第5話

 あれから周囲を歩いているとすぐに男の子の母親が見つかり、男の子は母親に手を引かれて家へと帰っていった。

「それにしても、よく気付いたな」

「昔から、困っている人がいると勝手に身体が動いてしまうので」

 どこか申し訳なさそうに答えるノイア。

 確かに急に走り出した時は驚いたが、結果的にノイアのおかげであの男の子は母親と再会できたのだから良しとしよう。

 だが、次からノイアと何処かへ行くときはウォーキングシューズを履いてこよう。でなければ死ぬ。足が。

「それで、少しは参考になった?」

 話を変え、今日の成果が如何ほどだったのかを聞いてみる。主観では殆ど遊んでいるだけだったが、ノイアははっきりと頷いた。

「この世界の人たちの幸せそうな姿も見ることが出来ましたし、これでまた一歩、理想郷へと近づきました」

 理想郷。初めて会ったときにも聞いた言葉だ。

「前も確かそんなこと言ってたよな。理想郷を作るために旅してるって」

 彼女の言う理想郷に興味が湧いたのか、遠回しに探りを入れる自分がいた。

「――使命なんです。私の」

「使命?」

 彼女の口運びが、先ほどよりも僅かに重くなる。

「本来私たちアニバの神は、原則として世界を一つ統治することが最高神によって義務付けられています」

「統治……って、この世界のことも神様が見てるの?」

 ノイアは勿論といった表情で頷く。

 お天道様が見ているとよく言ったものだが、まさか本当に見られていたとは。

「じゃあノイアも、どこかの世界を任されてるってことか」

 ノイアも神なのだから当然だろう。

 そう思い込んでしまったことを、僕はすぐさま後悔することになる。

「……いえ」

「私の統治していた世界は、もう、存在しません」

 その言葉は、先ほどまでの天真爛漫な彼女から出たとは思えない程悲哀と自蔑に満ちていた。

「私は昔から人の幸せそうな顔を見るのが大好きで、担当していた世界に降り立っては悲しむ人々に加護を与えました。それが正しいと、信じていたので」

「でも、それは間違いでした」

 古傷を抉られたように顔を歪めたまま話を続けるノイアを見て、僕は彼女の心に埋められた地雷を踏み貫いてしまったことを瞬時に悟った。

 彼女の言葉は雨に打たれた鉛のように温かさを失っていく。

「加護を与えた人々は加護を与えていない他の人間を下にみるようになり、やがて人々の間に大きな格差が生まれました。私は格差を無くすべく出来る限り多くの人々に加護を与えましたが、既に大きな繁栄を遂げた人類全てに加護を与えることは出来ず、世界は争いと血で絶えない地獄と化してしまいました」

「これを知った最高神は世界の全てを無に帰し、私から世界を統治する権利を剥奪しました。結果的に私は自分の統べるべき世界を滅ぼし、守るべき人々を皆殺しにしたのです」

 彼女の過去とその人知を超えた過酷さに、僕はただただ聞くことしか出来なかった。

「だから私は、私の過ちで消えてしまった彼らに償うためにも皆が幸せになれる世界を、『理想郷』をのです」

 金色の決意を瞳に宿して、彼女はそう告げる。

 一瞬、彼女の頬をなぞるように光が零れ落ちていった。

 



「過ちって言い切るのは、早いんじゃないか?」

「……え?」

 確かにノイアは結果的に世界を滅ぼし、人々を殺したのかもしれない。

 だけど僕には、ノイアの選択が全て間違いだとは思えなかった。

「ノイアのおかげで救われた人は必ずいると思う」

 あの男の子がそうだったように。

「それに、『明日は自分を救ってくれるかもしれない』、そんな風に思わせてくれただけでもノイアは十分皆を幸せにしてたと思うよ」

 たとえ限られた数の人しか救えなかったとしても、百パーセント絶望の中で生きるのと一パーセントでも幸せになれる可能性がある中で生きるの、どちらがいいかと聞かれたら言うまでもないだろう。

「ノイアは、優しい神様だよ」

 彼女の黄金の瞳に負けないように、僕は自分の本心をぶつけた。

「ノイアの優しさは、必ず届いてる」



 

「……ほんとう、ですか?」

 ずっと、後悔してきた。私の身勝手な欲望で、あの世界を変えてしまったことを。

 ずっと、無意味だと思っていた。私の行いは独善的なものに過ぎなくて、結局は誰の為にもなっていなかったのではないかと。

 

 ――けど。

 

 恐る恐る尋ねると、目の前の人間はこちらの目を見てはっきりと頷く。

 それを見た私は、いつの間にか全身から力が抜けていき、目の奥に溜まる何かを留めておくことが出来なくなった。

 

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