第一八編 困惑

 平日の夕方、喫茶店〝甘色あまいろ〟の店内に、「研修中」の名札を着けて歩くアルバイトが一人。


「お待たせ致しました。チーズケーキとホットコーヒーでございます。ご注文の品は以上で宜しいでしょうか? それではごゆっくりどうぞ」


 皿とカップを丁寧に並べたあと、かたさを感じさせない流麗な一礼を残して客席を立ち去る男。来店客のマダムたちはそんな彼を見送ったあと、頬を染めつつヒソヒソ話をわす。「格好いいわねえ」「サマになってるわあ」などと、どうやら若いイケメンアルバイトくんに惚れ惚れしているらしい。


小野おのくん。三番テーブルの後片付けバッシングと一番テーブルの配膳、終わったよ。他になにか仕事はあるかい?」

「…………」


 爽やか笑顔でそう聞いてくるイケメンバイト改め久世くせ真太郎しんたろうに、俺は無言のまま視線を投げる。


「……そうだな、客も少ないし今のうちにゴミ出しと窓拭きも済ませとけ。精算と床掃除は俺がやっとく」

「うん、分かったよ」

「そのあとは厨房に戻って、暇な店長の話し相手をしてやってくれ。それが終わったら俺の肩叩きと足裏マッサージな」

「うん、分か――らないよ!? 後半は明らかに僕の業務しごとじゃないよね!?」

「バカ野郎、半年前に俺が入ったばっかの頃は先輩の肩叩きも足裏マッサージも自ら率先してやってたぞ」

「絶対嘘だ!?」

「暇な店長の話し相手に関しては、現在いまも変わらずやってるぞ」

「そ、それはたしかに僕も何度か見た覚えがあるけど……」


 冗談はさておき、久世が〝甘色ウチ〟で働き始めてから早三週間。接客はもちろんのこと、掃除や精算業務などの細々こまごました仕事もあっというに身に付けた彼は、既にいち戦力と数えるのに充分な活躍をみせていた。まったく、見ていて腹が立つほどのハイスペック野郎だ。俺なんて、まともに接客出来るようになるだけでも二ヶ月はかかったというのに。

 接客したくないがために皿洗いばかりしようとして店長に怒られ、「店長だってよく厨房でダラダラしてるじゃないっすか」と反論してみたところ「あたしはなにをしても許される。そうよ、あたしが店長だから!」と返されて喧嘩になったことをしみじみ思い出していると、入店口のほうからカランカラン、と古風なドアベルの音が聞こえた。


「いらっしゃいま――ッ!」

「!」


 店に入ってきた客の姿を見たとたんに硬直する久世。どうしたのかと思って見れば、そこに立っていたのはサングラスとマスクで顔を隠した常連客。すなわち――


「(七海ななみ未来みく……!)」

「…………」


 数日前に一悶着あったばかりの性悪しょうわる美少女。反射的に身構える俺に対し、彼女がサングラス越しに俺たちのほうを見る。「早く案内しろ」とでも言いたげな視線だ。まあ目の前に店員が二人もいながら、どちらも動きを止めたまま対応しないのだから当然の反応ではある。

 というか、俺はともかくどうして久世まで固まっているんだ?


「(あ、そうか。そういやコイツら、幼馴染みとか言ってたっけ)」


 学校で初めて七海を見た時のことを思い出す。あの時の俺はまだ「七海未来=〝甘色あまいろ〟常連の〝七番さん〟」だと知らなかったのだが、どうやら久世コイツは最初から気付いていたようだ。

 そういえば、入ってきたばかりの頃にも「〝七番さん〟は来ていないのか」とか聞かれた気がする。この二人は幼馴染み同士のくせに不仲らしいし、ビビって確認してきたわけだ。今のところ、八方美人野郎の久世コイツが唯一苦手そうにしている相手だな、七海未来。天敵というやつか。

 明らかに困っている様子の後輩バイトにため息をつく。仕方ない、俺が対応しよう。俺もこの女は苦手だが、常連客としては手慣れた相手だ。


「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

「一名よ」

「ご注文はお決まりでしょうか?」

「決めていないし、せめて席に案内してから訊いてくれるかしら」

「テーブル席で宜しいですか?」

「テーブル席しかないでしょう、このお店」

「おタバコはお吸いになられますか?」

「……貴方、さっきからわざとやってるでしょう」


 たしかに普段いままでなら「いつもご来店ありがとうございます」と言ってさっさと七番テーブルに案内している場面だ。先日の仕返し代わりに無能店員を演じる俺に、無表情ながらもどこか不機嫌そうな七海が瞑目めいもくする。


「このあいだの意趣返しのつもりかしら。私を相手に、相変わらず大した度胸だわ。名前はたしか……佐藤さとう陽人はるとくん、だったわね」

小野おの悠真ゆうまだ!? 誰だよサトウハルトって! 思い出せないからって適当な名前付けてんじゃねえぞ!?」


 そういえば、日本で一番多い苗字が「佐藤」、男性で一番多い名前が「はると」だった気がする。つまりこの女、俺の名前を覚えていないから確率的に最も的中しそうな名前を付けてきやがったのか。どんな博打ばくち仕掛けてんだよ。いやそれ以前に、人の名前くらいちゃんと覚えろよ。

 青筋あおすじを浮かべる俺に対し、七海未来は平然と「そんな名前だったかしら」と返すばかりだ。


「そんなことはどうでもいいわ。早く席を用意して、メニュー表を持ってきなさい。それが店員あなたの仕事でしょう」

「やかましいわ。客の注文ならなんでもかんでも聞くと思うなよ。お客様は神様じゃねえんだからな」

「ち、ちょっと小野くん、他のお客さんもいるんだから……っていうかそうじゃなくて、そもそも君たちって知り合いだったのかい!?」


 お嬢様と言い合う俺を見て、どこか焦った様子の久世が聞いてくる。久世視点の俺はちょっと前まで七海未来の存在自体を認識していなかったくらいなので、こんなふうに話しているのが異様に映るのだろう。

 とはいえ、この女となにがあったかまで話して聞かせるのは面倒だ。七海のほうも同じ気持ちだったのか、あるいはいちいち質問に答えるつもりがないのか、さっさと店の奥へ歩いていってしまった。俺はそんな彼女の後ろ姿を見送りつつ、「あー……まあな」と適当に言葉を濁しておく。


「え、ええ……?」


 そんな俺たちを、イケメン野郎が困惑した表情で見比べていた。

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