第九編 「恋愛劇の愚者」

 久世くせ真太郎しんたろうが主役をつとめる物語は、言ってしまえばありふれた恋愛劇だった。

 とある国の王子様が身分違いの村娘と恋に落ち、周囲からの反発・反感を買いながらも愛を深めていく話。王子の許嫁いいなずけである貴族や村娘に恋する男、国の将来をうれう大臣など、二人の前には様々な障害が立ち塞がるのだが、それでも互いを諦められない王子と村娘は、とうとう遠方の異国へ駆け落ちすることを決める――というのがここまでの粗筋あらすじだ。


 ストーリー自体はありきたりなものの、ではつまらないのかと問われれば答えは「いな」である。

 身分違いの恋をえがいた物語は当然深刻シリアスな展開が多くなるはずだが、今回の劇はそういった場面シーンに上手くコメディー要素を散りばめることで、大衆万人に受け入れられる絶妙な塩梅あんばいに仕上がっていた。観客ターゲットは俺や桃華ももかのような普通の高校生なので、それに合わせた構成にしてあるのだろう。脚本家の手腕がうかがえる……いや、演劇のことなんか全然分からんけども。


 見回してみれば、最初は王子様の登場にキャーキャー言うばかりだった久世目当ての女子生徒たちが、固唾かたずを飲んで物語の行く末を見守っている。舞台は既に佳境を迎えた。王子が村娘をかけて、噛ませ役の男と決闘するシーンだ。


『俺が勝ったら、村娘コイツはオレがいただいていくぜッ!』

『いいだろう! だが私が勝てば、もう二度と我々の前に現れないことを約束してもらうぞ!』


 王子と男の持つ剣がぶつかり、けたたましい金属音が第二体育館に響き渡る。両雄一歩も退かぬ、凄まじい激闘だ。

 いや、もちろんあの剣戟けんげきあらかじめ設定された動きをなぞっているだけだと分かっている。ギリギリとしのぎを削るこの音だって、二人の動きに合わせて音響係が出しているものに過ぎない。武器だって刃など付いていない模造品レプリカだろう。

 しかし、だからこそこの決闘の迫力に皆が圧倒されていた。ここにいる誰もが、彼らの動きは芝居だと分かっているのに。分かっていてもなお、彼らが本当に一人の女性を巡って争っていると思わされてしまうのだ。


 そんな激闘の熱気に包まれる第三体育館。誰もが「王子、頑張れ!」とこぶしを握り込む中で――唯一俺だけは、冷めた視線を噛ませ役の男にそそいでいた。


「……『かなわねえ』って、思わなかったのかよ」


 自分にも聞こえない極小の呟きがこぼれる。それは、単なる村人に過ぎないあの男が一国の王子へいどむ無謀さへ向けられた疑問符だった。

 相手は「王子様」だ。きっと様々な英才教育を受けてきたのだろう。剣の腕前だって、農具ばかり握ってきた村人おまえとは比べ物にならないはずだ。そもそも、王子と村人が同レベルの得物えものを持っているはずがない。王子の武器を「剣」と呼ぶなら、村人が握るソレは「びついた鉄塊てっかい」がイイトコだろう。

 つまり、この決闘は「負け戦」なのだ。勝てるはずがない、負けて当然の戦い。事実、男は王子に剣をはじかれ、その場に崩れ落ちてしまった。


「(ああ、ほら、負けた)」


 村娘の前で――惚れた女の目の前で無様ブザマに負けた。しかも村娘は悲しむどころか、愛する王子様の勝利に涙を浮かべて喜んでいる。そりゃそうだ、最後の障害が取り除かれた二人はこれから駆け落ちし、幸せいっぱいの日々を過ごしていくんだから。

 圧倒的格差のある相手に命をけて挑んだ愚かな男は、そのまま舞台から姿を消した。きっと観客はスポットライトが集中する王子と村娘を祝福するのに夢中で、あんな脇役の存在ことなど既に忘れてしまっているだろう。

 噛ませ役の男だけではない。許嫁の貴族も、将来を憂う大臣も、きっと観客の記憶には残っていない。彼らは演劇の盛り上げ役であり、脇役であり、使い捨ての舞台装置だ。場面場面で的確に主人公たちの行く手を遮り、派手に敗北すればそれでいい。観客オーディエンスに勝利の快感を与えられればそれでいい。大切な許嫁を失った貴族家の行く末も、世継よつぎが出奔しゅっぽんした国の将来も――惚れた女を奪われた男の悲痛も、すべてどうだっていい。

 そんなもの、王子と村娘の幸福のためならいくらでも犠牲になればいい。主役が幸せになるならそれでいい。演劇とはそういうものだ。なぜならこれは、創作物フィクションなのだから。


 けれど。


「(現実の恋愛は――そうはいかねえんだよ)」


 隣を見る。王子の勝利に感動の涙を浮かべる、幼馴染みの横顔を。

 そうだ。現実の恋愛にご都合主義などない。王子と村娘が運命の出会いを果たすことなどないし、噛ませ役が登場して気持ち良く負けてくれたりしない。


 現実の恋愛は、決して劇的ではない。


 どれほど強く恋慕おうが、どれほど長く想い続けようが、それらは決して恋愛の勝利を担保しない。

 好きな人が、自分のことを好きになってくれるとは限らない。

「好きだ」と伝えることすら難しい。

「好きだ」と伝えることすら出来ないかもしれない。

 ただ静かに、激痛を伴う失恋を迎えることだってあるだろう。


「(……桃華ももかは、この痛みにえられそうにないな)」


 創られた物語で涙を流しているこの子がこんな激痛を受けたら、きっと泣いてしまうだろう。

 痛くて、苦しくて、悲しくて泣いてしまうに違いない。


「(そんなのは……嫌だな)」


 桃華の泣き顔なんて見たくない。

 好きな女の子が悲しむ姿なんて見たくない。

 大切な幼馴染みには、いつも笑っていてほしい。

 この子は、俺にとっての主役ヒロインだ。だから――


「(主役ももかが幸せになれるならそれでいい)」


 たとえその相手が俺でなくとも、彼女が笑っていられるなら。

 彼女の幸福のためなら、俺の恋慕などいくらでも犠牲になればいい。

 桃華の人生をひとつの劇とするならば、主役は彼女と久世真太郎だ。

 だったら俺は、あの愚かな噛ませ役の男のようになろう。

 場面の盛り上げ役に、取るに足らない脇役に、使い捨ての舞台装置になろう。


「(俺が――この子の初恋を叶えてやる)」


 拍手喝采の第二体育館で、俺は遅れて拳を固める。

 主役は学園が誇るイケメン王子。ヒロインは可愛くて心優しい幼馴染み。

 だったら俺も、なってやるさ。救いようのない脇役に。


 「恋愛劇の愚者」に。

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