第七編 招待状

「あっ、おはよう、小野おのくん!」

「…………」


 翌日の朝。五段階中マイナス一〇くらいのテンションで登校してきた俺の耳に、聞き慣れたくもない爽やかボイスが入ってきた。無言のままそちらを一瞥いちべつしてみると、そこには案の定イケメン後輩アルバイトこと久世くせ真太郎しんたろうが、笑顔でこちらに手を振っている。

 俺は手を振り返すことはせず、そのままさっさと廊下を歩き去った。


「小野くん!? どうしてなにも言わずに通り過ぎようとするんだい!?」


 訂正。歩き去ろうとしたが、背後からイケメン野郎が肩を掴んできたので出来なかった。俺は舌打ちをひとつ落とし、肩を掴むその手を力ずくで振りほどく――ことも出来なかった。こ、この野郎、意外なほどの腕力をしていやがる。今見せた瞬発力といい、どうやら「スポーツも万能」という噂にいつわりはないらしい。

 俺はもう一度舌打ちをしつつ、肩越しに彼のほうを振り向いた。


「なんだよ?」

「いや『なんだよ?』じゃないよね!? 挨拶をしたのに無視するなんてひどいじゃないか! ビックリしたよ僕!」

「なにがひどいんだ。頼んでもないのに馴れ馴れしく挨拶してくるからだろ。俺は軽々しい客会釈ファンサはしねえ主義なんだよ」

「塩対応にもほどがあるよ!? というか、僕はいつから小野くんのファンになったんだい!?」

「いいじゃねえか。今なら年間五〇〇円で会員ナンバー〝1〟になれるぞ」

「ナンバー〝1〟って、まだ僕以外に一人もいないじゃないか! ま、まあ五〇〇円ならなってもいいけど……」

「そうか。じゃあ店長に言って、来月の俺の給料から五〇〇円分、お前の給料に足しといてもらうわ」

「『年間五〇〇円で』ってそういうこと!? 『五〇〇円あげるからファンになってね』って意味!? 嫌だよ、お金もらって客会釈ファンサされる偽客サクラ役なんて!?」

「は? 誰もそんなこと頼んでねえよ。言っただろ、『軽々しい客会釈ファンサはしねえ』って」

「それじゃあ僕、ただただ五〇〇円貰って会員ナンバー〝1〟を与えられただけの人になっちゃうけど!?」

「お、おう、そうだな……っていうかコレ、なんの話? なんで俺たち、朝っぱらから廊下のど真ん中でこんな話してんだ?」

「僕が聞きたいよ! 普通に『おはよう』って言ってほしかっただけなのに、こんな長丁場になるとは思いも寄らなかったよ!」


 心の底から無駄な時間だった。

 ツッコミ疲れたのかゼエハアと肩で息をする久世に、俺はようやく彼に向かい直って「で?」と話をうながす。


「いったいなんの用だ? お前が俺に挨拶してくるなんて、よっぽど重大な用件なんだろ?」

「いや、宿敵じゃないんだから挨拶くらい普通にさせてほしいんだけれど……でも重大かどうかはさておき、小野くんに用件があるのは本当だよ。これを渡したかったんだ」

「? なんだコレ、プリント……いや、チラシか?」


 イケメン野郎から手渡されたのは、B5サイズの用紙に印刷された招待状らしきものだった。内容を見てみると、女子の直筆とおぼしき字で「今週末、演劇部の発表会を行います! ぜひに来てください!」と記載されている。

 怪訝けげんな表情を浮かべていると、「実はね」と久世が説明を切り出した。


「昨日少しだけ話したと思うけれど、僕は演劇部に所属しているんだ」

「…………」


 久世の言葉に昨日の出来事を思い出してしまい、思わず無表情になってしまう。

 結局あれから、久世と桃華ももかが会話するタイミングはほとんどなかった。俺がなにかしたというわけではない。単に久世目当ての客は彼女だけではなく、そちらの対応に追われて業務的なやり取りしか出来なかっただけだ。……無論、そのことに少しホッとした自分がいたことも事実だが。


「小野くん? 聞いてるかい?」

「! あ、ああ。それで、演劇部がどうしたって?」

「うん。今週末の夕方四時半から、うちの部で演劇の発表会をするんだ」

「へえ」

「だから親睦しんぼくも兼ねて、ぜひ小野くんに僕たちの演劇を観に来てほしくて」

「なるほど」

「どうかな? 今回の演目はコメディー多めの恋愛ものだから、演劇に興味がなくても楽しんでもらえると思うんだけれど」

「分かった。行かない」

「それは良かっ――って、ええっ!? き、来てくれないのかい!?」

「うん」

「当たり前のように即答するんだね!?」


「ビックリしたよ僕!」と久世が声を上げる。朝の挨拶を無視された時点で、俺を誘っても無駄だとは思わなかったのかコイツは。


「あ、もしかして週末もバイトのシフトが入ってるのかい?」

「いや? バイトは休みだけど」

「じゃあ、もう他になにか予定があるとか?」

「いや? 特に予定はないけど」

「そ、それなら僕たちの演劇を観る時間もあるんじゃ?」

「時間はあるよ」

「……『時間はある』けど?」

「行かない」

「一番悲しい断られ方だよソレ!?」


 悲しみに暮れて情けない顔をするイケメン野郎。しかし、考えてもみてほしい。なにが悲しくて、たまのバイト休みに友だちでもなんでもない奴らの素人劇を観覧しに行かなきゃならないんだ。


「(しかも恋愛劇って……くだらねえ)」


 野暮は承知で言わせてもらうが、演劇など所詮はご都合主義の創作物フィクションである。それにハイファンタジーな御伽噺おとぎばなしならまだしも恋愛劇なんて、現実リアルの恋愛で打ちのめされたばかりの俺が観たところで楽しめるはずもない。


「そっか……小野くんにも観に来てほしかったんだけど、興味がないなら無理に誘うのも悪いよね。また今度、もし気が向いたら観に来てくれると嬉しいな」


「じゃあ、もうすぐホームルームだから行くね」と小さく手を振って、久世は自分の教室へと戻っていった。その途中で、彼がため息とともにしょんぼりと肩を落としたような気がする。……いくら恋敵てきみたいなものとはいえ、ああも露骨に落ち込まれると流石に罪悪感が芽生えるな。

 しかし、それでも「仕方ねえなあ、観に行ってやるよ」とはならない。たとえばそう、俺になにかひとつでもメリットがあるなら別だが――


「あ、悠真ゆうま! おはようっ!」

「!」


 チラシを片手に棒立ちする俺の背後から、聞き慣れた声が掛けられる。驚いて振り返ってみると、そこにいたのは優しくて可愛いうちの幼馴染みこと桐山きりやま桃華だった。

 いつもの笑顔で手を振りながら駆け寄ってくる元気な幼馴染みに、俺はさっきまでの超絶ローテンションも忘れて「お、おはよう」と返す。言うまでもないが、久世と違って桃華には塩対応など絶対にしない。


「昨日はありがとね、悠真! あのお店のケーキ、ちょっと高いけど美味しいよね!」

「そ、そうか? じゃあ店長にそう伝えとくよ。きっと喜ぶと思うから」

「うん、そうしてくれる? えへへ」

「(可愛い)」


 俺が惚れた女の可愛さを改めて実感していると、桃華は「あれ?」と俺の手に握られているチラシに興味を示した。


「そのチラシ、演劇部の?」

「ん、ああ。さっき無理やり渡されてさ」


 行くつもりはないんだけど、と続けようとした俺の言葉は、しかし桃華が発した「そうなの!?」という元気のいい声にかき消される


「私もやよいちゃんにもらって、観に行こうと思ってるんだ! 悠真、よかったら一緒に行かない?」

「…………」


 訂正。

 久世クン、誘ってくれてどうもありがとう。

 演劇、楽しみにしてます。

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