた。振り返ると、そこには私服姿の桃華がどこかぎこちない笑顔を浮かべながら立っている。


「やあ、桐山さん。お疲れ様」

「は、ひゃいっ!? くく、久世くんこそ、お疲れさまですっ!?」


 プライベートだというのに業務的な挨拶を交わすイケメン野郎と幼馴染み。相変わらず久世相手だと緊張してしまうらしい桃華と、その様子にまるで気付かない鈍感な久世。この場にどこかのギャルがいれば「やれやれ」とため息のひとつでもいていたかもしれないが――しかし俺は、それどころではなかった。


「(し、私服の桃華……めっっっちゃ可愛い……!)」


 主張控えめな紅茶色のワンピースに白のふわふわニットセーターを合わせた幼馴染みの少女は、その化粧けしょうっ気のなさも相まって非常に落ち着いた雰囲気に仕上がっている。いて言えば髪を軽く巻き、色つきのリップクリームを塗っているくらいだろうか。

 しかし、ただそれだけで彼女は抜群に可愛かった。まともに顔を見ることも難しいくらいだ。惚れた弱みだと言ってしまえばそれまでだが、彼女よりも可愛い生物などこの世に存在するだろうか……いやまあ、顔だけなら若干一名いなくもないけれども、七海未来アレ性格アレ最悪アレなので除外アレする。


「小野くん? どうかしたのかい、なんだか赤い顔で遠い目をしているけれど」

「! い、いや、なんでもねえ」


 頭を振って余計な思考を放り出した俺は、「これで全員揃ったな」と仕切り直す。


「悠真、今日は誘ってくれてどうもありがとう。映画なんて久々だからすっごく楽しみだよ~!」

「僕も、映画館に来たのはいつ以来かな。もう何年も来ていなかったような気がするよ」

「そうなのか? まあ俺も無料タダ券なんて貰わなかったら観に来なかっただろうけどな。今はネット配信でいくらでも見られるし」

「あははっ、それ言っちゃったらおしまいだよ~」

「映画館でしか楽しめないものもあるからね。迫力というか、臨場感というか」

「あー、分かるわかる。同じ作品でも、映画館で観たほうが引き込まれる気がするんだよな」


 三人で話しながら、モール内最上階の映画館に向かって歩く。上映時間まで少しあるが、受付やらを済ませているうちに入場可能になるだろう。


「二人とも、ポップコーンはどうする? 買ってくか?」

「うん、せっかくだから買っていくよ。キャラメル味にしようかな」

「なにい? アホかお前は、ポップコーンは塩味一択だろうが」

「ええ、そうかなあ? 桐山さんはどう思う?」

「わ、私? え、ええっと、どっちも美味しいし好きだけど……今日はキャラメルの気分、かなあ?」

「こ、この俺が少数派マイノリティーだと……?」


 飲食物売場コンセッションの列に並びながら、くだらない雑談を交わす。一応、緊張気味の桃華でも加わりやすいように話題は選ぶ。私欲に負けかけたとはいえ、今日ここに来た目的を忘れてはならないのだ。


「(桃華にも久世にも、楽しんでもらわねえとな……)」


 桃華の恋を叶えるうえで、段階を踏んだ親密度の向上は必要不可欠だろう。分かりやすく言えば「顔見知り」から「バイト仲間」へ、「バイト仲間」から「友だち」へ、そして「友だち」から「恋人」へ――通常、人間関係とは一足飛びに変化し得ない。関係性が移ろう速度スピードに個人差こそあれ、地道に信頼を積み重ね、一歩一歩ステップアップしていくしかない。それが一番の近道なんだ。

 そのためにも桃華はもちろん、久世にだってしっかり楽しんでもらう必要がある。「楽しかった」から「また遊びに行きたい」と思うのはごく自然な流れだろう。極論、今回の目的は久世の口から「また遊びに行こうね」という単語を引き出すことだと言ってもいい。「段階を踏む」必要がある以上、こういった機会はあればあるほど進展を望める。逆に、単発で遊ぶ機会があるだけでは効果が薄い。今日一日を足掛かりにし、どうにか定期的な交遊関係の構築までぎ着けたいものだ。

 少し高望みし過ぎかも、と思いつつ、飲食物の購入を終えた俺は桃華たちを連れて受付窓口へと向かう。


「すみません、この無料券チケット使いたいんですけど……」

「はい、いらっしゃいませ。拝見致しますね……って、こ、コレはッ!?」

「え?」


 無料券チケットを見たとたんに驚愕した受付のお姉さんに、目をぱちぱちさせる俺。するとお姉さんは「し、少々お待ちくださいませっ!」と残し、なにやら全速力で奥へ走っていく。


「し、支配人ッ! 窓口にVIPのお客様がお見えにッ! 本郷ほんごうグループの紋章が入った優待券チケットをお持ちですッ!?」

「なにィィィィィッ!? は、早くお席へご案内するんだッ! 最上級シートをご用意しろッ!?」

「は、はいッ!」


「(……えっ?)」


「いいかッ、絶対に粗相などするなよ! 手の空いているスタッフ総出でおもてなししろ! これほどの上客VIPがこんな庶民向け映画館に来た理由までは分からないが、万が一機嫌を損ねられるようなことなどあれば、ウチは終わりだ……ッ!?」

「「「「わ、分かりましたッ!!」」」」


「(…………えっ?)」


 窓口の奥から聞こえてくる怒声と、にわかに慌ただしさを帯びる空気。そして稲妻もかくやという勢いで戻ってきたお姉さんが「大変お待たせ致しました! どうぞお進みください!」と叫ぶように言ったかと思えば、いつの間にか入場口前に並び立っていた従業員スタッフたちが一斉に「ようこそいらっしゃいませ!」と歓迎の言葉を口にする。もちろん唖然あぜんとするのはただの学生客三人組こと俺たちだった。


 ――この日、俺が気付いたことが三つある。

 ひとつ。どうやらあの本郷さんも超がつくほどのお嬢様であるらしい。

 ひとつ。そんな本郷さんをいち従者とし、運転手としてこき使っているどっかのお嬢様はやっぱりヤバい。

 ひとつ。もう二度と、軽々しい気持ちで七海や本郷さんから無料券チケットなど受け取ってはならない。

 びるような笑顔を浮かべつつ、目尻に畏怖いふの涙をたたえている支配人らしきおじさんを見て、俺は密かに誓いを立てた。

 言うまでもなく、VIP待遇は丁重にお断りした。

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