第13話 ユリアン公子息
意外なことに、ヴェルチェルトから送られてきたのは路銀であった。
情報は錯綜し、間違ったものも飛び交うと言う忠告と、見殺しにしたくはないと言う気持ち。閣下自身もシックやオキュールと連絡を取ろうとしており、王都にいる旧知の仲の者に掛け合っていると言う連絡も来た。
騎士として、友を。ランティッドの騎士として未来を救え、との励ましも。
ヴェルチェルトから集められた情報の中で不安を覚えるとすれば、最初は断れていたディアサントの陛下へのお目通りの願いが不意にかなったこと。そして、マクェレの屋敷に滞在することになったこと。
マクェレの屋敷には美女が揃っていると言う。
まさか、と言う思いがありつつも、それならヴィオルヌは助かるはずだとも思って。
不安だらけの旅をあえてぼろきれに身を委ねて動き出した六人を止めたのは、何を隠そう敵将ガルディエーヌ伯であった。
黒髪、黄色がかった瞳。ほっそりとした頬ながら力強さを感じる佇まいであり、鎧は漆黒。今のガルディエーヌ伯はまるで道に根を張る大木だ。
馬上と言う高さも、その思いを助長している。
「これはこれは伯爵様。私共は」
「卑屈にならなくて良いぞ、エトワール卿」
手をもみ、腰をかがめて近づいたエトワールに、ガルディエーヌ伯が上からやさしくも上位者として語りかけてきた。
頭の上に被っているボロ布を動かしはしないが目を隠すようにわずかに頭を引く。
「そちらにいるのはソルディーテ卿、スープノレス卿、アンプレッセ卿、ライール卿だな。流石に、あれだけ決闘をすれば竜骨騎士団全員の顔ぐらい覚えられる。
そうだろう? アルデュイナ公」
スープノレスの手のひらがクリュスエルの前に来た。
腰より下に出してもいるが、確実にガルディエーヌ伯にも見えているだろう。
ガルディエーヌ伯の涼やかな目がスープノレスに注がれる。スープノレスも無表情で年下の伯爵を見上げていた。
「ひっかけるつもりではない。敬意を表してそう呼ばせてもらっただけだよ、エーアリヒ卿。もう一つ言うのなら、これは無償の貸しでは無い。対価を明示しない悪魔の貸しだ」
ガルディエーヌ伯が細長い白木の筒を取り出した。
ほい、と無造作に投げ捨てられる。エトワールが思わずと言った様子で受け止めた。
ガルディエーヌ伯の顎が一度上に動く。エトワールがちらちらと見ながら、筒を開けた。
中に入っていたのは羊皮紙。持ったまま、エトワールが止まっている。首が少し横に傾き始めていた。
「許可……証……?」
たどたどしく、エトワールが読み上げた。
「通行許可証です。ユリアン公の領地の全ての地で、武器の売買を許可する証文です」
後ろから見ていたクリュスエルがすらすらと言う。
「如何にも。何も無くとも商売をしている者もいるが、これがあれば怪しまれずに済む。一番顔が割れていないエトワール卿を押し出すのは良い考えだが、もう、破綻してしまっただろう?」
ガルディエーヌ伯が馬の上から覗き込むようにやや体を倒した。
「ありがた」
「伯の利益が分からない」
クリュスエルの受け取りの返事を、スープノレス卿が遮った。
「私にとってはヴィオルヌが処刑されようと助かろうとどうでも良い。ならば、将来のアルデュイナ公、そしてシャトーヌフ公国を継ぐ可能性の高い者に恩を売っておくほうが良いだろう?」
「伯が睨んでいるはずの竜骨騎士団の者が解放すれば、即ち伯の失態になるだけではありませんか?」
スープノレスも静かに言葉を紡いだ。
「ヴェルチェルトもいない。セードルもいない。マクェレはむしろ処刑派。その状況で覆される方が悪い。
それに、だ。
三倍の兵を用いておきながら徒に時間を潰すだけ。しかも五名の騎士に突破される。そんな失態をした者を後継順位一位に留め置くことは父上の広いお心を示すのに役立ち、弟たちに奮起を促せる。家として考えれば悪くはない決断だ。
加えて、シャトーヌフ公は未だにエーアリヒ卿を後継順位第一位に指定している。冠無き叙任になったとしても、私が後ろ盾になる理由にはなるだろう? アルデュイナを味方にすることは、即ちランティッドの覇権を握ることにも繋がるからな」
王位が狙いですか、とエトワールが顎を引いた。
忘れたのか? とガルディエーヌ伯が口元に笑みを作る。
「百年も遡らずとも私の血は王に繋がる。今やテレネレよりも当初の戦争理由に相応しいのは私たちだ」
誰かが何かを言う前にガルディエーヌ伯が背筋をただした。
話は終わりだと。質問はもうするなと言う雰囲気に満ち満ちている。
「話している時間も惜しいはずだ。行け。せっかくの勝利をふいにされたテレネレも、和議を潰されたランティッドもヴィオルヌ・ベルナールを恨んでいる。そして、結果の如何にかかわらずに忘れるな。君達に協力した者にこのガルディエーヌ伯アルブレヒト・フォリー・アノルマルであることを。まあ、アルデュイナ公以外はおまけに過ぎないがな」
教会との話し合いに戻らねばな、と白々しく言ってガルディエーヌ伯が馬首を返した。
スープノレスが再びぼろきれに頭を包む。他の者達も配置に戻った。エトワールだけが少し遅れている。
「ヴィオルヌ様を救出した暁にはシャトーヌフ公国に逃げ、シャトーヌフ公の後を継ぎ自分をランティッド王に推戴しろ、と言うことでしょうか。そうすれば正式に公爵位を授ける、と」
「そうすれば、王位にもうまみは出ますが、考えるのは後です」
スープノレスの言葉に、推測をこぼしていたエトワールが大きく反応した。
一番警戒していたのはスープノレス卿なのに、と言ったところだろうか。良いから時間が無い、とクリュスエルは顎を動かして伝える。
エトワールが先頭に戻った。
「幸いなのは、ユリアン公の兵は詰めていなさそうなところですね。ユリアン兵は七十年前の主力であり、今も精強で知られておりますから。いてもフロモン伯爵領だけならまだ何とかなるでしょう」
足は動かすが口も止めず、エトワールが楽観的なことを口にした。
「いるじゃねえか」
が、パシアンがため息交じりに吐き出した。
時は目的地に着いた時。即ち、場所はヴィオルヌが捕えられている街だ。
「……いましたね……」
エトワールも、小さく予想が外れたことを認めた。
パシアンも責めているわけじゃ無い、とポーズを取っている。
「主力はランドラ公とノウム公のテレネレ兵、フロモン伯のユリアン兵です。あながち、エトワール卿の予想も間違いでも無いでしょう」
スープノレスがくりぬかれた窓の外を睨みながらぽつりとつぶやいた。
宿舎のカビの匂いのするベッドにどかりと寝転がっていたソルディーテが起き上がる。
「次男坊の騎士団から十数人。そして三男坊の騎士団全三十一人。一応、ユリアン公の名代は次男ってことらしいな」
「三男はむしろ戦いを望んでいる、と言うことでしょうか?」
クリュスエルは唇をなぞりながら言った。
長男は戦争。次男は父の代わり。三男も、ただ護衛として終わりたい性格をしていなかったはずだ。
「殺したいだけかもしれませんね。ヴィオルヌ様は塔から飛び降りて逃げ出そうと試みたこともあったそうです。脱走を試みた回数は、もはや片手では足りないと言うのが定説のようでした」
「三男の方は良いんだよ。基本的に力自慢を集めただけだからな。問題は次男の騎士団だ。全員が左利きらしい。俺も街で見かけたが、確かに右側に剣を下げていたぞ」
パシアンの言う通り、クリュスエルたちは左利きの騎士が左手に剣を握った場合の戦闘経験が圧倒的に足りない。向こうは右利きと戦う相手に困ることは無いだろう。
「見せかけの箔なら四、五人で良いはずです。三男が奪いに来ることを想定しているのなら、次男は奪われて立てこもられた時のことを想定しているのでは無いでしょうか」
エトワールの言うことも分かるのだ。
螺旋階段は守り手が剣をふるうスペースに空洞を置き、攻め手が剣を振るスペースを壁で潰している。だが、これは右利きを基本に考えた時だ。左手で剣を振れば、攻め手も空洞を使い、より制限少なく攻撃が展開できる。
「逆説的に言えば、次男からすれば処刑の決行時に奪われかねない、その程度の守りしかない。とも言えます」
エトワールが、指を軽く噛みながら言った。
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