第43話 絶対カオスですって!乙女ゲーム 5 (後編)

(そうよ!確か…そう言っていたもの)

わたしは、ゲームの中で対象となる『魔王』がそう言っていたのを思い出した。


「いきなり立ち上がって、どうしたの?」

リリスがわたしを見上げながら訊いた。


どうやら気が付かないうちに、わたしは立ち上がっていたらしい。

わたしはリリスを完全に見下ろすようになっていた。


わたしが一瞬、濡れ髪の美しいリリスの顔に見惚れているとリリスは一言言った。


「…垂れてる」

「ええ!?」


(垂れてる?)

わたしは思わず自分の胸を押さえた。


「え?ちょっ、なんでわざわざオイルを自分の服につけんの?」


リリスはわたしを見つめて眉をしかめた。

どうやらわたしは掌に出した髪用のオイルを、ぼーっとしているうちに手から床へと滴らせてしまったらしい。


落ちたオイルは浴室の床をわたしの足に流れてきた。


慌てて自分の足を上げたけれど、もう時既に遅し次の瞬間、身体のバランスを崩し、浴槽に向かって前のめりに滑ってしまった。


(セーフだった…!)


わたしは間一髪浴槽の縁に両手を突っ張って、浴槽内に転がり落ちるのをなんとか避けられた。


「ああ…危なかった…」

(危うく浴槽に頭から突っ込むところだった…)


わたしが『ふーっ』と安堵の息を吐いたその時――。

わたしの真下でリリスの声がした。


「…ジェニー重いわ。これ、どかして」

「…ん?」


わたしが下を向くと――なんとわたしはリリスの顔の上に覆い被さっていて。


「あ?、ひゃ、きゃああああああっ!!」

(わたしの、む、胸がリリスのかっ…顔の上にっ…!!)


驚いて起き上がろうとしたけれど、浴槽の縁に着いていたオイルまみれのわたしの手は完全に滑った。


そして今度こそ、わたしは頭からお風呂の中に落っこちてしまった。


 ーーーーー


「きゃあ…(ごぶっごぶっ…!)」

わたしはそのまま、がぶがぶと白く濁った湯を飲んでしまった。


次の瞬間わたしの両脇に手が差し入れられて、ぐいと上に引っ張られる。

リリスが上にグイとひっぱりあげてくれたのだ。


「なにやってんのよ?…あんた…自分家の風呂で溺れるつもり?」

リリスはすっかりあきれ顔だ。


文字通り、わたしは頭から落ちたようだが、足は浴槽に引っ掛かったらしい。膝から上の太ももや上半身は見事にお湯に浸かっていた。


わたしは激しく咳き込んだ。

鼻も喉も目も痛い。


リリスは浴槽にかけてあった手拭いでわたしの顔を拭いて、その手拭いを渡してくれた。

わたしは手拭を受け取りつつ、リリスへとお礼を言った。


「ありがと…」

「ねえ…止めてよ。おっちょこちょいにも程があるでしょ…」

言葉と対称的に声音に少しわたしを気遣っているのが分かる。


「ごめんね。今どくから…」

わたしは今リリスの膝の上にどっかりと座っている状態なのだ。

さっきも重いと言われてしまったので、慌てて起きあがろうとした。


するとリリスはわたしの脇にするりと腕を入れて、わたしをぎゅっと押さえた。


 ーーーーー


「ダメ…行かせない。ここにいてよ」

リリスはそのままわたしの耳元で囁いた。


(ああ…やっぱり乙女ゲーム展開になってる)

わたしの嫌な予感は見事に的中したのだ。


けれど、そこで――ふと疑問が湧いた。

(あれ?でも…待って、待ってよ?)


こんなシナリオあったかしら?…乙女ゲームの対象が『リリス』だなんて。

何故ならゲームの中では、彼女はあくまで魔王の側仕えのひとりのはずだった筈だ。


力をいれて起き上がろうとしたけれど、リリスの腕はびくともしない。

いくらジェニ-が非力だとしえも、リリスの少女のような華奢な身体の一体どこにこんな力があるんだろう?


リリスはそのままわたしへ妖艶に微笑んだ。


「可愛いね、ジェニ-。一体何を警戒してるのさ?」

「ま、待って。この間みたいな事しないって約束したじゃない」


『リリスをなんとかしなきゃ』という焦りと、乙女ゲームの展開が全く知らない方向へ向かっている事に、わたしは一瞬思考停止状態に陥ってしまった。


「ふふ、それどういう意味?ボクは何もしていないよ。ほら、見てよ。魔力は使っていない…証拠に小鳥キーパーも動いていないでしょう?」


わたしは思わずリリスの顔を見上げてしまった。


次の瞬間――今まで見たことがない程美しく、けれど人間とは明らかに異なる光を浮かべる紅い瞳にわたしの背筋はゾクッと冷えた。


わたしは以前の世界で見たことのある本の挿し絵を思い出した。

あれは…中世のヨーロッパだろうか。


枕元に立つ『悪魔』が載っていたものだ。

眠る人間に触れるわけでもなく…ただその悪魔は、耳元で囁いている。


リリスの声音は変わらなかった。

この間のように、いきなり成人男性に変わる様子も無い。


魔力も使っていない。

そう、ただ…耳元で囁くだけなのだ。


それなのに――抵抗が出来なくなる。


「…ジェニー、どうしたの?」


わたしは絡み付てくる『その力』に必死に抵抗した。

自然にわたしの息があがって、追い詰められた時の様に苦しくなる。


「ジェニー。そんなに暴れたらボクの手に…またおっぱいがあたっちゃうよ?」

ふふ、とリリスが美しく嗤う。


「!?」

(胸があたる?)

わたしの動きが一瞬止まる。


「でも、さっきはきみが自分で乗せてくれたもんね」

(違うわ、あれは床が滑ったんだってば!)


リリスに抗議しようしたその時。


リリスはに耳元で囁いた。


「…とても軟らかくて、気持ちが良かった…」


その声を聞いた途端、背筋にぞくぞくする感じが足元から上って来る。


(ああ、だめ…だめだってば…!)


前世のわたしは処女ではない。


この世界のジェニーでは男性と手も繋いだ事はないが、以前の世界では付き合っていた男性もいたし、仕事がら世界の各地を転々としていて、セフレの様な関係の人もいた。


だから、が何を意味するかわかっている。


リリスはわたしの耳元で囁くだけなのに、その囁く吐息も、唇の熱も舌の存在も、何故かおかしな事に全身で感じてしまう。


(何故なの?囁いているだけなのに…?)

「だ……」

だめなのに…これ以上、声が出ないように自分の口を手で押さえるしかできない。


「ああ…かわいいね。泣いちゃったの?」


わたしは涙目になりながらも、抵抗する様に必死で首を横に振った。


「そんな…訳ない…おかしい、こんなの…」

「ジェニファー、何故これで君はんだろうね」


わたしは目を見開いた。

明らかにさっきの少女の声音と違っている。


さっきのリリスじゃない。

もっと硬質で――違う存在のようだった。


逆らいがたい悦楽と絶対的な恐怖をもたらす、


わたしは全身の皮膚が恐怖に粟立って、リリスの方を向けなかった。


「…君は本当にを煽るのが上手だね」


(…もうもう、だめ…)

その言葉と共に、湧き上がる恐怖と快楽にわたしの全身が痺れて支配されるのが分かる。


そしてだけが加速度を増して、がもうすぐやって来る。


「さあ…ほら、もう我慢しなくていい。可愛いジェニー」


チュッと小さく唇を鳴らすリップ音が耳元で聴こえた――と思うと、次の瞬間低い声でリリスが命令した。


「イけ」

「――ぁあっッ…!」


わたしは仰け反って全身が痙攣した。


 ーーーーー


わたしの目の前がチカチカして、頭の中が真っ白になる。

全員の力が抜けて、ただ快楽だけに支配されてしまった。


「…ん、ああ…やだ、リリス…ばか…ひどい」

わたしはリリスに掴まりながら、抗議した。


「ごめん。ちょっとやりすぎた」


リリスは少しばつの悪そうな顔をしていたけれど、そのまま言わなくていい事まで続けて言った。

「…でもあんた本当に処女?ちょっと感度が良すぎない?」


「何言ってんの?あんたのせいでしょ!」

リリスの言葉に頭にきたわたしは、両手ですくったお湯をリリスの顔にぶっかけた。


すると、部屋を数回強めにノックする音が聞こえた。


「大丈夫ですか?お嬢様!」

さっきのわたしの上げた声で、侍女がかけつけて来たのだ。

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