第9話 望まぬ決別
「そういえば、元帥位の返上をしていないのにも関わらず討伐軍が編成されないのが陛下の恩情ならば、討伐命令に背いたのもヴィオルヌ様の恩情。二人の恩情に応えるにはランティッドを勝利に導くしかあるまいのに。
いやいや。シャトーヌフ公とユリアン公を口説き落とさないのは救国など己一人で事足りると言う傲慢かな」
「ならば貴卿は何をいたしましたか?」
敬虔な様を装ったオキュールに、クリュスエルは鋭い犬歯を向けた。
オキュールが片側の口角を上げる。
「監視を申し渡され、時に諸貴族とヴィオルヌ様の連携がうまく行かなくなるように動けとドニ・ラヴィエールに命じられましたが、それを無視し、ヴィオルヌ様のために尽くしております」
「あの腹の飛び出た方ですか。私腹を肥やす、と言うのが文字通りの方など初めて目にいたしましたよ」
「軍資金も集められない者が言うことでは無いぞ、犬。いや、犬は犬でも狂犬の類ならば挑発するべきではなかったか?」
「アルデュイナを狙っておきながら良く言いますね」
「まだアルデュイナの主気分ならやめておけ。あそこは、もはや誰の物でもない。閣下も、犬を飼っていれば自身にアルデュイナが転がり込むなどとゆめゆめ思わぬことだ」
「お二人とも、そこまでに……」
ひきつった愛想笑いで、シックが両掌をオキュールとクリュスエルにそれぞれ向けた。
シックがその状態で自身の騎士に目配せして、騎士が羊皮紙を取りヴィオルヌに持っていく。ヴィオルヌは一瞥した後でディアサントに渡した。ディアサントの目が羊皮紙の上を行くが、途中で止まり、先頭に戻った。何度も動きかけ、やがて上がる。
「どうかされましたか?」
額に汗を垂らしながら、シックが羊皮紙を受け取った。
おーう、と口が動き、後ろの騎士も首を振る。
手を伸ばしたのはクリュスエルとオキュール。
またしてもシックの汗が増したように見えた。
さ、と取ったのはヴィオルヌ。
「読めん!」
大きな声で言って、机の中央、クリュスエルもオキュールも見える位置に羊皮紙を叩きつけた。
「古代語ですから。陛下も、自身の名前しか書けないはずです」
シックが「かくいう私もようやく署名ができるようになっただけでしてね」と続けている。
そこから続くとりとめのないよもやま話を聞き流しながら、クリュスエルは羊皮紙を読み進めた。
「おっしゃられた通りの内容です」
「相違なし」
クリュスエルとオキュールの声が被る。自然と、一度にらみ合った。
「まあまあ。いがみ合うのはそれこそマクェレの思うつぼでしょう。この文章も、今ここにあると言うことは陛下のすぐ傍におり、陛下を騙ることができる者が書いたはずです。つまりは、マクェレが書いたものでしょう」
シックが両手をゆっくりと上下させた。
「誰が書いた物であれ、陛下の署名があり太陽と獅子とオリーブの紋がある以上陛下の軍命に変わりありません。誠に残念ではありますが、此処でお別れでしょう」
ヴェルチェルトが言い、足を動かしてヴィオルヌに体を向けた。
「これほどまで胸がすく痛快な戦は久々でした。できれば、またご一緒したいものです」
そして、ヴェルチェルトが頭を下げる。
丁寧な動作ではあるが、有無を言わせぬ圧もあった。ヴィオルヌも目を少し大きくして、それから目じりを下げている。
「そうですか……」
言葉も力ない。
だが、次の瞬間には目に輝きが戻っていた。
「ならば私から陛下にお伝えいたしましょう。戴冠式には間に合わないかもしれませんが、閣下の献身は誰しもが認めるところ。陛下とて、もう誰かに支えてもらわなければならない年齢ではございません。それに、あの人自身もしっかりとした考えがあります」
「おやめになった方がよろしいかと」
「いえ閣下。閣下を慕い集まった者達もそうですが、嫉妬する者達も皆閣下の実力を認めているからこそでしょう。ランティッドに必要なのは誰か。神の御意思に応えるためにやらねばならないことは何か。私のような農民に分かって陛下に分からぬはずがありません」
「おやめになった方がよろしいかと」
ヴェルチェルトの語気が強くなった。
オキュールは鼻で笑うような表情を。シックは相変わらずの愛想笑いだが、一瞬だけ真顔に戻ったようにも見えた。ディアサントの肩は小さくなっている。
「神は、確かに私にランティッドを救えとおっしゃられたのです。ならばするべきことは分かっているはず。オキュール元帥も、本心からあなたを嫌っていれば私のような農民の言うことを聞かずに陛下の命令を聞けば良かっただけなのです。ドニ様の後ろにはマクェレ様が居る。マクェレ様が本当に国を牛耳っているのなら、何をしようと問題にはならないはずですから」
そして、ヴィオルヌは強く言い切った。
ヴェルチェルトの怖いほどの真顔も変わらない。まっすぐに、誰もいない壁を睨んでいるようである。
「先の陛下のお言葉を宮廷風に訳すのでしたら、私が戦場に居れば両元帥は不要だと述べ、同時に私に国家転覆の疑いをかけているのです。私を殺す大義名分は既に与えており、逆に私が戦場に居るのであれば他の者の意見を聞くより私の意見を優先しろとの相反する命令を内包しております。それが答えです。
結果を出した者ほど、陛下の決定に異議を唱える時は注意しなければなりません」
ふ、とヴェルチェルトの表情がやわらかくなった。
おだやかな顔がヴィオルヌに向く。
「ヴィオルヌ様。熱さはと貴方の言葉の力は素晴らしいモノです。だからこそ、使いどころを間違わないように。守るべきものは何か。為すべきことは何か。それを考え、こらえることもまた力を持つ者の役目です」
では、失礼いたします。とヴェルチェルトが深く頭を下げた。
セードルが続き、クリュスエルも少し遅れて頭を下げる。
そして、堂々とヴェルチェルトが踵を返した。セードルも堂々とヴェルチェルトに続く。クリュスエルはヴィオルヌと目を合わせ、それからディアサントに視線で謝った。最早セードルの後ろになる形で二人に続いて足を動かす。
「またいつか! お待ちしております」
ヴィオルヌのその言葉にヴェルチェルトが応える様子も無く。
クリュスエルはセードルを追い抜かすとすぐにヴェルチェルトの横に並んだ。その間もヴェルチェルトが手と目で撤退を伝えている。声の大きいババール卿や体も大きいソルディーテ卿が方々に散って準備を始めさせていた。
「よろしいのですか?」
「あの男からの警告だ」
(マクェレ……!)
クリュスエルの喉から、思わずうなり声が漏れた。
「クリュスエル。何も、ヴィオルヌ様と戦うことだけが国のために尽くすことでは無い」
「嫉妬の視線も、ベルナール様が考える以上のモノがございます。何よりもマクェレが官僚を抑えております。補給を止められれば、どんな軍団でも早晩壊滅いたします」
最後に、セードルが締めた。
「それは、此処にいる五千の命が全てマクェレの掌の上と言うことですか?」
「そうだ。少しでも奴が握る力を強めれば、真っ二つに割れる。そうなれば、オキュール元帥もシック元帥も精鋭騎士団を投入してこちらに攻め寄せてくるだろうな。無論、オキュール元帥がもう一個の騎士団を結成したなど噂話でしかないが」
「やはり、フェーデを」
「やめておけ。今の王都は昔の、クリュスエルが知っているころの王都とは違う。私腹を肥やしたい者が集い、利権を守るためにマクェレを守っている。陛下御自身は趣味の木工と大砲ばかり与えられていると言う噂もある。ならば、陛下の住居は庭であり、マクェレよりも防備が薄い。何かあればどうする?」
ぐ、とクリュスエルは唇をかみしめた。
「ヴィオルヌ様と、ランティッドを守るために我らは引くのだ。何よりここでは気づかないうちにマクェレの剣が首元に突き付けられているかも知れないからな」
最後は唇をほとんど動かさずにヴェルチェルトが小声で言ったのだった。
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