第一五編 勝手と身勝手

「おーっす、小野っちぃ~。おはよー」

「……ハヨザイァス」

「暗っ!? おいおい、出勤してきて早々なんだよ、その接客業従事者にあるまじきローテンションは? 『そんなにこの仕事バイトが嫌なのかな……』ってちょっと不安になっちまうだろ、クビにすんぞこの野郎コラ。……そ、それで、もしかしてあたしに直してほしいところとか、あったりする……?」

「高圧的な振る舞いに反して職場環境の改善には余念がないんスね」


 翌日の放課後。「だって、ただでさえ大学生バイトの子が二人も辞めちゃうんだもん……」と両手をもじもじさせる一色いっしき店長を横目に、俺は〝甘色あまいろ〟の事務所に入った。

 テンションが低いのは、別に仕事バイトが嫌だからではない。昨日のこと――ラブレター廃棄事件で受けた衝撃と苛立ちが尾を引いているだけだ。


「(七海未来ななみみく……あの女はいけ好かねえ……!)」


 エプロンの紐を強く結びながら、ごみ箱に放り捨てた恋文を「紙屑」と言い切った少女への怒りを再燃させる。超絶美少女だろうが超絶お嬢様だろうが、そんなものは免罪符になりやしない。俺にとってあの女は、人の好意をないがしろにする最悪の人間だ。

 本当は今日だって彼女の在籍する教室クラスに乗り込み、もう一度話をしてやるつもりだった。だがどういうわけか、七海未来は登校して来なかったのである。言いたいことは山ほどあるのに消化出来ず、それがさらなる苛立ちの火種ひだねとなっていた。


 俺だって、告白の呼び出しに応じてやれとまでは言わない。ただ、せめて内容に目を通すくらいのことはしてやってもいいじゃないか。たとえばあの女がラブレターを読んだうえで「この私に告白してくるなんて一〇〇〇万年早いですわっ!」と便箋びんせんをビリビリに破り捨てた、とかだったなら、俺がここまで怒り心頭に発することもなかっただろう。精々「嫌な女だな」と思う程度だ。

 しかし七海未来は、ラブレターをラブレターだと認識しないままごみ箱に捨てた。手紙に目を通すどころか、受信すらしていない。


「……あーッ、考えれば考えるほど腹立つッ! 店長もそう思いません!?」

「うぇっ? な、なんの話だ?」

「モテるヤツってのはどうしてああなんですかね!? 久世どっかのバカといい、他人の感情に対して鈍感というか無関心というか!? 一度俺や店長みたいなモテない人間になってみりゃいいんですよ、アイツらも!」

「よく分かんないけど、とりあえず勝手にあたしを『モテない人間』として小野っちと一緒にくくるのはやめてくんない? 店長泣くぞ?」


 店長のツッコミを背中に受けつつ、俺は肩をいからせて事務所からフロアへと出る。苛立つあまり勢いよく飛び出してしまったが、幸い今日は平日なのでお客さんもほとんどいない。埋まっているのは店内最奥の七番テーブルだけだ。


「(ってまた〝七番さん〟か。相変わらず平日はよく来るなあ……んん?)」


 いつも決まった席で読書している常連さんの姿を改めて凝視する俺。そして「あること」に気が付き、驚愕する。


「あ、あああああーーーーーッ!?」

「?」


 突如絶叫した店員おれに迷惑そうな目を向けてくる〝七番さん〟。

 いつもサングラスとマスクを着用している彼女の正体は、今まさに俺が憤っていたあの女――七海未来だった。



 ★



「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」

「フルーツケーキとナッツのタルト、ブレンドコーヒーをひとつずつ」

「あいにくどれも品切れしておりまして」

「……バウムクーヘンとチョコレートパフェ、ホットココアをひとつずつ」

「あいにくどれも品切れしておりまして」

「…………だったらなんでも構わないわ。適当に見繕みつくろって持ってきて頂戴」

「かしこまりました。それではテキトーに、白湯さゆでも作って持ってきますね」

「『適当』の意味が違うわ。ケーキと甘い飲み物はないの?」

「あいにくどれも品切れしておりまして」

「その仕入れ状況でよく店をけようと思えたものね」


 そこまで話したところでようやく〝七番さん〟、もとい七海未来は本から顔を上げてこちらを見た。さしもの無関心女でも、これだけ無礼な接客対応をされれば顔くらい見てやろうと思うらしい。


「……見覚えのない顔だけれど、新人のアルバイトかなにかかしら?」

「いやなんでだよッ!?」


 おかしいだろ、なんで覚えてねえんだよ! 昨日話したばっかだし、それ以前に俺はもう半年くらい〝甘色ここ〟でお前の接客対応もしてきたのに!? どんだけ他人に興味ねえんだコイツ!


「い、いやまあ、よくよく考えたら昨日は名乗らなかったけどさ……俺は――」

「一々名乗らなくていいわ。覚える気もないから」

小野おの悠真ゆうまです、以後お見知りおきをッ!」


 青筋あおすじを立てながら机をバンッと叩いた俺に、鬱陶うっとうしそうな瞳を向けてくる七海未来。


「……貴方、昨日の放課後いきなり絡んできた男ね」

「おーおー、思い出せたじゃねえか。そのせつはどうも。学校サボって喫茶店で優雅にお茶してるとこスイマセンね」

「仮にも〝喫茶〟を名乗るなら、コーヒーの一杯くらいは用意しておくことね」


 俺の安い皮肉など取り合う価値もないとばかりに、再び本に視線を戻す七海未来。こ、この野郎……!


「(だいたい、いつもなんの本読んでんだよコイツ……!)」


 腹を立てつつ、彼女が手にしている文庫本の背表紙を見てみる。タイトルは――〝純愛高校生物語〟。


「よりによってお前がソレ読むんかいッッッ!」


 俺の盛大なツッコミに、七海未来が先ほどと同じ目でこちらを見る。


「いつまでそこで騒いでいるつもりかしら。早く注文したものを持ってきなさい」

「うるさいんだよ、本当に白湯飲ませてやろうか! つーかお前、そのキャラでそんな本読んでんじゃねえぞ!?」

「どうして貴方からそんな因縁いんねんをつけられているのか理解わからないのだけれど」

「だから!? 人の好意を無下に扱うお前みたいな女が恋愛小説なんか読んでんじゃねえって言ってんだよ!」

「好意を無下に……? なんの話?」

「お前が昨日ラブレターをごみ箱に捨てた話ッ!」


 テンポの悪い会話に余計イライラさせられる俺。なんなのコイツ、なんで昨日の今日でそんな綺麗サッパリ忘れられんの? 俺はそのせいで丸一日、不愉快な気持ちで過ごしたというのに。


「……ああ、そういえば昨日もそんなことを言っていたわね。つまりそのラブレターは、貴方が私にてて書いたものということ?」

「だ、誰がお前みたいな性悪しょうわる女にラブレターなんか書くか!?」

「? それなら貴方はどうして怒っているの? 私がそのラブレターをどうしようと、貴方にはなんの関係もないでしょう」

「! それは……」


 確かにその通りだ。たとえばあのラブレターの送り主が俺の友人だったならまだしも、〝どっかの誰か〟の手紙がどうなろうが、俺にはまったく関係のない話である。

 しかし。


「だからって、ごみ箱に捨てられたのを黙って見てられるわけねえだろ。顔も名前も知らねえけど、アレは〝どっかの誰か〟が勇気を出して書いたラブレターなんだぞ」

「勇気? ただ下駄箱に手紙を入れるだけの行為でしょう。どこに勇気が要るのよ」

「そ、そうかもしれないけど! ……でも、やっぱり怖いもんだろ。人にす、好きって伝えるのは」


 少なくとも俺には無理だった。一〇年あっても、桃華に好きだと伝える勇気は出なかった。俺がここまで怒っている理由の根源は、つまりそこにあるのだろう。

 自分の恋のために勇気を出して行動した連中の想いは、きちんと相手に届いてほしいじゃないか。


「――理解しかねるわね」


 だがそんな俺の願いは、やはり彼女には届かなかった。


「本当に勇気のある人間なら手紙に頼らず、面と向かって好意を口にするでしょう。この物語の主人公のように」


 そう言って、七海未来は手にした小説のラストシーンを俺に見せつけた。そこにはたしかに、「君のことが好きだ」とヒロインに告げる主人公の姿が描写されている。


「これほど端的で、真っ直ぐな伝え方があるのに、手紙という形式かたちだけ。貴方の言う『勇気』は、所詮その程度のものなのよ」

「…………! た、たとえそうだとしても、頑張って気持ちを伝えようとしたんだ! 手紙を読んでやるくらいのことはしてやってもいいじゃねえか!」

「無断で下駄箱に入れられていただけの手紙よ。どうして私が、わざわざ時間をいてまで目を通さなければならないの?」

「ど、どうしてって……お前への気持ちがつづられた手紙なんだぞ!? 普通、ちょっと目を通すくらい――」

「貴方の考える『普通』を私に押し付けるのはめて頂戴。私に言わせれば、それが大切な内容だというなら直接言葉で伝えるのが『普通』よ」


 少女の正論に遮られ、俺はそれ以上言葉を重ねることが出来ない。


「――誰かが私に対して好意をいだくのは勝手よ。けれど、私にその好意を受け止めるよう求めてくるのは単なる身勝手だわ」


 七海未来の黒い瞳が俺を射抜く。その人形じみた無機質な視線は、やはりどうしようもなく恐ろしくて。


「フルーツケーキとナッツのタルト、ブレンドコーヒーをひとつずつ――それとも、まだ品切れ中かしら?」


 言外に「言いたいことはもう済んだか」と問われ、俺はぐっと唇を引き結ぶ。そして強烈な敗北感とともに、小さく頭を下げた。


「……かしこまりました」


 項垂うなだれるような一礼を残し、俺は負け犬のように厨房へ逃げ去る。

 自分の恋のために戦わなかった愚者おれは、誰かの恋のために戦っても勝てなかった。怒りに代わって心中を支配する悔しさが、口のなかで血の味になってにじんだ。

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