第16話 ヴィオルヌ救出作戦

 ごった返した人混みを、強引に割りながら進む。

 人も旅の装いをしているクリュスエルたちに迷惑そうな顔をしながらも必ずと言っていいほどよけてくれた。同時に、猜疑の目もやってくる。


 当たり前の反応だ。


 ぼろいフードを被り、如何にもな風貌ではあるが目立つ格好でもあるのだ。しかも、歩き方が整然としすぎている。エトワールが扮している荷物持ちは明らかに大きな荷物を背負っているのもまた。


 が、クリュスエルたちも考えも無しにこんな格好をしているのではない。

 この格好をしていた方が敵も警戒し、逆に全容が見えやすくなるからだ。


 どうせバレている。

 ならば、と言う話であり、離れているソルディーテとスープノレスをより民衆に隠すための策でもあるのだ。


 提案者は、もちろんエトワール。

 本来はエトワールを隠すべきでもあるのだが、本人が拒絶したのである。


「っと、見えたぜ」


 三人の中で一番背の高いパシアンが口にした。

 ほどなくして、クリュスエルも人々の頭の間から処刑の十字架が見える。その下に大量の薪や小枝、茶色を通り越して灰色になりつつある草も見えた。


 炎に向かって祈りを捧げているのは南の猊下の側近たちだろう。ひときわ立派な聖職者の服を着ているのが腹心だろうか。その奥にいる少年とも呼ぶべき色白のひょろい子供がテレネレ第一王子だろう。あの細さでは、もはや立派な服に着られている。その横にいるのが、ランドラ公かノウム公のどちらかだと、クリュスエルは思った。


 その賓席の左側にいるのがフロモン伯とその息子二人。ユリアン公の次男は魅せる決闘用の鎧に身を包んで立っており、三男は民衆に対して剣を見せびらかせている。威圧だ。いや、本当に殺したがっているのかもしれない。


 そして、ユリアン公は見えないが、どこかには必ずいる。


「開いたぞ」


 パシアンが言う。

 パシアンの横顔を見たタイミングで、左側の聴衆が沸いた。ほどなくして熱気が会場を包み、民衆が揺れる。鼓膜が上下し、音に体が圧されるようだ。


 遅れて、屈強な騎士に囲まれたヴィオルヌが見えた。


 頬はこけ、傷ついた足が見える。手も爪が欠けているようにも見えた。

 だが、気高く背筋を伸ばしている。顎もしっかりと上がっており、決して屈してはいないことが見て取れた。

 歩きにもそこまでの支障はなさそうである。


(ひとまず、第一段階はクリアしてますね)


 逃走に入れる、と言う意味で。

 ゆっくりと広場を三周させられ、それからヴィオルヌが十字架にかけられた。

 連れてきた騎士が引く。民衆を睨んでいた騎士も広がった。数名の騎士が聖職者と共に前に出る。


 行われるのは、最後の申し開きと言う名の形ばかりの儀式。

 懺悔すれば許されると聖職者は言うが、ヴィオルヌは悪いことはしていない、神の意思だとのみ返した。

 毅然とした様子は、どちらが罪人か一瞬分からなくなるほどである。


 この儀式が終われば、聖職者は一度ヴィオルヌの前から引くのだ。

 それから、炎に祈りをささげる。その時は祈りを守るために騎士が配備され、ヴィオルヌの周りが最も手薄になるのだ。しかも騎士は聖職者を見捨てられない。ならば聖職者についた騎士も無力化したも同然。


(あと、少し)


 クリュスエルは、自然と姿を消したエトワールの置き荷物に手をかけた。


 まだだ。まだ待て。


 焦るな。逸るな。


 時を誤れば、確率はずっとずっと低くなる。



 少しだけ深く呼吸して、腹から吐き出した。体温良し。手先も足指も冷たくなく、視界も良好。人をどかすルートもしっかりと見えている。鼻も血の匂いは感じない。耳も。


(いや)


 耳が、石畳にあたる硬質な音を拾った。

 しかも近づいてくる。


「注進! 注進!」


 馬が、人を轢くように突進してきた。

 いや、実際に轢いたのかも知れない。悲鳴も耳に届く。


「騒々しい」


 重々しい声が轟いた。

 騎士が下馬し、頭を下げてから柵の中に近づいて行っている。

 遅れて、それ以上の音。後ろを見れば旗。

 獅子とアネモネの旗。

 誰の?

 アギュシャン・オキュールの。


「くそがっ」


 思わずと言った様子でパシアンが吐き捨てた。

 民衆に隠れていた兵や柵の内に控えていた兵がぞろぞろと出てくる。壁ができる。近づいてくる音に対抗するように、ずらりと並んで長弓を構えた。民衆が、てんでんばらばらに逃げ、やってくる者の邪魔となる。


 その中でも、パシアンの「くそが」と言う言葉を聞いていた者が居たようだ。

 警戒の意識が強くなるし、自ずと人々がクリュスエルたちから離れて行っている。


 状況は最悪だ。

 まるで戦場で大貴族たちが主導権を取り合った結果、満足な迂回策もできずに泥中を重装備で突進するしか作戦が採れなかったみたいに。


 それでも、もうやるしかない。

 乱戦になればそれこそ火刑では無く刺し殺されたりなどもあり得るのだから。


 ふ、と短く息を吐くと、クリュスエルは置き荷物からマントを引っ張り出した。

 鉄紺に銀糸で狼とトリカブトの刺繍がされたマントが陽光を吸い込んで多くの者の視界を奪い去る。


 ぼろきれもぬぐい捨て、クリュスエルは堂々とした動作でマントを羽織った。指先までくすんだ合金のついた手甲もあらわにする。ただ、足は脛あてだけ。腹部も布の下に軽い鎖帷子をつけているだけの軽装だ。


 だが、それでも。


「前アルデュイナ公が子にしてヴィオルヌ・ベルナールの友、クリュスエル・エーアリヒ!」


 剣を抜く。

 古代語で彫られた文字は『汝、友を助け。神、汝を助ける』


「推して参る」


 高らかに宣言した後、剣を振って聴衆を跳ねのけた。

 その間に、パシアンもマントを羽織って剣を抜いた。こちらの剣の中央に彫られているのは『美とは勇なり』。


 歩調を合わせると、歩いて柵に近づいた。


「らぁっ」


 声をそろえ、蹴り破る。

 突き出された槍をクリュスエルがいなし、パシアンが兵の頭を剣の柄で殴り飛ばす。蹴り飛ばす。

 あっという間に道ができた。


 その道の前に、人。剣先はクリュスエルに。


 クリュスエルはパシアンと目を合わせ、パシアンが横に逸れてからヴィオルヌの方へ突撃していった。

 前に出てきた男が片側の口角を上げる。


「久しぶりだなあ、エーアリヒ卿」

「……誰ですか?」


 はっ、と男が笑った。

 釣れないねえ、とため息を吐いているあたり、挑発は失敗したらしい。


「ユリアン公が三男にして伍鹿騎士団団長、フェルディナ・フォリー・アノルマル。ま、会ったのはガキの頃だからな。もう忘れられないようにしてやるよ」


 に、と男、フェルディナが笑うと、腰に手を回して手斧を投げてきた。叩き落とす。もう二回。四度目の投擲はもう投げない方が良いのではないかと言う距離。斧がそのまま剣に当たる。フェルディナは目の前。


「はっ!」


 獣性を解放した一撃もまたクリュスエルの剣へ。

 押されるが、クリュスエルは左手首下の鎧も使って自身の剣を受け止めると、一拍於いてフェルディナの胴を蹴った。フェルディナが三歩下がる。



「らっ!」


「ああっ!」


「だ!」


 と、色とりどりの怒声と共にフェルディナが苛烈に攻め込んでくる。クリュスエルはその全てに対し、受ける瞬間に剣をわずかに傾けて応対した。


 が、腕に衝撃は残り続ける。


「どうしたどうしたどうしたぁっ!」


 三連撃を防ぐが、足はさらに二歩下がってしまった。


「エーアリヒの名が泣いてるぜ」


 下からの斬り上げ。

 横から斧を叩くが、横に並ばれた。


 体側に衝撃。体勢が崩れた。


「狼とトリカブトはこんなもんかぁ?」

 フェルディナの口は頬が裂けるほどに上がっている。


「おらよっ!」


 クリュスエルの体勢が崩れたすきに、膝を腹に入れられた。空気が抜ける。痛みが遅れて駆け抜ける。左肩。空が見え、右手に石畳を覚えた。


 蹴られたらしい。

 転がりながら、クリュスエルはフェルディナを見て思った。


 そのフェルディナは再び投擲体制に入っている。起き上がり際に一投。弾けばすぐに二投目。目の前に剣を手にしたフェルディナ。


「はっはー!」


 大上段からの斬り下ろしに対し、クリュスエルは再び背を地面についた。

 振り下ろされる前に左足でフェルディナの足を横に蹴り飛ばす。

 着地に失敗したフェルディナがよろめく。クリュスエルは素早く起き上がった。フェルディナの背に蹴り。フェルディナが石畳に突っ込んだ。その後ろの首根っこを掴んで、放す。背中から蹴りぬいた。


 余裕のない潰れた声がフェルディナから出る。


「おや。自慢のマントが汚れておりますよ?」


 ぐり、と踏み躙る。


「てめぇっ!」


 フェルディナが起き上がった拍子に、クリュスエルの体勢が崩れた。フェルディナの剣が水平で突っ込んでくる。


「らあっ!」


 その崩れた姿勢のまま、クリュスエルはフェルディナの剣を脛あてで蹴り上げた。

 犬歯をむき出しにして、吼える。

 狼哮は、蹴り上げた左足が接地するまで。

 右の歯肉と鋭い犬歯を見せつけ、唸る。のどを痛めるような低い声でもう一度吼え、一気にフェルディナに近づいた。

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