第一二編 静寂の廊下

 俺が桃華ももかの恋を応援すると決めたあの日から、およそ一週間が経過した。

 大切な幼馴染みの初恋だ。そのせいで俺自身が失恋することになったとはいえ、叶えてやりたいという気持ちも嘘ではない。

 だから俺はこの一週間、脳みそをフル回転させて作戦をった。桃華とあのイケメン野郎をくっつけるための作戦を。もしかしたら人生で一番頭を使ったかもしれない。授業中も、バイト中も、寝ても覚めても。「桃華のためだ」と己に言い聞かせながら、彼女の初恋を成就させる方法を模索もさくし続けた。

 そして、俺はとうとう考え至ったのだ。


「(恋愛って、どうやったら上手くいくんだろう……)」


 ――じぶんには、まったく恋愛成就キューピッドの才能がないという事実に。

 考えてみれば、俺は自分の初恋でさえなにも出来ないまま終わってしまった男なのだ。他人同士の恋を叶える、などという高等技術が備わっているはずもない。


「くあぁ……クソ、俺がもっと頭良けりゃなあ」


 熱意だけではどうにもならない問題に、欠伸あくびを噛み殺しつつ呟く。昨夜、遅くまで起きていた弊害へいがいの寝不足だ。その割に良い策はひとつも浮かばなかったのだから、嘆きたくもなるというものである。


「あっ、おはよう、悠真ゆうま!」

「!」


 後ろから掛けられた明るい声にビクッと全身を強張こわばらせる。振り向けば、可愛い幼馴染みこと桐山きりやま桃華がひらひらと手を振りながら歩いてくるところだった。


「お、おはヨう、桃華」


 平静をよそおいつつ――若干声が裏返った気がしなくもないが――言葉を返した俺に、「寒くなってきたねえ」と微笑ほほえむ桃華。大丈夫だよな? 変な声を出してしまったことを笑われているわけじゃないよな? この子はいつもニコニコしているので、こういう時に感情を判別しづらくて困る。

 それにしても、このところ桃華と話す機会が多いように感じる。少し前までは週に一回話せたらラッキー、くらいだったのに、最近はほぼ毎日会話しているのではなかろうか。

 既に失恋した後だとはいえ、こうして話せるのは俺的にはやはり嬉し――


小野おのくん、おはよう! 今日は早いんだね!」

「ぴゃあっ!? く、くくく久世くせくんっ!?」

「あっ、桐山きりやまさんも、おはよう!」

「おっ、おおお、おはようございマスぅぅぅぅぅッ!?」


 呼んでもいないのに廊下に現れたイケメン野郎の顔を見たとたん、顔を真っ赤にして廊下を走り去っていく桃華。…………。


「どうしたんだろう? 凄い勢いで行っちゃったけど、まだ始業のチャイムまで時間はあるのにゲフッ!?」

「おはよう、久世クン」

「ど、どうして朝の挨拶と一緒に僕の脇腹へ手刀しゅとうを食らわせるんだい小野くん……」

「桃華が廊下を走ったバツだ」

「その罰が僕にくだる意味が分からないよ小野くん……」


 嬉しい時間を強制終了させられた苛立ちをイケメン野郎の横っ腹にぶつけたところで、俺は内心でため息をこぼした。彼女があの調子であるがゆえ、作戦らしい作戦が立てられない部分もあるのだ。どうにか久世と巡り会わせたところで、「ぴゃあっ!?」の断末魔とともに逃げ去っていく未来みらいしか見えない。


「(それにしてもこの野郎、あんだけ分かりやすい桃華の気持ちにもまったく気付いてないっぽいな……)」


 鈍感だとは思っていたが、ここまでくると馬鹿の域だ。人から好かれすぎるあまり、その辺の感覚が麻痺バグってるんじゃないだろうか。

 意識してみると、遠巻きにこちらを――正確には登校してきた久世の姿を見つめている女子生徒があちらこちらにいる。「邪魔な男子おれが消えたら声を掛けに行こう」と狙いをつけているのではという疑心暗鬼にさえおちいりそうだ。天邪鬼あまのじゃくを発動させ、チャイムが鳴るまで久世コイツの隣を占領せんりょうしておいてやろうか。


「ど、どうしたんだい、小野くん? なんだかすごく邪悪な顔をしているけれど」

「フン、邪悪? 邪魔? 上等だ。俺だって幸せな一時ひとときを妨害されたんだから、テメェらだけ望み通りの結末を迎えられると思うなよ。こうなりゃ全員道連れだ、誰一人幸せにはなれない悪平等ビターエンドの世界へようこそ」

「いや全然意味が分からないよ!? なんで朝も早くから闇堕ちしているんだい!? 今日の小野くん、いつも以上におかしいよ!」

「『小野くんはデフォルトでおかしい』みたいな言い方やめろ」


 騒がしい朝の廊下で俺と久世が言い合っていた、その時だった。


「――――」


 ――突然、廊下から音が消えた。

 いや、消えたのは声か。「おはよう」の挨拶も、同級生とのくだらない雑談も。一年生フロアの廊下に響いていたありとあらゆる声が、その瞬間をさかいに消えた。

 一体何事かと周りを見回すと、生徒たちはまるで向日葵ひまわりのように同じ方向を向いたまま固まっている。そして俺もそちらへ目を向け――同様に固まる。


 静寂せいじゃくの廊下を歩いてくるのは、たったひとりの女子生徒。

 学園指定の制服姿に、同じく学園指定の上履き、学園指定の学生鞄。高校生として何一つ逸脱したところのない彼女は、しかしこの場において明らかに異端だった。


「――綺麗」


 先ほどまで久世に夢中だった女子生徒から呟きが落ちる。そしてそれは奇しくも、俺が今抱いていた感情と完全に一致していた。


 ――俺は人生で初めて〝桃華よりも可愛い女〟を見た。


 透き通るように白い肌。われていない、絹のように流れる黒髪。

 どこかうれいをびた黒瞳こくどうは周囲の様子になど興味もないかのように、ただまっすぐ、その手に持った一冊の本へと向けられていた。

 そして精緻せいちな顔立ちをした彼女に、場の全員が声を発することも忘れて見惚みとれている。

 比喩ではなく、〝人形のよう〟という表現がピタリと当てはまる。


「(な、なんだありゃ……本当に人間かよ……!?)」


 ごくり、と思わず生唾なまつばを飲み込む。美しい日本人形を前にしたときにも似た、形容しがたい恐怖が心ににじむ。

 それほどまでに、その少女は現実離れした美しさを備えていた。


「お……おはよう、未来みく

「!?」


 人形の少女に声を掛けたイケメン野郎に驚愕きょうがくする俺。ま、マジかコイツ、こんな超絶美少女ともやっぱり知り合いなのか!?

 どこか緊張した面持おももちの久世からの挨拶に対し、謎の美少女はといえば――


「――――」


 ほんのわずかな冷たい一瞥いちべつ。桃華や他の女の子たちならば頬を染めて喜ぶ状況シチュエーションだというのに、彼女はまるで路傍ろぼうの石でも見下みおろすかのように、ただ無関心な視線を向けただけだった。

 結局謎の美少女は「おはよう」と返すこともせぬまま歩き去ってしまい、彼女の姿がどこかの教室へ消えてからようやく、俺は「ぶはあっ!」と息を吐き出した。どうやら知らぬに息を止めてしまっていたようだ。


「び、ビビった……誰だ、あの子。あんな美人、うちの学年にいたか?」

「……うん」


 俺が問うと、どこか悲しげな表情をしたイケメン野郎がひとつ頷く。


「彼女の名前は七海ななみ未来みく――僕の幼馴染みだよ」

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