第11話 冬場の休戦場にて遠くを思う

「不味いぞ不味いぞ不味いぞ!」


 叫びながら、削られすぎて大分薄くなった羊皮紙を破れんばかりに振り回したのはソルディーテだ。刀礼の騎士であるスープノレスが的確に足を踏み抜いて、黙らせている。笑うかのように、ぱち、と暖炉の薪が爆ぜた。賑やかな人の集団はそんな音が聞こえないかのように安酒をどんどん空にしている。


 そんな中で、第三班、クリュスエル、パシアン、ソルディーテ、スープノレス、そして駐留するにあたりつけられたエトワールは一等席で猪肉をあぶっていた。


「連戦連敗、か。まあ、そんなこともある。ヴィオルヌ様と雖もな」


 スープノレスが落ち着いた声で言った。手元の酒を暖炉の前に置き、再度温め始めている。


「不味いのはそこじゃねえ。そんなの、閣下が合流できればどうとでもなる。不味いのはマクェレの野郎だ。あの野郎、神から授けられた王権に対し、文句を言った者が変わらぬ神の寵愛を受けられると思うのか? と言ったらしいじゃないか。王の次は神にでもなったつもりかよ!」


 エトワールがおろおろと目を動かした。

 後ろからは馬鹿みたいに大きな声で歌っているババールの声が聞こえる。それに対する合いの手は、陽気な村人のものだ。


「文句っつってもマクェレの野郎が今の領土のままでテレネレと和約を結ぼうとしたからだろ? んなもん、ヴィオルヌ様でなくとも誰だってすらぁ」


 酒で顔を真っ赤にしたパシアンがソルディーテに同調するように吼えた。


(全くだ)


 内心、ソルディーテやパシアンと一緒に叫びたい思いを抱えながら、クリュスエルは熱い葡萄酒に口をつけた。熱い。いや、そのままなのだが、熱すぎて飲めずにまた下ろした。


(もうちょっとぬるい状態で……いや)


 それでは格好がつかない。

 冬場に熱い酒をちびちびと飲みながら、酒に流されずに姿勢を崩さない。それこそが騎士として理想の姿なのだと、クリュスエルは思っている。少なくともヴェルチェルトはそんな様すら絵にする男だとクリュスエルは考えているのだ。


「閣下がお仕えするのもまた国王陛下だ。侮辱と捉えられる発言は控えろ」


 スープノレスの冷たい声に、盛り上がっていた二人が静かに席に着いた。

 文句を言いたげな表情だけをスープノレスに向けているが、言葉には変えていない。


「あいつも怒ってんだ。口が荒い」


 ソルディーテが大きな小声でパシアンに言った。

 パシアンが赤い顔を二度三度と上下に動かしている。


「一番焦っているのは、ユリアン公では無いでしょうか」


 空気が落ち着いたと悟ったのか、班員の武具整理係のような従者の延長線上にいるようなエトワールが会話に入ってくる。


「ユリアン公? なんで?」


 歳が近いからか、パシアンの声が乱暴になっていた。


「戦争が終結して、一番損をするのはユリアン公だからです。

 ユリアン公は独立と言いながらもランティッドとテレネレを行ったり来たりしていました。ユリアン公がついた方が基本的に優勢だったのも事実です。だからこそ、ユリアン公の取り合いが発生してもおりました」


 真剣に耳を傾けつつ、のどが渇いたな、と思ってクリュスエルはまた酒に挑戦した。

 が、熱さに跳ね返される。


「しかし、今戦争が終わってテレネレが引いてしまえば、ユリアン公は単独でランティッドと戦うことになります。それは流石に分が悪いでしょう。そして、オキュール元帥とユリアン公の領土を合わせれば閣下の領地が無くともシャトーヌフ公を上回れます。シャトーヌフ公の領地には飛び地としてアルデュイナ公爵領がありますから。そこがマクェレの最終的な狙いでは無いでしょうか」


「だってよ、エーアリヒ卿」


 パシアンが呑みかけの葡萄酒をずい、と差し出してきた。

 ありがたく受け取って、飲む。ぬるい。これが、クリュスエルにとっては丁度良い。


「まあ、良い土地だもんな。穀物が多く取れて、酒も美味くて、南部には広大な森が広がっているから肉も他の土地よりも手に入りやすい。本当に良い国だ」


 ふふ、と、クリュスエルは祖国が褒められて誇らしくなった。

 暖かいものが胸に広がる。

 が、クリュスエルが口を開く前にエトワールの声が耳に届いた。



「テレネレとの決着、ひいては教主国争いを有利にするためもあると思います。


 アルデュイナは東を神聖帝国と接し、西をランティッド、今はテレネレ領ですが、ランティッドと接していました。海を越えればテレネレです。そして、ランティッドから神聖帝国へも神聖帝国からランティッドへも大軍を通すならアルデュイナしか道はございません。


 テレネレにしてみても、アルデュイナの港を抑えられてしまえば常に槍先を向けられているような状況です。


 アルデュイナを手にした者は、外交で非常に優位に立てるとともに常に戦争の危険に晒されるわけです」


 他の人の反応を見る様子も無く、エトワールの顔が上に向いた。手は顎に。考え事は続いているらしい。

 パシアンが眉をあげ、肩をすくめた。ソルディーテがにまにましながらパシアンを無言で宥めている。スープノレスは変わらず。


「いえ。この状況こそがガルディエーヌ伯の狙いだった可能性もあります。最初のままでは、閣下とユリアン公の戦いだったでしょう。ですが、春先のトーナメントからもはや民の諍いの解決手段として常駐しているとも言えるものになっております。


 今日もこの井戸の水はどちらのものかを決めるためにスープノレス卿とガルディエーヌ伯の手の者が決闘をしておりました。

 民とためとなれば閣下も撤退の命令は下せない。その上でテレネレのために戦っているわけでもないともテレネレのためとも言える戦いに変える。


 目的は、ランティッド反攻の証であり優勢だったテレネレに和約を決意させたヴィオルヌ様をユリアン公が捕えることならば、いろいろと繋がります」


 クリュスエルの指が動いた。

 眼光も思わず鋭くなる。


「難しい話はいいんだよ。もっと楽しく話そうぜ」


 そんな殺気じみたものを消すかのように、パシアンが顎をクリュスエルの方に動かして言った。

 エトワールが慌てて頭を下げてくる。構いませんよ、とクリュスエルが手を振っている内にドロドロに煮込んだ野菜スープを持ったパシアンがエトワールに覆いかぶさった。まあのめ、なんて無茶な要求をしている。


 しかし、エトワールはそんな熱いスープを一気に飲み干した。


 ええ、とクリュスエルの瞳からすっかり険が消えてしまう。


「オキュール元帥はあれでも陛下の傍にいる者の中で一番の貴族です。シック元帥は貧乏貴族の出ですが、逆に言えばそれだけの実力がある証拠。決定的な敗北まで行くことはないでしょう。行くのなら、テレネレはもっと楽にこの戦争に勝っているはずですよ」


 空気がゆるみ、落ちたタイミングでスープノレスが言う。視線は下。どこも見ていないが、強いて言うのなら向かいに座っているソルディーテのつま先付近。


「ま、敵対してもヴィオルヌ様なら少し話して味方にしちまうだろ。竜骨騎士団にも結構いるぞ。ヴィオルヌ様が好きな奴らが。何かあれば黙っちゃいないさ。素直で、飾らず、でも男気にあふれている。あんな良い男を見捨てたらそれこそ名が廃るってもんだ」


 そのソルディーテが暖炉から猪肉をもぎ取り、かみちぎった。

 二口目に行く前に、店の扉が開いた。寒風が一気に入ってきて、喧騒が一瞬静まる。


「騎士様! 雪のどこまでがこっちのもので、どこまでが奴らのものか、決闘で決めることになりました!」


 その一瞬で村の男が叫んだのは、一応は皆が静かになることを半ば取り決めていたからか。


 それは分からないが、エトワールを除く第三班は一瞬だけ目を合わせた。すぐさま暖炉であぶっている猪肉に手が伸びる。エトワールは一拍遅れて。つまり、負け確定。


 他の四人はほぼタイミングを同じくして棒を持ち上げた。

 比べるのは肉の大きさ。大きい肉を取った者が戦いに行ける。

 そして、今回の勝者はこの猪を狩ってきたクリュスエルだった。


「一応、皆様に謝っておきましょうか?」


 格好をつけて猪肉を揺らし、口に入れた。


「あづっ!」


 直後に情けなく叫ぶ。

 起こるのは笑い。


 うるさいうるさい。決闘の場に着くまでに丁度良くなります。食べごろになる熱さのを選んだのです。そのあたりを考慮しないと、せっかく温めた肉が冷たくなってしまいますから。


 そんな言い訳を少し早口で重ねながら、クリュスエルはマントを整えた。

 エトワールから剣を受け取り、店の出口で樫の槍を手に取る。あとは馬に乗れば完璧だ。


 寒い中でも見たいと言う見物客を引き連れ、クリュスエルは決闘の場へ。馬で駆け抜け、その間際に槍がぶつかる。互いに速度を緩めないので力の行き場を失った樫の槍が砕けて折れた。転落したのは、今日も相手騎士。相手騎士の槍は主人よりも無事である。


 その騎士を捕え、形ばかりの身代金として硬すぎるパンや干し肉をもらい、騎士らしく大盤振る舞いで見物人に振舞った。


 そんな、もはや戦争と言うよりも騎士たちのお披露目会のような戦いが急転したのは、雪解けとともに。

 傷だらけのサミュエル・ライール、ヴィオルヌと共に戦い続けていた騎士がもたらしたのだった。

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