第一六編 簡単な告白

「店長、七番テーブルの注文です……」

「おー、やっときたか。退屈すぎて死ぬとこだったぜ」


 俺が厨房に入ると、丸椅子で胡座あぐらをかきながらテーブルに上半身を投げ出して寝そべっていた店長が身体を起こした。今日のキッチン担当は彼女ひとりだけだが、お客さんもいないので暇で仕方ないらしい。とはいえ、アルバイトが働いているなかで堂々とダラけるのはどうかと思う。

 立ち上がった店長と入れ替わりで椅子に腰掛けた俺は、両腕を組んで机に突っ伏した。


「はあ~~~~~……」

「ため息長っ。というかお前、店長さまが注文品用意してるなかで堂々とダラけるのはどうかと思うぞ。給料から引いとくな」

「店長サマ、頭にブーメラン刺さってますよ。給料から引いときますね」

「まさかバイトから減給を言い渡される日が来るとは思わなかった」

「可哀想な店長、一〇年先までタダ働きだなんて」

「処分重すぎだろ。せめて一割減くらいにしといてくれよ」

「分かりました。じゃあ九年先までタダ働きで」

「いや処分のほうを一割減にするんじゃなくてさ」


 テキパキ手際よく用意を進める店長としょうもない会話をわす。こういう無駄かつ無意味な時間が、打ち負かされたばかりの心に優しかった。


「……店長、さっきの話なんですけど」

「あー? なんのこと?」

「ほら、『店長はどうせモテないでしょ』って言ったじゃないスか、俺」

「たしかに似たようなこと言われたけどもさ、そんな火の玉ストレート意訳しないでくんない?」

「それで、店長は実際のとこどうなんですか? モテます?」

「な、なんだよ急に……モテるかモテないかで言えば、まあぶっちゃけモテないけど」

「ですよねえ……」

「オイ、その相槌あいづち死ぬほどムカつくからやめろ」


 顳顬こめかみをピキらせる店長に対し、俺は続ける。


「じゃあ告白された経験は……ないですよねえ、当然。誰かからラブレターを送られた経験も……あるわけないですよねえ、やっぱり」

「失礼すぎるだろ! あたしが答える前から決めつけで自己解決すんなよ!」

「えっ、まさか経験あるんですか!?」

「驚愕するんじゃねえよ! そんな経験あるわけないだろ!」

「案の定ないんじゃないスか」


 一応店長の名誉のために言っておくと、彼女はそれなりの美人ではあるのだ。この店を開くまでは本職のパティシエを目指して本場パリで修行を積んでいたそうだし、実際に彼女が作るスイーツはどれも絶品。母数こそ少ないものの、〝甘色あまいろ〟の再来店リピート率はかなり高かったりする。

 そんな一色いっしき店長がモテない原因は、仕事一辺倒で出会いの機会がないからなのだろう。……それだけではない気もするが、今はそういうことにしておく。


「……店長って、黙って仕事だけしてればモテそうですよね」

「やめろ、学生時代の友だちと同じこと言うな」

「あの、仮になんスけど……店長は誰かから告白される時、それが手紙ラブレターだったら嫌だと思いますか?」


 参考までにたずねてみる。店長は俺にとって数少ない女性の知り合いだし、意見を聞いておいて損はないだろう。


「はあ? なんだそれ、嫌なわけないだろ。誰かが好きになってくれるだけで嬉しいのに、告白の方法にまで注文つけたらバチが当たるぜ」


 モテない人間の悲しい答えだった。俺も彼女と同類なので、普通に共感出来てしまうあたりが更に悲しい。


「でもまあ、そうだな。もしあたしが誰かに告白するんなら、手紙よりも直接相手に伝えるだろうな」

「! ……どうしてですか?」


 やはり、ラブレターは「逃げ」だと思うからだろうか。

 店長も、七海ななみ未来みくと同じ意見なのだろうか。


「だってさ、ラブレター出すのって、めちゃくちゃ度胸が要ると思わないか?」

「……え?」


 予想外の切り出しに、俺は思わず身体を起こした。


「考えてもみろよ。手紙って形に残るだろ? だからもしあたしが誰かにラブレターを送ったら、相手はその手紙を一生大事に持ち続けるかもしれないだろ?」

「は、はあ」

「つまりな!? あたしがラブレターを送る相手――そうだな、名前はヒロシとしよう! ヒロシはあたしからのラブレターに心ときめいて交際に至り、同棲を経た後に晴れて結婚するわけだよ! それからやがて二人は子どもをさずかり、小学校高学年くらいまで成長した娘――あ、名前はナツミにするって決めてるんだけどさ、年ごろのナツミは両親あたしたちに聞いてくるんだよ、『お父さんとお母さんはどうして結婚したの?』ってさ!」

「あ、あの、店長?」

「そしたらな!? 『ちょっと待ってろ』って自分の部屋に戻ったヒロシが、日焼けしてシワの寄ったあの時のラブレターを持ってきやがるんだ! ちなみにヒロシはこれまでもことあるごとにラブレターを持ち出してはあたしをからかってきてな!? 『もー、やめてよーっ!』って恥ずかしがる恋人あたしの姿を見て楽しんでやがるんだよ! ナツミはナツミで、いつもはクールで美人なお母さんが珍しく狼狽うろたえてる姿を見て『お母さん、かわいー』なんてクスクス笑ってな!? まったく、似てほしくないとこばっかりお父さんに似て、でもそこがまたいとおしいってのが歯痒はがゆいというか幸せっていうか!」

「(どうしよう、なんか変なスイッチ押しちゃった)」


 心底幸せそうに語る店長にドン引きする。俺としては「ラブレターで告白してきた相手と付き合いたいと思うか」くらいの気持ちで質問したのに、返ってきたのは「店長はラブレターを送ったヒロシと(当然のごとく)結ばれ、ナツミという名の娘を授かり、三人は幸せな日々を送っている」という妄想のかたまりだった。もはやラブレターがただの小道具になってるじゃねえか。そして誰なんだよ、ヒロシとナツミって。

 やはり俺たちのような一〇代学生と婚期のがし気味の成人女性では、将来に対するビジョンが違いすぎるらしい。「聞く相手を間違えたなあ」と俺が遠い目をしていると、妄想の世界から舞い戻った店長が「要するにだな」と続けた。


「『ラブレターを送る』って行為ことは、そんくらいの度胸と覚悟がるんだよな」

「……!」


 ――そうか。


「少なくともあたしには絶対無理だね。字の綺麗さとか言葉選びとか考えることも多そうだし、もし送った相手が誰かに見せちまったら最悪だし。それなら普通にこくったほうがマシっていうか、気楽だろ? 告白の瞬間だけ気合いれればいいんだからさ」


 こういう考え方も、あるのか。

 知見ちけんが広がった実感を得る俺の横で、店長はケラケラと笑う。


「ま、だからといって直接こくんのがカンタンかって聞かれたらそうでもないだろうけどな! 定番は学校の屋上とか校舎裏だけど、そこに相手を呼び出して待ってるあいだとかめちゃくちゃ緊張しそうだし、告白の台詞せりふ噛んだりしたら恥ずかしいしさ! そうだな、もしあたしがヒロシに――」

「(……そうだ。『簡単な告白』なんかない)」


 あの女は「大切な気持ちなら直接伝えるべき」だと、「ラブレターは」だと言ったが、そうじゃない。

 誰かに「好きだ」と伝えるのはいつだって怖い。勇気が要る。

 面と向かって言葉にしようが、手紙に想いを託そうが、それは変わらない。そんなこと、俺はもうとっくに知っていたはずなのに。

 どちらも俺には出来なくて――手紙を捨てられた〝誰か〟がした偉業だ。


「おい、小野っち? あたしの話聞いてる?」

「……店長。注文の品、もう出来ますか?」

「え? うん、今出来たけど」


 マシンガンのように話しながらも、仕事だけはキッチリこなしていた店長がトレンチを差し出す。フルーツケーキとナッツのタルト、ブレンドコーヒーがひとつずつったそれを受け取った俺は、ぐっと表情を引き締めて言った。


「七番テーブル、行ってきます!」

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