第一三編 未読無視

「幼馴染み……?」


 久世くせの言葉に、俺は首をかしげた。


「それにしちゃ、随分冷たい反応だったじゃねえか。『おはよう』を無視されるって相当だぞ?」

「うぐっ……」


 イケメン野郎がダメージを負ったかのように胸を押さえるが、しかし実際そうだろう。だって朝の挨拶なんて極論、知らないオジさんやオバさんからされたって礼儀として返すじゃないか。


「いや、小野おのくんもこの間、僕の挨拶を無視して通り過ぎようとしたよね?」

自惚うぬぼれるな。お前が俺のなかで、見知らぬオジさんやオバさんと同格扱いだと思ってんのか?」

「むしろ小野くんにとっての僕って、知らないオジさんやオバさん以下の存在なの!?」


 ぶっちゃけ大差ないが、まあそれはどうでもいい。


「……実は、僕は彼女――未来みくに嫌われてるみたいなんだ。昔はよく一緒に遊んだりもしたんだけど、今はまともに話もしてもらえなくって」

「(へえ、こんなイケメンにもそういう相手っているもんなんだな)」


 男の俺に詳しいことは分からないが、自分の幼馴染みが学校でモテモテのイケメン野郎だったら、女としては鼻が高かったりしないんだろうか。……いや、でも桃華も昔から男子にモテる子だったが、俺は特にそれを自慢に思わなかったな。どちらかといえば「桃華に近付くんじゃねえ」くらいに思っていた気がする。ただの幼馴染みのくせに彼氏ヅラである。


「(しかし……こうして露骨に落ち込んでるところを見せられると流石に気の毒だな)」


 沈んだ様子の久世に、俺は口元をもにょもにょさせた。いけ好かないイケメン野郎だが、こういう人並みな部分を見せられると扱いに困ってしまう。


「あー……なんというかアレだな。あの美人とは関わらないほうが無難ってことだな。まあ久世おまえであんな扱いなら、俺があの人と関わることなんて一生ないだろうけどさ」

「え……?」


 気を遣ったことを言う俺が珍しかったのか、久世が不思議そうな顔をしてこちらを見つめた。



 ★



 その日の放課後、ホームルームを終えて教室を出た俺は急ぎ足で下駄箱へ向かう。

 なにか用事があるというわけではない。ただ今日はバイトが休みなので、早く家に帰って一人の時間を満喫したいだけだ。桃華ももかの恋を叶えるための計画を練らなくてはならないし、たいバラエティー番組の録画も溜まっている。時間は限られているのだから、有効に使わないとな。

 なお、友人とどこかへ遊びに行くという選択肢はない。俺は友だちとベタベタつるむのはあまり好きではないからだ。休み時間に教室で駄弁だべるくらいならいいが、放課後まで一緒にいたいとは思わない。……別にそこまで親しい友だちがいないとか、そういうわけではないぞ。


「(ん? 下駄箱に誰かいるのか?)」


 階段をりて渡り廊下を抜けた先で人の気配に気が付く。最速で下りてきたつもりだったが、どうやら俺よりも早く帰ろうとする生徒がいたらしい。

 扉口から覗いてみると、昇降口の奥側に女子生徒が一人いるのが見えた。


「(あれってまさか……)」


 見覚えのある美しい黒髪の少女に、俺はその場で足を止めた。あの子だ。久世真太郎しんたろうの幼馴染みだという超絶美少女。名前はたしか七海ななみ未来みく、だったか。


「(…………)」


 なんとなく息をひそめて物陰に隠れつつ、七海さんの様子をうかがう俺。……今の自分を客観視すると完全に不審者だが、謎の美少女がまとう独特のオーラに気圧けおされてしまった。だってそうだろう、あのイケメン野郎でさえ道端みちばたの石コロみたいな扱いをされてたんだぞ。じゃあ俺は犬のフンかなにかか。

 そのまま行動を観察してみる。が、彼女は自分の下足入れとおぼしき場所の正面に立つと、そのまま少しの間動きを止めた。


「(……? なにしてんだ、あの子? なんか持ってるみたいだけど……)」


 よくよく見ると、七海さんの手の中には複数枚の紙片があった。あれはプリント……いや、便箋びんせんか?


「…………」


 結局一〇秒ほど動きを止めていた彼女は、無表情のままその便箋たちを手近なごみ箱にほうり捨て、靴を履き替えて歩き去っていった。


「(な、なんだったんだ、いったい……?)」


 物陰から出た俺は、彼女がなにかを捨てていったごみ箱の前までやって来た。見てみると、捨てられたのはやはり手紙のようである。何通かあり、なかにはかなりしっかりした封筒に包まれているものもあった。ただ分からないのは、封筒入りのものがすべて、封が切られていない状態のまま捨てられていること。


「(中身も見ずに捨てたのか? というかなんの手紙だよ、コレ)」


 どうにも気になってしまい、三つ折にされている手紙を一枚、ごみ箱から拾い上げてみる。人から人へ送られた手紙を勝手に読むなど褒められた行為ではないが、まあこんなところへ無造作に捨てるくらいだし、どうせ大した内容ではな――



『一目見た時からあなたのことが好きでした。僕と付き合ってください』



「!?」


 それは、いわゆる〝ラブレター〟だった。説明不要、誰かに対する想いがつづられた手紙だ。精一杯の丁寧さがにじんでいる手書き文字で、紙面いっぱいにしたためられた愛の言葉。

 なかには過剰だと思えるほどの表現ももちいられており、初めて手にした恋文こいぶみの重みに、俺はすぐさまそれを手離してしまった。


「(もしかしてコレ、全部ラブレターか……!? ど、どうして――)」


 衝撃のあまり視界が揺れる。

 七海さんあてに複数枚のラブレターが贈られたことが理解不能だったわけではない。むしろ彼女ほどの美人なら恋文の一枚や二枚、贈られないほうが不自然だろう。


 ただ、理解出来ない。どうして彼女は――恋文それを読みもせずに捨てたんだ?


「なんで……なんでだよ……!?」


 俺はなぜだか無性に悔しい気持ちで一杯になっていた。他人から贈られた恋文を読みもせず、ましてやあんな無造作にごみ箱へ捨ててしまうなど、俺には考えられない行動だったからだ。

 俺は別にこのラブレターの送り主たちの知り合いでもなんでもないのに、それでも妙に悔しくて、そして悲しかった。


 だって彼等は、少なくとも行動したではないか。

 一〇年もの間、ただ桃華ももかのことが好きだっただけの俺とは違う。七海さんへの気持ちを文字に込め、想いを伝えようとしたのに。

 きっと勇気を振り絞って、彼女の下駄箱に手紙を入れたに違いないのに。


 ――その結果がなんて、あんまりじゃないか。


 役目を果たせなかった恋文たちを見下ろしていた俺は、やがて拳をぎゅっと握り固めると、急いで靴を履き替えて昇降口を飛び出した。


「七海さんッ!!」

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