第三編 学園の王子様
〝モテる男〟は
世の全男性がそう感じているとまで言うつもりはないが、しかし多くの男はそういうものだろう。同級生から人気がある男、先輩に可愛がられている男、後輩から慕われている男。他にもいろいろあるだろうが、とりあえず異性から好意を向けられている男はそれだけで羨ましい。特に俺のように、クラスメイトの女子と話す機会すら少ない男からすれば尚更だ。
しかし、俺は考える。
「あっ、おはよう、
「おはよう。うん、そろそろ発表会だからね」
「お疲れさま、久世くん! 喉乾いてない? あたし、飲み物持ってるよ!」
「マネージャーさんが用意してくれたから大丈夫だよ。わざわざありがとう」
「おはよ、久世くん。あら、前髪がちょっぴり乱れてるわよ? 直してあげるわ。……これでよし。ふふっ、今日も素敵ね」
「すみません、先輩。先輩のほうこそ、いつも素敵ですよ?」
「きゃーっ、久世先輩っ! さっきの練習見てましたっ! お芝居も台詞もすごく格好よくて、ヒロイン役の女の子が羨ましかったです~っ!」
「演出や脚本の人が一生懸命考えてくれたものだから、そう言ってもらえると嬉しいな。週末に本番を
「(……すげえな。嫉妬心って、一周すると逆になにも感じなくなるんだ)」
目の前に広がる光景――とあるイケメン一人に対し、同級生や先輩後輩の女子が次から次へと話し掛けにいくさまを、俺はいっそ穏やかな心持ちで見ていた。ここまでくると、もはや妬みも
そんな馬鹿な思考に至ってしまう程度には、あのイケメン野郎・久世
積極的な女の子は直接声を掛けに行き、消極的な子たちは彼の姿を遠巻きに眺めながらひそひそと言葉を交わす。彼女らの頬は一様に、淡い紅色に染まっていた。
「……こないだまでは、なんとも思わない光景だったのにな」
ぼそりと呟く。
いや、「なんとも思わない」は嘘だ。一昨日までの俺ならば、あのモテモテイケメン野郎に対し、嫉妬心や
だが、逆に言えばその程度だ。「羨ましい」と思いはすれど、それ以上の感情を抱くことはなかった。例えるならば、ファンからキャーキャー言われている男性アイドルをテレビ画面越しに見ている感じ。俺とはまったく関係のない、他人と他人の話だった。
でも、今はもう違う。
「…………羨ましいな」
前言撤回。あのイケメン野郎が羨ましい。
俺が一〇年想い続けた女の心を奪い去ったあの男が妬ましい。
俺のたった一人の想い人が、あの男を囲う有象無象の一部になってしまったことが悔しい。
悔しくて――悲しかった。
「……もう行くか」
背負うリュックサックの重みに、自分の教室へ向かう途中だったことを思い出す。ちなみにここは久世が所属する特待生クラス・一年一組の前だ。顔が良くて女にモテて、その上さらに秀才だなんてふざけているのか。俺の属する一年五組までの距離がそのまま彼との格差を表しているかのようで、一層心が沈み込む。
もうあの野郎のことなんて考えたくもないと、俺が現実から目を
「あっ、そこにいるのは
「!」
後方から掛けられた男の声に立ち止まる。まさかと思って振り返れば、あのイケメン野郎が一年一組の教室から出てくるところだった。
「おはよう、小野くん! 今日からよろしくね!」
「は、はあ? 『よろしく』って……なんのことだよ?」
今の今まで、というか現在進行形で女子生徒の注目を集めている男に呼び止められたことに若干ビビる俺。久世の背中を追いかける視線の群れは、当然のごとく俺のほうにも突き刺さる。
「ちょっと誰よアイツ」という幻聴が脳裏を流れるなか、久世はこちらの心境などお構いなしに、爽やかな笑みを浮かべて言った。
「僕、今日から〝
「!?」
ちょっと待て、今なんて言った? もう一回言って?
今日から俺の後輩バイトになる? 昨日の夜いきなり現れ、仕方なく店長に会わせたばかりの
そんな俺の心の声は、しかし周囲から沸き上がる黄色い声によってかき消された。
「えーっ!? 久世くん、バイト始めるってホント!?」
「そんなあっ!? 演劇部のほうはどうするつもりなの!?」
「大丈夫だよ。稽古とアルバイトの時間は被らないように調整するから。土日と基礎練習の日をバイトに当てるから、部活に出られる日はちょっとだけ減ると思うけど」
「それでも十分寂しいよ~っ!」
「でもでもっ、久世くんがバイトしてるところは見てみたいかも……!」
「わかる! どんな制服でも似合いそうだし、どんなお仕事でも簡単にこなしちゃいそうだよね!」
きゃっきゃと盛り上がる女子連中を困ったような表情で見つつ、イケメン野郎改め後輩バイト野郎が言う。
「そういうわけだから小野くん、今日からよろしくね?」
そういうわけだからって、どういうわけだよ!?
俺の心の叫びは、やはり周囲の喧騒に呑まれて消えた。
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