第7話 絶対なめちゃいけない乙女ゲーム 2
「…なんだか分からないが、この建物の近くに来ると気持ちが悪い」
エアリスは少し青い顔をしてそう言った。
わたしは特に問題が無いけれど、エアリスは確かに気分が悪そうだ。
建国祭の準備の為に建物は閉じられており、庭の一部には
『一部の信者を除き、建国祭の準備の為立ち入り禁止』の看板が立てられている。
わたしは大聖堂入口近くの所で馬車から降ろしてもらうと、エアリスはそのまま馬車に乗りヒューゴ=パネライ邸に向かって行った。
「お前にヒューゴを迎えに行かせても不審がられるだろう。俺がヒューゴを呼んでくるからお前はここを動くな。アベルが戻ってきたらここで一緒に待っていてくれ――いいか?」
『ヒューゴが来るまで絶対に勝手に動くな』とエアリスに何度も釘を刺されてしまった。
わたしは大聖堂の中庭近くの小道でひとり、ぽつねんと立ってアベルが帰ってくるのを待った。
けれど不安は減るどころか、イヤな予感がどんどん募るばかりだ。
あのピンクのレースの魔法に
(…どうして
大聖堂の上から降ってくるような、レース編みの様に繊細な魔法陣の集積――あれは結界魔法だ。
しかも強力で――ある相手が好んで使うもの。
(乙ゲーの中で見たもの…あの結界)
それは『特別ルートを攻略する途中で見れるよ』と妹が教えてくれたものだった。
もし大聖堂周囲に張られている結界の魔法陣がエアリスに見えなくて、アベルには見えているとしたら。
その結界魔力が相当高い人物でないと見破れないとしたら。
アベルの次に魔力が高いのは、
だからエアリスは『ヒューゴを呼んでくる』という話になったのだが。
何故…魔力の無いわたしに見えたんだろう――と疑問は残るばかりだ。
まず、結界魔法について授業で聞いた事をおさらいしよう。
ほとんどのいわゆる『結界魔法』とは北の森の国境に張ってあるものの様に壁もしくは強力なネットのように外と中をはっきりと遮断する物が一般的だとされている。
でもそれは常時使うので、魔力をとても消耗するモノらしい。
それに比べてもう少し簡単なものは『近寄らせないようにする』結界だ。
『その場所に行くと気分が悪くなる』
『もしくはその場所にたどり着けない』
『行きたくない』といった気分にさせる。
本人の感覚を狂わせる種類のものである。
通常の人であれば、まず大聖堂に近寄ると何故か気分が悪くなったり、
運よく入れたとしても中に優秀な魔法士が居れば、都合の悪いことを忘れたり見えなくなる暗示にかけられる。
わたしのチート能力は状態異常を回避する能力だから、物理的な火や水は避けられなくても、結界による視界や思考の歪み、造った人物からの暗示は回避できるはずだ。
(…もしかしたら、中に入れるかもしれないわ)
少し前から全く中の音が聞こえなくなっている。
あの不協和和音も聞こえない。
アベルは無事なのかしら、と心配になってくる。
(結界のなかにわたしが入れるかしら?)
『勝手に動くな』とエアリスには何度も言われたけれど。
ここで何もしないで、もしアベルに何かあったら、わたしは多分ジェニーの中でずっと悔やむに違いない。
うん、そうだ。ほんの少しだけ。中に入って様子を見るだけでも…。
エアリスの言葉がもう一度頭をよぎったが、わたしは目を閉じて両腕を伸ばした。
ーーーーー
わたしは目を閉じて両腕を伸ばした。
そして、結界があるであろう大聖堂に向かってゆっくりと歩いてみる。
途中で全身粟立つ様な違和感に襲われる―けれど身体にそれ以上の変化は無い。
すると――先ほどと違う画角の景色が見えて、わたしはほっと息を吐いた。
どうやら
(…アベルはどこかしら)
少し考えた後、大聖堂の建物沿いに移動して壁際で座った。
エアリスにお願いして借りた小さな折り畳み式のナイフで、震える自分の指先に小さく傷をつけた。
ぷっくりと出て来た血で、単純な模様だが、呪文を丁寧に自分の腕と胸に書いていく。
それから心臓を囲むように、シュミーズ越しに文様を更に書き込んだ。
(できればこれは使いたくないなぁ…)
書き終えた後ナイフは胸元にしまう。
(しょせん乙ゲーだから、難しい呪文や凝った魔法陣をヒロインが書く必要がない事は救いだけど)
これからわたしが対峙する相手がわたしの予想する人物であれば、こんな馬鹿馬鹿しいくらい準備しても多分、足りないんだろうな。
実はこれ主人公ローゼリットが魔王攻略の時に使った方法だ。
召喚魔法のひとつらしいが何が召喚されるのかよくは覚えていない。
(ええっと確か、魔王と対立する…大陸の悪魔だったっけ?)
聖女でも魔法の知識が豊富だったローゼリットだが、魔王サイドに悪魔をぶつけようとするなんて無茶苦茶である。
しかもローゼリットは聖女になるくらいだから大変膨大な量の魔力があったけれど、魔力がゼロのわたしだと召喚に掛けられるのはもう自分の生命力(ライフ)しかないし。
(こんなことならもう少し真面目に妹の話を聞いておくんだったな…)
ここにきて今日だけで何回思ったろう。
まさしく後悔先に立たず。
わたしは両手で自分の頬を軽く叩き喝をいれた。
(よし!行こう!)
ない物を嘆かない。
自分にあるもの、できることで戦う。
(前の世界からずっとやってきた事よ!)
『頑張れ!頑張れ、ジェニファー!』
自分で自分を鼓舞しながら大聖堂正面入り口付近まで足音を忍ばせ歩くと――。
なんとアベルが地面に倒れていた。
「…う…」
焼け焦げや土汚れで制服は見る影も無くボロボロだけど、どうやら意識はあるらしい。
(良かった!生きていた!)
「アベル!」
「やだぁ、一日に二回もめっずらしーい」
アベルに駆け寄ろうとした時、わたしとアベルの間にその声の主が入ってきた。
そこにはすらりとした身体の美少女が立っていた。
艶のある長い黒髪をツインテールにしていて、背中近くまで伸ばしている。
瞳は魔族の証しの紅色で、黒いチュールのミニドレスを着て、黒色の編み上げのショートブーツだ。
ガーターの隙間からみえる肌が艶かしい。
美少女はわたしに気兼ねすることなくと言うか、むしろ慣れ慣れしく近づいて来た。
「…ねえ、どうやって入ってきたのさ。教えてよ」
わたしは両手を伸ばして結界の中に入って来た時のジェスチャーした。
「…え、えーと。普通にこうやってぐぐいっと…」
「信じらんない!
「え…あ、うん…すっごく気持ち悪くはあったけれど…」
と言っておいた。
このまま何事も無くアベルを引き渡してもらいたい。心の中では冷や汗を流しながら
「…あの、直ぐにここから出るから、後ろに倒れている子を回収させてくれない?」
――ついゴミのように言ってしまった。(ごめんね、アベル)
「ザンネンだけどだ~め」
美少女は倒れているアベルを見るなり、その背中を蹴り上げた。
「ボクさ、いまめっちゃ機嫌悪いからさ。こいつのおかげで手間暇かけたボクの作品は散々だよ」
そのまま親指を真上に立てて空をゆびさした。
彼女はどうやら大聖堂の真上にドーム状に結界を張るつもりだったらしい。
繊細なレース編みのピンク色のオーロラカーテンが幾重にも重なって視える。
(あれ、不思議…。やっぱりわたしでも見える…)
けれど、それはすごく繊細で綺麗なレース細工の様な魔方陣で美しかった。
「…綺麗…」
わたしは思わず呟いていた。
夜空で少しずつ色を変えて光るそれは、結界と言われてもわからない。
大聖堂の上に、ちょこんと被せる可愛らしいピンクのレース編みのティーコーゼのようだ。
所々穴が空き、歪んで見えるのはアベルの攻撃によるものなのだろう。
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