第15話 新たな逃走経路

 王権以外に三部会と言うモノがランティッドにはある。


 貴族、聖職者、平民と言う名の富裕層で行う会議であり、この富裕層は商人であることが多い。その商人も政権を担うのがマクェレならば私腹を肥やせるとなれば従うのは当然のこと。マクェレに対抗できるような大貴族は内部にはいない。聖職者もトップである北の猊下は王家の庇護下、もといマクェレの手の内。王は傀儡だ。


 正攻法でマクェレに抵抗などできないのである。


「逃走手段ですが、此処から北方、広場の南側、アンプレッセ卿が三十秒ほど中を覗っていたパン屋の裏手にあります灰色の石畳の橋。当日は吟遊詩人と道化師が語らっておりますその橋の下に船を隠しておきます。そこから川を下り、テレネレ領を横断する形でアルデュイナ方面に逃げてきてくだされば、途中でブランセル卿がお迎えにあがります」


 サンティエ・ブランセルとは前アルデュイナ公モデスト・エーアリヒに仕えていた騎士であり小領主だ。クリュスエルも良く馬に乗せてもらっていた、歳の離れた近所のお兄ちゃんのような存在である。


「アンプレッセ卿」

「分かるけどよぉ、そんな言い方しなくても良くないか?」


 クリュスエルの問いに応えつつ、パシアンが眉を下げてフォンセに抗議した。

 フォンセの表情は変わらない。少女らしい幼さを排したような顔である。


「かなりの腕前だと推察できるが、こちらはまだ君を信頼できない。こっちだって複数の逃走経路を用意していたのだ。それらが全て潰されたとは、とても、すぐに受け入れられることでは無い」


「スープノレス卿の言うことも御尤もだと思いますが、物による証明は出来ません」


 正直は良いことだ、とクリュスエルは心の中で頷いた。パシアンも同調しているような気がする。


「ですので、一つ。私が知っている秘密を明かそうかと思います。

 これは、十年以上昔の話らしいのですが、ある時父親は幼い息子にこう聞いたそうです。

「クーは、父上と母上のどっちの方が好き?」と」


 クリュスエルは膝を伸ばした。何かを察したらしいパシアンに肩を抑えられ、座らされる。


「幼い殿下は答えに窮し、泣き出してしまったそうです」

「最初に誤魔化して始めたのなら、最後まで誤魔化してくれませんか?」


 フォンセの顔は変わらない。


「その日からしばらく、殿下はアルデュイナ公と夫人が共にいないと今にも泣きそうな顔になり、夜寝る時も二人の間じゃないとぐずったそうです」

「隠さない方に振り切らないでいただきたいのですが」


 クリュスエルは、すっかり羽交い絞めだ。

 しているのはもちろんパシアン。ソルディーテは大きな歯を露わにして笑っているような声が聞こえるし、スープノレスからもこらえきれない笑い声が聞こえてくる。

 エトワールは顔をそらして必死に口笛を吹いていた。


「他にもございますが、殿下が不当に羽交い絞めに合っているのは私の望むところではございません」


 フォンセが色の無い声で言う。

 パシアンが数度頷いたような揺れがクリュスエルの背に届いた。熱も離れていく。フォンセとパシアンの目が合った気がした。フォンセの桜色の唇が離れる。


「あれは」

「もうよろしいでしょう」


 絶対にまたクリュスエルの恥ずかしい話が出てくる。

 それぐらいクリュスエルも分かっているからこそ、話を止めさせた。


「今は、一刻も早くヴィオルヌ様を救わないといけないのですから」


 その一言は、魔法の一言だ。

 ふざけた空気の全てを一変させ、全員に鋭利な刃物を忍ばせる言葉だ。


 フォンセも目を閉じ、静かに瞼を持ち上げている。


「塔の防備にはユリアン公が自ら就いております」

「ユリアン公? 次男が名代なんじゃ」


 パシアンが後ろ、ソルディーテとスープノレスへと振り向いた。


「待ち受けるのはテレネレの得意とする戦術。必ず妨害が入ると分かっているのです」


 ただし、答えは後ろ、フォンセからやってくる。


「ユリアン公が防御に徹し、ヴィオルヌ様を奪えても居場所は塔の上層部。窓からは逃げられません。そして反逆者が立てこもる上層に攻め寄せるは次男率いる左利きの騎士たち。狭い場所でも数の有利を発揮する挟み撃ちになりますね」


 唇を噛みしめたのはエトワール。彼も自身の実力が他の四人に劣ることは理解しているのだ。


「塔の周囲には処刑を見物する賓客が泊っております。テレネレ第二王女レリエンヌ、病弱な第一王子アンターゴ、偽司教の腹心。当然、ユリアン公やフロモン伯、ランドラ公もその近辺に陣取っておりますので防御は堅いでしょう。オキュール元帥の動きも読めません」


「引きずりだされた時を狙うしかない、と言うことですか」


 スープノレスの言うことも当初の想定の一つである。


「しかないのかは分かりませんが、作戦の一つにはなるかと思います。少なくともテレネレの王族は会場を見渡せる位置に下がることになるでしょう。そうなれば、テレネレ近衛騎士と戦う可能性は低くなりますから」


 問題は、オキュールがいつ、どのように動くのか。

 このままの状況でも攻め込むのか、それとも同じく処刑の日を狙って動くのか。


 どちらかと言えば、後者の方がクリュスエルたちにとっても望ましい。


「ヴィオルヌ様にお会いすることは」

「無理でしょう。面会は認められず、ただ神への懺悔のみが許されております。私も功に逸り近づいてみましたが、「ひひっ」と言う笑い声が耳にこびりついて離れません」

「ひひ?」


 フォンセの模した精巧な笑い声に対し、パシアンが粗雑な真似で首を傾げた。


「ユリアン公です」

「はーあー。無頼公の名に恥じない笑い方だなあ」


「あー」の部分は声を高くしてパシアンが言った。

 クリュスエルは険しい顔を維持したままである。


「実力も確かです。お爺様の弟子の中では閣下に次ぐ実力者がユリアン公ですから。父上も手合わせを避けるほどの技量と戦法を取ってきます」

「はは。そりゃあ、セードル卿よりも強いってことか。嫌んなるねえ、ほんと」


「……セードル卿では相性が悪いだけですよ。あの人の剣は、良くも悪くも正攻法。経験の浅かった昔では、と言う話だと思います」

「まっ、そうだな。その方が俺らにとって都合が良い」


 会話が終わるまで待っていてくれたのか、パシアンとのやり取りが終わってからフォンセがあからさまに体を動かした。

 まるで注意を引くためのような動きで扉の外、階下を覗っているようである。


「あまり、長居するのも怪しまれるだけですので、私はこの辺りでお暇しようと思います。ご武運を」


 最後まで色の無い声で言って、フォンセが静かに整然とした足音で下がっていった。

 訪れるのは、無音。

 それからエトワールが動く音。


「候補となる橋は二つしかありません。アンプレッセ卿が詳しく知っていると思いますので、後で分割して探しに行くとしてそこに行くためにどうするか、です」


 橋、と言いながらエトワールが短剣を置いた。

 処刑が行われる広場には右手の手袋を置いている。


「石造りの大聖堂がこちらにあります。予定では私は突撃部隊には加わらないはずですので、私がここの大聖堂に火を放ちます」


 なんて罰当たりな、とパシアンが口を丸くした。

 クリュスエルも頷く。が、二人とも別に敬虔な信徒では無い。嫌悪感はそこまで抱かなかった。ソルディーテとスープノレスも嫌悪感は出していない。


「大聖堂が燃えれば、街の人はそちらの消火に忙しくなりますし、統治を考える者たちも放っておくわけにはいきません。必ず人は減ります。その間に、橋まで向かいましょう」

「南の偽猊下の神威も落ちて得も大きいしな」


 いや、ソルディーテは嫌悪感を出すどころかノリノリである。


「それこそ、アルルモン卿の孫娘に協力してもらった方がよろしいでしょう。期日までに、何とかして再び接触を試みてみます」


「いや、エーアリヒ卿は出ない方が良いだろ」

 とパシアン。


「顔が一番割れてるしな」

 とはソルディーテ。


「向こうからの接触を待った方が確率は高いかと思います」

 最後にスープノレスが言って。


 クリュスエルは、結局橋の確認以外は期日まで外に出られなかったのだった。

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