第41話 絶対カオスですって!乙女ゲーム 4

わたしは涙が止まらなかった。


レイモンド公爵閣下に、馬車で自宅のエフォート邸まで送っていただきがてら、アベルの…胸が苦しくなる様な哀しい過去を話して貰ったからだ。


あまりに号泣しすぎたわたしが、自分のハンカチじゃ足りず、見かねたレイモンド閣下のハンカチまでありがたくお借りして溢れ出る涙と鼻水をふかせていただいたくらいである。


その勢いで思わずレイモンド閣下に

「アベルが幸せになれるように精一杯お手伝いします!」

…なんていきなり思いっきり宣言したから、閣下に無礼な娘と思われなかったか、ちょっと心配になってしまった。


エフォート邸に馬車が到着し、御者に手を借りて馬車を降りる時だった。


「ジェニーさん…」

レイモンド閣下は馬車の中からとわたしに声をおかけになった。


わたしは馬車の方へと振り返った。

「は、はいっ?な、何でしょうか…?」


(何か粗相があったかしら?)

思わず、返事の声が裏返る。


「きみは図らずも――鳳凰を起こしてしまった」

「…は?」

「…簡単には逃げられないと思っていた方がいいぞ」


レイモンド公爵閣下は文字通り『にやり』といった感じで笑ってエフォート邸を後にされた。 


わたしは意味がわからずその場でたたずんでいた。


 ーーーーー


あの日から2日目だった。


外は珍しく時期外れの小雨が降っていて、わたしが望んでいた通りの平穏な日常が戻っていた。


わたしはアベルやエリアス、レイモンド閣下の事を思い出していた。

一週間前はほとんど関わった事が無かったのに、ここ数日のバタバタの中で行動を共にした方達である。


そして今は、何故か今日は不思議だけれど物足りなさを感じてしまっていた。


わたしはテーブルに突っ伏しながら、目の前のいっぱいに生けられた花々を指でつついて

「平穏が一番と思ってたんだけどな…」

と呟いた。


ここ2日間、朝と夕方にたくさんの花がエフォート邸に届く。

このままでは部屋の中に飾る場所もなくなりそうな勢いだ。


差出人は名が無いけれど白いカードが添えてあった。

隅にオレンジ色の尾の長い小鳥の箔押しがしてある物だ。


「かわいい小鳥…」

わたしはカードを見ながら言った。

何故だか胸がくすぐったくなる。


何だか学生時代の恋愛の時の様に『次にいつ会えるのかな』なんて考えると、なんだかちょっとドキドキしてしまう。


「お花のお礼に…刺繍でもしようかな」


たくさんのお花のお礼として、アベルの名前とオレンジ色の小鳥を刺繍したハンカチを渡そうかなと考えたのだ。

 

わたしはカードに箔押しされたオレンジの小鳥を、指先でそっと撫でた。

「――ん?」


不思議だが、箔押しの小鳥が少し動いたような気がしたのだ。


(あれ?…今小鳥、動いた?)

そこでバンっと窓を叩く音がした。


「きゃっ…何?」

ビクっとして音のした方向を見ると、わたしの部屋の外にあるちいさなバルコニーに、なんとリリスが立っていた。


 ーーーーー


リリスはバルコニーに佇んでいた。


彼女は細い身体を細かい雨にさらされて、同情を誘うくらいは全身ずぶぬれだった。


今日は袖のところが大きく膨らんだ黒のミニドレスだ。

まっすぐな綺麗な足が出ていて、足元はお決まりのブーツスタイルだった。


(ああ、びっくりした…さっきのはリリスが扉を叩いた音ね) 

わたしはリリスの姿を確認すると、バルコニー前のガラス扉のところまで歩いていった。


わたしはきっぱりと言った。

「強く叩かないで。扉が壊れちゃうわ。あとここの扉を開けるつもりは無いから、帰ってちょうだい」


リリスは扉に手をついて無言でわたしを見た。


「…あと同情を引こうとしてびしょぬれになっていても…無駄だから」

(魔法でいくらでも濡れないようにできるのに)


『無理に部屋に入ろうとすればできるのに…こういうわざと同情を引こうとするやり方が嫌いなのよ』


立ち尽くすリリスを無視して、きびすを返した足で刺繍道具を取りに行こうとすると

「あんたに魔法は使わないよ、ジェニー」


小さいけれどリリスの声が聞こえた。

使わない?)


わたしはリリスのほうへ向き直った。


リリスは下をむいたまま霧雨に打たれ、綺麗なドレスは雨にひどく濡れているところの形が崩れていた。

まるで――みすぼらしく可哀想な子犬の登場の様な演出だった。


「もうあんたが…友達が…イヤがることはしない…約束する」

リリスがそう言うと、濡れた髪から雨の雫がぽたぽたっと滴った。


「ごめん…ジェニ-…許してほしい」


わたしはリリスを見ながらしばらく黙っていた。

(リリスがした事を決して今、水に流せるわけじゃない…)


わたしは両目をぎゅっと瞑って両頬を軽く叩いた。

パンという音が部屋に響くと、リリスは驚いた様にわたしをじっと見つめた。


わたしはそのままリリスへと近づき、バルコニーの扉を開けた。


「…ジェニー?」

「いいわよ、部屋に入って…仲直りしましょう。今回だけは特別よ」

「…ありがと…」


リリスはそのままゆっくりわたしの傍まで歩いてくると、わたしの肩に濡れた頭を寄せた。


下を向いた長くつややかな睫毛にも小さな水滴が幾つもついている。

雨にぬれた前髪や長いうしろ髪が落ちて、わたしの肩に触れると…ひんやりと冷たかった。


わたしは小さくため息をついた。

(ああ…わたしって…やっぱり甘いかも)


前世での苦い経験が、(付き合っていたお相手の性別に限らずではあるけれど)ふと記憶に甦ったのだった。

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