第10話 戦場の慣例、騎士の慣例

 ヴィオルヌ・ベルナールと言う人物の戦い方を表すのに最も適した戦いの報に、クリュスエルは思わず頬を緩めた。


 それは戴冠式を行う大聖堂を奪還する道中での戦いのことである。


 街に門を開くか戦うかを尋ねるのはいつものこと。しかし、ヴィオルヌが他の者と違ったのは本当にすぐ攻撃準備を始めてしまったのだ。


 確かに待っていては防備を固められてしまう。攻略にも時間がかかってしまい、時間がかかってしまえばテレネレが新たな援軍を出すかも知れない。


 とは言え、貴族の慣例に従えば返事があるまで待つのが普通だ。

 それを気にせず攻撃を開始して、街の長を驚かせてさっさと門の鍵をもらってしまう。


 いやはや。なんとも痛快な、とクリュスエルは思った。


 が、痛快ならざるは閣下の立場。

 すぐさま集まるのは三百の手勢だと言うのに、ユリアン公が長男ガルディエーヌ伯にユリアン兵千二百をつけて攻め込んできたのだ。当然、すぐさまヴェルチェルトも出立する。


 しかし、起きるのはただのにらみ合い。

 明確な国境は無いが、国境っぽい川を挟んで滞陣するだけ。


「ガルディエーヌ伯はお会いしたことがあります。最後に会ったのは六年前ですが、あの時から立ち振る舞いがスマートな方でした。今回の陣の張り方を見るに、話せば互いに兵力を半分にする交渉ぐらいには応じてくれると思います」


 馬から降り、クリュスエルはマントを風に流されながらヴェルチェルトに言った。


 戦うつもりが無いのはユリアン公かガルディエーヌ伯かは分からないが、少なくとも干戈を交えるつもりは無いのだろうとは見て取れる。ならば互いにこれだけの人を集めておくのは無駄なのだ。


 貴族の引っ越しでは無いが、汚れる陣を変えるためにその内動かざるを得ないし、そうなった時に困るのはガルディエーヌ伯の方だろう。衛生環境の悪化は向こうが先。疫病が蔓延した時に痛いのも向こうだろう。


「応じるとは思えないけどなあ」


 人との距離を考えずにババールが痛いまでの大声を出した。


「恐れながら、それはババール卿がガルディエーヌ伯を知らないからそう思うのです」


 ババールがその太い眉を下げる。口も力ないへの字だ。


「こっちだって言いたかぁ無いが、六年前だとエーアリヒ卿は誰が見ても子供で、ガルディエーヌ伯は既に領地経営を始めている時だ。そりゃあ後々利害関係が発生する子供にはやさしくするが、今の何もない大人のエーアリヒ卿と同じ感じで話すかねぇ」

「何もないわけでは無い」


 犬歯をむき出しにしつつも奥歯を嚙みしめたクリュスエルを庇ったのは、セードルだ。


「エーアリヒ卿が班長を務める第三班はソルディーテ卿、スープノレス卿、アンプレッセ卿と腕利きぞろいだ。拮抗した実力では次の班長選びにも支障をきたす。だまし討ちにして討ち取る意味は大きい」


 しかし、続いた言葉は思っていたものとは違った。

 やはり、どこかずれている。欲しい言葉では無く、ババールの意見に同調するものだ。


「しかし、にらみ合っても利するのはマクェレだけ、とも言えます」


 再び孤独になったクリュスエルの味方になってくれたのは、最近騎士としてヴェルチェルトに認められたネル・エトワール卿だ。歳は十六。最近は耳学だけでなく自ら書物をあさりたいと言うことでクリュスエルが文字を教えている騎士。そのため、接触機会が増えているのである。今も、その一環で戦場での文書整理などを担当するため此処にいたのだ。


「陛下がまとめ役となっている地域で土地の大きな貴族をあげるとなると第一にシャトーヌフ公。第二にユリアン公。第三に閣下かオキュール元帥が来ます。この中の二つが争い続け、力を失い続ければ相対的に王家の力が強くなり、それはマクェレの力が強くなると言うことでは無いでしょうか」


 王家の力と一介の貧乏騎士に過ぎなかったマクェレが等号で結ばれているが、誰も異論は唱えなかった。

 その道理を説けば、ガルディエーヌ伯も提案に乗ってくれる可能性はあると思います、とのエトワールの声が空間を滑っていく。


「その道理では動くまい」


 そして空気を縛り上げたのはヴェルチェルト。

 瞬きせずに強い眼光を机の上に落としつつ、閣下の口は動き続ける。


「ユリアン公は七十年前に戻れば王弟にたどり着く。自らがランティッドの王に相応しいと思うのなら、大陸には力を示したいはずだ。力を借りるテレネレは海の向こう。ボランジェ公の爵位があったところで、もう戻っては来まい」


「地続きの者より海の向こうに借りを作った方が踏み倒しやすいからな!」


 バン、と背中を叩かれたような気がしたが、そんなことはない。ババールが大きな声を出しただけである。


「仮の臣従を誓っても、頭を抑えられている気にはならない、と言うことでもある」


 今度は机をたたくようなバンバンと言う音をたてそうな勢いでエトワールが身を乗り出した。


「ならば、兵を分散する、と言うのはどうでしょうか。兵数の少ないこちらが守備の不利を得ますが、互いに長期の滞陣は可能になります。その裏で兵を引き、交渉を進めていくのはどうでしょうか」


 エトワールのこの発言は、折角会議に参加できているのだから、その間に爪痕を残したいと言っているようにも見える。


「わざわざ不利になることも無いでしょう」


 冷たすぎる声でセードルが切り捨てた。

 エトワールはどんどんしぼんでいっている。ヴェルチェルトの目が、そんなエトワールをしっかりと瞳に入れていた。外れる時は、入れた時よりもゆっくりと。


「駐屯の問題もある。こちらが徴発しないからと言って、向こうもしないとは限らないがガルディエーヌ伯の性格を考えれば苛烈なモノをする可能性もまた低い。守るなどと言っても敵が何もしてこないのにこちらが養ってもらっていれば不満もたまるものだ」


 ヴェルチェルトが縄張りを守るべく立ち上がる獅子のように首をあげた。


「竜骨騎士団以外の者を全て帰らせる。だが、ただで帰らせては漢が廃ろう。

 エトワール卿。余興を催したいと道化師と共にガルディエーヌ伯に伝えてきてくれないか。こちらの目的も全て明かして構わない」


「お任せください!」


 どん、と今度は本当に音が鳴る。エトワールが自身の胸を叩いた音だ。

 そんな若い騎士を見守るヴェルチェルトの目は穏やかなもの。まだないはずの白髪も見えそうな表情だ。


 そんなヴェルチェルトの表情が次の呼吸と共に引き締まる。


「クリュスエル。派手に格好をつけてくれ」


 ヴェルチェルトの目と共に「はいはい」と大きな声で言って動いたのはババールだ。


 天幕に置かれていた大きく平たい桐箱の内の一つを持って机の上、ヴェルチェルトの前に置いている。

 当然、開くのはヴェルチェルトだ。

 中から出てくるのは、鮮やかな瑠璃色を基調に銀糸で刺繍の施されたマント。はっきりと明示されているわけでは無いが、羽織れば狼が浮かび上がる。そんな紋様のマントだ。


 そして、そんな一等派手で目立つマントは誰の物かと言えばクリュスエルの物である。


 ヴェルチェルトがマントを手に取る。クリュスエルは、自身が今つけている鉄紺のマントを外した。ゆっくりと近づき、ヴェルチェルトに跪く。膝をついたクリュスエルの肩に瑠璃色のマントがかけられた。


「我が愛を我が友にしてランティッドの星であるヴィオルヌ・ベルナールの妹ディアサント・ベルナールに捧げ、その真実を証明するために勝利をこの槍に掲げましょう」


 儀礼の言葉を淀みなく言い切り、クリュスエルはマントを手に立ち上がった。


 決闘に向けて鎧も変える。


 機能重視から、輝く白銀の、月の鎧へ。

 従者を持っていないくせに、ランティッドの騎士として一丁前に着飾った格好へ。


 ただし、きちんと防御を考えてもいる。行うのが馬上槍試合であるからこそ、防御は片側のみ。その片側を月として派手に飾り、逆側を星として燦燦と飾る。


 千五百の兵だけでなく、陣に常駐していた商人も娼婦も、トーナメントを見に来た近隣の者からも一発でどこにいるか分かる格好をしたクリュスエルは、ガルディエーヌ伯側からも出場者の半数が出た馬上槍試合で見事に優勝を飾ったのだった。

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