第六編 不器用

甘色あまいろ〟に入店してきた我が幼馴染み――桐山きりやま桃華ももかは、傍目はためから見ても丸分かりなほど緊張している様子だった。顔は真っ赤、身体はプルプル震えている彼女を見て、付き添いでやって来たのであろうもう一人の幼馴染み・金山かねやまやよいが「やれやれ」とばかりに嘆息している。

 そんな彼女らに対してこのイケメン野郎はといえば、アルバイト初日のくせに既に手慣れた雰囲気で爽やかに言った。


「はい、いらっしゃいませ! 二名様で宜しいでしょうか?」

「ふぁっ!? ふぁいっ!? ききっ、桐山桃華といいますっ! 宜しキュお願いしまふっ!」

「えっ」


 突然自己紹介を繰り出した来店客に、久世くせの接客スマイルがほんの一瞬だけ硬直した。

 接客も後片付けも、俺が雑に教えただけで即座に覚えやがったこのハイスペック野郎でも、「入店と同時に客から自己紹介された際の対処法」まではインプットされていなかったらしい。そりゃそうだ、だって教えてないもん俺。というかねえよ、そんなマニュアル。なんで喫茶店員相手に自己紹介かましてんだ桃華コイツは。「宜しキュお願いしまふっ!」ってなんだ。

 ツッコミどころが多すぎる客を前に、しかしイケメン野郎は一瞬の硬直スタンから立ち直ると同時に「ご、ご丁寧にありがとうございます」と言った。


「新人アルバイトの久世と申します。どうぞ宜しくお願いします」

「はわっ!? はははいっ! 存じ上げておりますっ!? ここっ、これからも頑張ってくださひっ!?」

「は、はい。ありがとうございます」

「そ、それじゃあ私たちはこれで――」

「失礼しようとするな」

「ぐゲふっ!?」


 耐えきれなくなったのかきびすを返して立ち去ろうとした少女の鳩尾みぞおちに、状況を静観していた金山の肘鉄が炸裂した。およそ女子のものとは思えない奇声とともに、桃華がその場に崩れ落ちる。……喫茶店の出入り口でなにやってんだ、こいつらは。さしもの久世も、心做こころなしか引いているように見える。

 そんなアルバイト二名の心境をよそに、金山は片手でピアスをいじりながら「アンタねえ」と桃華を見下ろした。


「せっかく付き合ってあげたのに、いきなり帰ろうとしてんじゃないわよ」

「だだだだって!? いきなり本人とお話出来るなんて思ってなかったんだもん!? 私は店の外からちょっとだけ見て帰るつもりだったのに!」

「なにしに来たんだアンタは。遠くから見るだけなら学校と変わらないでしょ」

「そ、それはそうかもしれないけどっ……! でも」

「『でも』じゃない。私の貴重な放課後の時間を使うからには、見て帰るだけなんて許さない」

「や、やよいちゃんの鬼っ! 悪魔っ!」

「なんとでも」

「……おい、お前ら」


 目の前で言い争う幼馴染みズに、ここまで発言を控えていた俺も嫌々ながら会話に参加する。


「いつまでそこで揉めてんだよ。入るか入らないかハッキリしろ。他のお客さんに迷惑だろ」

「ち、ちょっと小野おのくん!? お客様相手にそんな言い方は――」

「いやいいんだよ。俺の知り合いだから、コイツら」


 二人をしつつ言うと、久世は「そうだったのかい!?」と驚きの表情を浮かべた。次いで、慌てて身体を起こしたのは桃華だ。


「ご、ごめんね、悠真ゆうま!? 騒がしくしちゃって……!」

「ああ、忘れてた。そういや小野アンタもこの店で働いてたんだっけ」

「ついこないだ来たばっかなのに忘れてんじゃねえよ」


 というかずっとここに立ってたのに認識されてないって、どんだけ俺に興味ねえんだよ。別にいいけど。

「一応幼馴染みのはずなんだけどなあ」と思っていると、金山は久世のほうへひらっと手を上げてみせる。……ん?


「久世くんもごめんね。バイト始めたばっかなのに、いきなり来てうるさくしてさ」

「ううん、大丈夫だよ金山さん。わざわざ来てくれてありがとう」

「……んん? えっ、久世と金山おまえら、知り合いだったのか?」

「まあね」

「僕たち、二人とも演劇部なんだ」

「マジで!?」


 マジかよ。まさかの久世そこ金山そこ、知り合いなのか。

 しかし同時に納得も出来る。なるほど、それで前回も今回も二人一緒にこの店に来ていたわけだ。

 金山が久世と顔見知りなら――自然と、久世と桃華の橋渡し役になれるから。


「…………」

「とりあえず、お席までご案内しますね。こちらへどうぞ」


 黙り込む俺を差し置き、イケメンスマイルを浮かべた久世が席への案内を始めた。「は、ひゃいっ!」と返事をする桃華、「ん」とどこか偉そうに頷いた金山がその後ろに続く。


「こちら、メニュー表とお冷やになります。ご注文がお決まりになりましたら、お声掛けくださいませ」

「か、かしこまりましたっ! その時は何卒よろしくお願い致しますっ!」

「なんで桃華アンタまで堅苦しい敬語になんのよ」


「…………」


 爽やかイケメンと赤面幼馴染みが言葉を交わしている光景を見て、俺は無言のまま、邪悪なことを考える。

 もしもこの後、桃華たちの接客をすべて俺が担当したら。

 桃華が久世と話す機会チャンスを、すべて妨害することが出来たら。

 そうすれば、桃華はあの男のことを諦めてくれるんだろうか。

 そうすれば、俺に挽回の機会チャンスが回ってくるんだろうか。

 そうすれば――


「それでは、失礼致しますね」

「は、はいっ! ……えへへ」


 ――あの幸せそうな笑顔が、曇ってしまうんだろうか。

 この一〇年間、ただの一度として俺に向けられることはなかった〝女の顔〟で笑う彼女の表情が。


「……出来るわけ、ねえよ」


 そんな胆力も、度胸もない。

 そんな器用な真似が出来るなら、一〇年も片想いなどしてこなかった。


「(そんなこと、もう分かってんだよ)」


 俺の胸の最奥に、耐え難い激痛が走り抜けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る