第15話 王都へ
その日、ルイン伯爵領領都ルビンスでは、朝から異様な緊張感に支配されていた。
きっかけは、昨夜訪れた早馬だ。
近隣の村から来た使者は、王妹にして宮廷魔術師であるシスティアの手紙を持って来た。
手紙を受け取ったルイン伯爵は、手紙を読んで大いに驚いた。
システィアが戻ってくるからだ。
アンチブンに行くには、この街を必ず通るので伯爵は王妃一行とは出会っている。
その時の様子は、死出の旅路に行くような暗い顔をしていた。
そのままアンチブンに引きこもってしまうかと思えるほどだ。
それなのに戻って来るのだ。
しかも、対魔王用の秘密兵器を引っさげて。
このような知らせを受けて、気が動転しないわけにはいかなかった。
件の兵器がどれほどの物か気になった伯爵は、昨夜はよく眠れなかった。
そのためか、朝早くから外壁の上に立って今か今かと待ち構えてしまう。
しかし、せっかくの意気込みに反して、一行が訪れたのは昼をすぎた後だった。
「伯爵、こちらに怪しい者が近づいて来ます」
遠見をしていた兵士の一人が異常を知らせる。
イライラして同じところを行ったり来たりしていた伯爵は、知らせを聞いて急いで兵の元へと駆け寄る。
連絡をして来た兵士は、兵舎の中で誰よりも目がいいことを自慢している男だ。
そのため、伯爵の目には指し示す先にあるものが、まだゴマ粒にしか見えない。
「ど、どれだ!」
「あれです」
平均的な視力しかない伯爵が、根気よく目を凝らし続ける。
すると見えて来る。平地を歩く人の姿を。
「あれは、なんだ?」
自分の目でも何が来ているのかわかると、伯爵は訝しげにつぶやく。
黒い鎧を着ている騎士が近づいて来るのが見えた。
部下の言う通り怪しい奴だと思わせる雰囲気を持っている。
右手には旗のついた長竿を持っている。
旗の模様は青い小鳥をあしらっいる。間違いなく我が国の国旗だ。
ならば、あの黒騎士がシスティアで、身に纏っている黒い鎧が秘密兵器なのだろうか。
「今さら鎧一つで何ができるのだ」
秘密兵器を見た正直な感想をこぼしていると、兵士が続けて報告してきた。
「後ろから馬車が続いてきます。しかし、何かおかしいです」
「何かとは何だ!」
曖昧な報告をする部下に苛立ちを感じて、伯爵は部下を叱りつける。
「それは、その…。馬車より騎士の方が大きく見えます!」
我が目を疑って言い淀む兵士だったが、やがて意を決して見たままを告げる。
「何だと!」
騎士の後ろには馬車が二台続いているのが見えた。
伯爵は、部下の言葉が真実かを確かめるため、騎士と馬車をよく見比べる。
すると、どちらの馬車も騎士の膝下ぐらいにしかないように見える。
一瞬、小人の馬車が訪れたのかと、バカな考えをめぐらしてしまう。
しかし、黒騎士の威容を見て道を開ける人々が後ろの馬車と同じくらいなのを見て、考えが違うこと知る。
だとすれば、これは一体どういうものかと思いを巡らせていると、一つの答えが導き出される。
「まさか、巨人の騎士だと!」
自分の導きだした答えに伯爵は驚愕する。
伯爵は、巨人は見たことはないが、巨人の伝説は知っている。
オークや、オーガとは比べ物にならないくらい大きな体と強い力をしており、上位の存在は魔法さえも使うという。
神話の時代に、巨人の王が神に挑んで敗れ、いずこかの地に封じられているという。
伯爵が、オークやオーガは見たことがあっても巨人は見たことがないのは、この神話が関係しているのかもしれない。
また、別の土地では巨人の末裔とされるトロルなるモンスターがいるらしい。
「あれは、伝説の巨人族なのか!?」
目の前に現れた異様な黒騎士を、伯爵は巨人だと思い込む。
そのため、伯爵は秘密兵器とは、伝説の巨人を従属させる方法を見つけたのかと考えた。
しかし、その考えは、すぐに間違いだと気づく。
『宮廷魔術師のシスティア・スフィールだ。ルイス伯爵に取次を願いたい』
巨人から似つかわしくない麗しい声が発せられる。
かすれて聞こえるが、確かに前に出会ったシスティアの声と同じに聞こえる。
それに、システィアは、王妹でありながら側室の子というのもあって母がたの姓を名乗っている。
兄である国王からは、気を使う必要はないと言われているが、本人は線引きは必要だと思っている。
伯爵は、名乗りを上げた巨人の声は、間違いなくシスティアの声だと思った。
ならば、新兵器とは、人間を巨人に変える秘術か秘薬を開発したのではないかと考察する。
「伯爵様」
考え事をしているうちに部下に呼ばれたので正気に戻る。
何事かと思ったが、巨人の申し出に対しての指示を求められているのを悟る。
「私がバスティア・フォウン・ルイン伯爵だ!」
どうするべきか悩んだが、もったいつけずに名乗り出ることにする。
外壁の上からとはいえ、伯爵が姿を表したので巨人は片膝をつく。
何が起こるのかと見守っていると、さらに驚くことが起こる。
巨人の胸の装甲が開いたのだ。
開いた胸部からは二人の人間が出て来る。
一人は、大剣を背負った黒髪黒目の少年。
もう一人は、巻き物を手にした金髪碧眼の美女。
少年には見覚えがなかったが、女性には会ったことがある、充分見知った人物だ。
そう、巨人から発せられていた声の主であるシスティアだ。
この光景に伯爵の頭はさらに混乱する。
しかし、当のシスティアは、そんなことなど御構い無しに、手に持った巻き物を広げて要件を告げる。
「国王の命により、対魔王用の秘密兵器を運んでいる。先触れの通り一夜の宿を願いたい」
システィアが持っているのは国王の署名が入った勅書だ。
勅書を堂々と掲げる今のシスティアには、最初に出会った時のような悲痛さは微塵も感じることはできなかった。
システィアとの会食を済ませた伯爵は、執務室で難しい顔をしていた。
悩んでいるのは、システィアとの会話の内容。
秘密兵器ゆえ詳しくは教えてもらえなかったが、マギウスコロッサスという今までとは一線を画するゴーレムの話し。
それとは別に、机に並べられた二通の手紙についても悩んでいた。
一通は国王からの召集令状。
すなわち、魔王軍との戦いで兵を出せということだ。
そして、もう一通は、人に見られてはいけない危険な内容が書かれていた。
「父上!」
問題ある書状を目にしていると、ドアが乱暴に開かれる。
そのまま勢いよく入って来たのは、伯爵とよく似た若い男だ。
伯爵は、乱入者に気づかれないように、問題のある手紙をこっそりと隠す。
「父上。すぐに兵をまとめて出兵すべきです!」
「落ち着けダディス」
物凄い形相で伯爵に迫るのは、彼の嫡子のダディスだ。
伯爵は考え込んで慎重に行動する性格をしているが、息子のダディスは直情的で暴走しやすい性格をしているため、よく早とちりをしてしまう。
父親からは、もっと落ち着いて行動しろと言われているが、治る兆候は見られない。
ダディスは、父親である伯爵とシスティアとの会食に当然出席していた。
伯爵は、ドラグソードの話をするシスティアを、疑惑の目で見ていたが、ダディスは違っていた。
とても情熱的で高揚した顔で聞き入っていたのだ。
会食を終えてシスティアが席を立った後も、部屋まで案内するという名目でついて行った。
熱に浮かされたような息子の顔を見て、またいつもの早とちりが起こらないかと伯爵は心配でならなかった。
「今こそシスティア姫と共に出兵し、魔王軍に目に物見せてやりましょう!」
もはや手遅れのようで、システィアの話にすっかり心酔している。
「私が、システィア様と共にドラグソードに乗れば、必ずや魔王を討ち取れるはずです!」
ダディスは、身振り手振りを加えて、己の夢想を熱く語る。
彼もまた、戦乱の時代に生まれたがゆえに、英雄になることを夢見る若者であった。
だが、伯爵は夢遊病者のような息子を、冷ややかな目で見てしまう。
伯爵の耳に入って来る人類の現状は、決して明るいものではない。
下手に魔王軍に楯突いたら、自分の命どころか家族や領民もどうなってしまうかわからない。
それならば一層のこと、と消極的なことばかり考えてしまう。
ダディスは、父親が苦悩しているのに気づかず、夢物語を語り続ける。
息子の態度が何とも脳天気に見える伯爵は、苛立たしさを募らせていく。
伯爵は、こっそり隠したヤバイ書状を取り出して、国王の手紙と見比べる。
息子の戯言を聞きながら、片方の手紙を手に取った。
伯爵との晩餐を終えたシスティアは、旅の疲れを癒すために、すでに寝静まっているということはなかった。
そのまま真っ直ぐに、従者にあてがわれた部屋を、訪れていた。
「今日も爽快だったわね」
入って来て最初に出て来た言葉は、旅の仲間をねぎらう言葉ではなかった。
道行く人々が、ドラグソードを見て腰を抜かした姿を思い出しての感想だ。
愉快痛快な顔をしているシスティアを見て、エバンスは困った顔はしているが驚いてはいなかった。
ダルバンは、呆れた顔はしているが追い出そうとはしていない。
旅の道中でもシスティアは、女性でありやんごとのない身の上として個室があてがわれていた。
しかし、彼女は夕食が終わった後は、打ち合わせということで従者の部屋に毎回来ていた。
最初こそ、驚いたエバンスがやめさせようとしたが、結局聞く耳を持たなかった。
ダルバンは、初めから興味などないとばかりに酒を飲んでいたが。
今では、すっかり諦めてなすがままになっている。
「では、今日のミーティングを始めましょう」
システィアが主導して行うミーティングだが、内容はドラグソードを見て腰を抜かした人を思い出して、はしゃぐというものだった。
何だか悪趣味に感じてしまうが、エバンスもドラグソードに乗って高揚感を覚えなかったと言えば嘘になる。
恐れおののく人間を見て、全能感に酔いしれた自分がいたのも確かだ。
しかし、側で大はしゃぎをしている人間がいると、返って冷静になるものである。
冷静になると、心配事が目についてしまう。
特に、人里を訪れた時の大騒動が問題だ。
今日は。あらかじ早馬を出していたから、この程度ですんでいた。
だが、道中の町や村では、ドラグソードを見た途端上へ下への大騒ぎになっていた。
そのたびに、システィアは王からもらった勅書を使って場を、おさめていた。
この時の人々の様子が、システィアのツボにはまったようだ。
こちらは、いつか問題を起こすのではとハラハラしてしまう。
「でも、早馬を出したせいか、伯爵と兵士の反応は今ひとつだったわね」
ネタバレをしたせいで、サプライズ感が薄れたことに不満を持っているが、不機嫌ではない。
その理由は、移動速度にある。
王都からアンチブンに向かう旅は、王妃と子供達に気を使ってか、急がずゆっくりと行なっていた。
しかし、今回はか弱い同行者がいない分、速く移動できる。
流石に整備のための馬車を置いて先に行くようなことはしない。
それでも、3分の1の時間は短縮できたはずだ。
これが単体で全力疾走したらどうなるか、考えただけでシスティアの心は期待で胸が高鳴りそうだった。
「伯爵は難しい顔をしていたけど、息子のダディス殿はドラグソードに興味を持ってくれたわ」
話はいつの間にか伯爵との会食になっていた。
エバンスは、従者という扱いになっているため、一緒に行くことはなかった。
システィアは、パートナーとして同席して欲しかったが、エバンスに断られてしまう。
照れ臭いというのもあるが、貴族に対して気後れしているというのもある。
町長の息子で、祖父のマクガソンが元貴族だが、エバンス自身には、庶民という意識の方が強い。
そのためか、システィアが年若いルイン伯爵の息子の話を楽しそうにするのを見て、嫉妬心が湧く一方で、仕方がないという思いもどこかにあった。
「むっ!」
楽しいおしゃべりをしている最中のシスティアを、エバンスは手で制する。
父親に鍛えられた戦士の感覚が、何かを訴える。
一瞬怪訝な顔をするシスティアだったが、エバンスの様子がただならぬものだと感じて押し黙る。
皆んなが静かにしてくれたのを見てエバンスは、扉に近づいて耳を押し当てる。
自分が感じ取ったものが、気のせいかどうかを確かめる。
大勢の人間が、こちらに近づいてくるのを感じ取ることができた。
それも、ゆっくりのんびりという感じではなく、慌ただしく焦っているように感じる。
とても嫌な予感がする。
杞憂であってほしいと思ったが、世の中はそれほど甘くはないようだ。
扉から離れてシスティアの前に立つ。
臨戦態勢をとるが武器がない。
屋敷に入るときに武器は全て、召使いに預けたので丸腰だ。
「大勢の人間が近づいていてくる気配がする。それもすごい勢いで!」
エバンスの言い方から、友好的でない訪問者がくるのを察することができた。
「おい、おまえら!」
ダルバンが、一休みしていた弟子達を叩き起こす。
寝ぼけ眼をしていたが、ダルバンの鬼気迫る雰囲気に何かを察して急速に意識が覚醒する。
ダルバンは、特に指示をすることなく、エバンスの後ろで作業を始め、弟子達もそれに習う。
気になる物音がするが、振り向くことができない。
エバンスは、何があってもいいように正面の扉に意識を集中しているので、ダルバン達が何をしているのか確かめられない。
そうこうしているうちに、こちらに近づく慌ただしい足音が聞こえ始めてきた。
足音の主は、扉の間に来ると一旦立ち止まることも、ノックすることもなく乱暴に扉を開け放つ。
現れたのは、この屋敷の主人であるルイン伯爵だ。
大勢の兵士を引き連れてきた伯爵の顔色は、何かに思いつめたかのように青白い。
「こんな夜更けに、何のご用ですか? ルイン伯爵」
不躾な訪問者にシスティアは、怒りの感情を含んだ声で目的を尋ねる。
システィアの怒気に当てられ一瞬ひるむ伯爵だが、咳払いをしてから一歩前に出る。
「システィア様。あなたを拘束させていただきます」
予想だにしない最悪な状況に、誰もが驚く。
だが、ショックで放心している暇は、彼らにはなかった。
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