幕間① 「未変」

★★★



「本日もお疲れ様でございました、お嬢様」

「そういう仰々しい真似はしないでといつも言っているでしょう、本郷ほんごう


 ある日の放課後。正門前に停められた高級車の隣に立ち、粛々と敬礼する女性。そんな従者の姿に、少女・七海ななみ未来みくはいつもと変わらぬ無表情のままそう言った。

 放課の鐘が鳴り響いたわずか数分後、学校の敷地から出てくる主人を待ち構えていた長身の女性・本郷琥珀こはくは、礼の姿勢を解いてすぐに「申し訳ございません」と謝罪する。ちなみに毎度こうして謝りこそすれど、彼女が最敬礼をはぶいたことはただの一度もなかった。主人からの命を軽んじているから――ではなく。


「しかし、お嬢様への深い忠誠心を表すと同時に『礼をしない』とは、いったいどのようにすれば……!? くっ、己の凡庸ぼんような発想力が憎いッ……! お嬢様、どうかばつとして、この木刀ぼくとうで愚かな私の頭蓋ずがいを叩き割ってくださいッ!」

「するわけがないでしょう」


 無駄に高い忠誠心とともに差し出された黒檀こくたんの木刀を、少女はややかな目で突き返す。基礎能力スペックにはまるで非の打ち所がないのだが、それ以外でなにかと残念な部分が目立つ従者だった。


「もういいわ。はやく車を出して頂戴」

「かしこまりました、お嬢様」


 うやうやしくひらかれたドアから後部座席へ乗り込むと、すぐに車は発進した。ふかふかのソファー席に全身を預けた少女は、車内備え付けのキャビネットから適当な本を一冊取り出す。いつもと変わらない、帰り道の読書タイムだ。


「…………」


 しかし、少女は表紙をめくろうとしていた手をめると、代わりに座席の隅に置いてある学生かばんへ腕を伸ばした。留め具を外して中から取り出したのは、幾枚かの便箋びんせんである。


「おや? お嬢様、それは……お手紙でしょうか?」


 運転中にも関わらず、室内ルームミラーで目敏めざとく気が付いた従者に「ええ」とだけ返す。それは学校を出る直前、少女が自分の下駄箱から回収した手紙のたば。普段の彼女であれば読みもせず学校のごみ箱へ廃棄していたであろう「紙屑かみくず」だった。


「…………」


 そのほとんどは少女へてられた恋文ラブレター、一部は少女とお近づきになることを望む同級生たちからの誘いの手紙。あるものは緊張しながら書いたのか震えた字で、またあるものは背伸びをしようとしたのか奇妙かつ堅苦しい文言で。

 が言っていた通り、自分への想いがつづられている手紙たちを無表情に見下ろし、やがて彼女はそれらをまとめてぱさりとほうった。


「――本郷。あとでこのを捨てておいてもらえるかしら」

「宜しいのですか? 何方どなたからのお手紙か存じ上げませんが……」

「いいのよ。読む前から分かっていたけれど、時間の無駄にしかならない代物しろものだったわ」


 言葉通り、少女は手紙への関心などすっかりせてしまったらしく、すぐに先ほどの本へと意識を戻し、いつもの読書を始めていた。


『少しでもいいから、お前のことを好きになった連中の気持ちを考えてやってほしい』

『やっぱり怖いもんだろ。人にす、好きって伝えるのは』

『お前には「偽物」に見えても、本人にとっては「本物」の気持ちだと思うから』

『頑張って気持ちを伝えようとしたんだ! 手紙を読んでやるくらいのことはしてやってもいいじゃねえか!』


「……理解わからないわ。こんなもののために、どうしてあれほど必死になれるのかしら」


 ひとり呟く。それは〝どこかの誰か〟の手紙のため、恋のために、何度も七海未来じぶんに噛みついてきた少年への疑問。

「勇気」だの「本物」だの、第三者の立場から真剣な言葉を投げ掛けてきた愚かな彼に呆れながらも、少女はほんの少しだけ考えさせられてしまった。


『――頼む』


 あの本気の懇願がなければ、今日も彼女は手紙を学校のごみ箱に放り捨てて帰ってきたことだろう。目を通すどころか、紙屑それが手紙であると認識することもないまま。


「…………」


 しかし、それだけだ。少女はなにも変わらない。

 度胸ある少年の言葉にわずかばかり影響されたものの、依然として彼女にとって手紙それは紙屑に過ぎないし、現実の恋愛はまがい物の偽物だ。

 恋愛など、物語フィクションのなかだけで楽しめばいい。


『――本当にごめんなさい、お嬢さま……! わたし、なにも知らなかったんです……! わたしなんかが、あのかたに恋なんて、しちゃいけなかったんです……!』


 ――あの土砂降どしゃぶりの日の記憶は、無表情な少女の脳裏にこびりついたままだ。

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