第8話 王家からの手紙

「先日の敵軍は五千ではあったが、その内ランドラ公に召し抱えられていた専属の兵士は五百程度だ。この者らが八射を可能とし、残りは傭兵と腕に覚えがある農兵。そして精鋭が左翼に布陣していたのは私かヴィオルヌ様か。どちらかは居ると踏んでのことであろう」


 ヴェルチェルトが、クリュスエルだけを呼んで今回の戦いのあらましを伝えてくれた。

 二人とも鎧は解いていない。陽光のマントと宵闇を思わせる鉄紺の黒きマント。二つが向かい合わせで、しかし穏やかな雰囲気でもある。


「片翼なら、逃げることも可能だから、と言うことでしょうか」


 つまりは息子をおとりとして。

 あるいは、うまく行けば息子の成果。失敗しても自分が身代金を払うから、と。


「そのトリス伯だが、自分はテレネレ第二姫であるリエンヌ様の幼馴染だから金払いは気にするなと言っているそうだ」

「愛でも捧げているんですか?」

「婚約者のつもりかも知れないな」


 ランドラ公はテレネレ屈指の名門。テレネレの王族と繋がるのも不自然ではない。


「あるいは、自身の箔をつけるつもりか」


 高額な身代金はそれだけ高い地位にいることの証。高く評価されている証左だ。

 とは言え。


「少なくともトリス伯の剣の腕では相場通りの金額が精いっぱいでしょう。それ以上を要求してこちらが解放を拒んでいると思われる方が厄介です。それぐらいなら、無償で解放してこちらの侠気を示す方が良いかと思います」


「そうだな。だから、金は要求しない。即位のために先々代のテレネレ王が奪って行った宝剣を返してもらうつもりだ」


「……今度こそ、閣下の忠心が伝わるとよろしいのですが」


 ぎり、とクリュスエルの歯が音を立てた。

 ヴェルチェルトが大きな手でクリュスエルの頭を撫でる。


「何をどう言い繕おうと、私が陛下の寵臣を処断したのは事実だ」

「されど悪臣です」

「悪臣ゆえに処された。悪臣だったとはいえ、人から愛する人を奪ったがために私も罪を受けた。神は平等なだけだ」

「ならばマクェレは」

「その内、報いを受ける」


 神が動かれるのなら、自力救済の象徴であるフェーデは発達しなかったはずだ。

 そう言いかけて、クリュスエルは下を向いた。


 決闘の勝敗もまた神の御意思である。

 そう言って、叱られたことがあった。きつく叱られたのだ。

 怖かったのではない。必死だった叔母に、第二の母の様子に口を噤まずにはいられなかったのだ。


 ヴェルチェルト夫妻の下に引き取られた時、クリュスエルは既に十歳を超えていたのである。分別ぐらいあるのだ。同時に、夫妻が次々と子を失ったのも、そのあたりの出来事だ。


 一人は、マクェレにフェーデを挑んで敗れた。いや、マクェレが相手にしたのかもわからない。噂では別の人が相手取ったらしいのだ。

 もう一人は戦場で散ったと言うが、こちらも本当かは分からない。


 何より、ひっそりとではあるが夫妻が子のために毎朝祈りを捧げているのはクリュスエルも知っている。


「閣下」


 静かになった空間に、ヴィオルヌとずっと戦っている騎士ライールの言葉が入ってきた。


「陛下からのお言葉が届きました。戦勝祝いだそうです」

「すぐ行く」


 姿の見えない声にヴェルチェルトが返せば、気配も遠くなっていった。


「随分と早いですね」


 報告が付くかどうかで手紙を出さねば今日のこの時間には届かないと言うのに。


「ならば内容も分かると言うものだ」


 ヴェルチェルトが言って、天幕を開けた。日差しが入ってくる。

 すぐにヴェルチェルトに寄ってきたのはセードルだ。鉄紺のマントは気分の明るいものではなく、かと言って暗くするものでもない。いつも通りだ。


「芳しくないのは、私にもわかります」


 ある種祭典用の、亡き父の銀狼の毛皮に包まれた愛剣を手に取り、腰に下げた。


 本当なら戦場に持ち運びたくはない。だが、この剣を置くとすればそれはアルデュイナにある城のいずれかでなくてはならないと言う脅迫じみた考えがクリュスエルにはあるのだ。


 それから、ヴェルチェルトの右斜め後ろに収まる。


 背後を守るのはいつもセードルだ。

 だが、並ぶのはクリュスエル。

 実務のナンバーツーがセードルなら、装飾品とも剣ともなるのが貴族出身で腕の立つクリュスエルなのである。


「早いと言えば、オキュール元帥も早かったですね」


 配置場所から見ればシックよりも遠かったはずなのに、オキュールの方が早く合流してきたのだ。


「オキュール元帥の祖父は壮絶な方だったからな。ようやく心からの忠誠を誓える人に出会えて嬉しいのだろう」

「まるで犬ですね」


 軽い叱りか手が出てくるだろうとクリュスエルは予想していたが、予想に反して何もなかった。ヴェルチェルトは笑っているだけ。それで、呼び出された場所につく。


 朗らかな挨拶はヴィオルヌから。次のシックは親しみやすさがあるがきちんと礼儀に則ったもの。三番目のオキュールはぶっきらぼうながら礼儀は守っている。


 最後は、鎧を着ておらず細身だが筋肉がしっかりと見える男。

 恐らく、国王陛下からのお言葉を持ってきた者だろう。


「皆様お揃いになりましたので、陛下からのお言葉をお伝えいたします」


 その男が、白い羊皮紙を広げる。



「戦勝の報告、嬉しく思う。


 ベルナール殿に於いてはまさに伝説をまた一つ積み上げたようなモノ。かの怪将に比べればまだ局所的な勝利に過ぎないが、逆に言えばその怪将を出さねば比較ができないほどの御仁になったと言うことだ。そのような臣下に恵まれ、余は誠に果報者である。


 オキュール、シック両元帥に関しても、誠に見事な働きであった。

 戦とは戦場で勝つことだけではない。そのための前準備があり、戦闘後に民を落ち着かせる業務があり、それらの手配がある。両名とも並々ならぬ努力と成果で以て元帥に列せられた者たちであるが、それを抜きにしても見事にベルナールの力を引き出してくれた。余はそなたらを抜擢した者、そなたらがその気概に応えてくれたこと、誠に嬉しく思う。


 最後にヴェルチェルト元帥。働きは見事の一言に尽きよう。流石は一敗、それも自らの指揮に無い時に喫したモノのみの元大元帥。そなたが出れば勝つのもまた必然であろうな。

 余も、褒める言葉しか出てこぬ。が、さりとて手放しでほめられるものでもあるまい。


 そなたの仕事は戦で勝つことか? そうではあるまい。そうであるのなら、何故アルベリクやウジューヌと言った余の信頼厚き者を殺した?

 そこに理由があるのであれば、そなたの仕事は違うであろう。今も余に臣下の礼を取らぬ義父シャトーヌフ公と最初の主ユリアン公を説き伏せることこそがそなたが真にランティッドを思う勇士であるならばすべきことでは無いのか?


 言い訳はいらぬ。

 余は今でもアルデュイナ公は大罪人だと思っておる。その父であるシャトーヌフ公に関してもままならぬ思いがあるのは事実だ。さりとて、そなたにとっては師匠であり岳父。余は認めておらぬが広大なシャトーヌフ公国の継承権第一位は今もそなたの横におる元ウード伯であろう。それに文句を言わぬことが今もそなたとシャトーヌフ公が仲の良い証左。


 余は、これから口さがない愚かな雀たちの嘴に餌をやるために動かねばならぬ。そのためには障害もあり、神に背き悪魔と契約せしテレネレに味方した者の領土も通らねばならぬのだ。


 幸いなことにディーネ川流域を取り戻したことにより、防衛は容易になった。

 ならば今こそ、大軍を発し、余は先祖歴代の大聖堂で戴冠式を挙行しようと思う。


 ヴィオルヌ・ベルナール。そなたを総大将補佐とする。アギュシャン・オキュール、ボン・シック両元帥も準備を整えて合流されよ。総大将は余が直々に務める。

 各々、余と、神の意思を汲み取り給え。


 ランティッド国王、クランジュ七世」



「おや。おやおや。陛下は閣下に戴冠式には来るなと仰せのようだ」


 使いの男が羊皮紙を閉じるなり、いやらしい笑みでオキュールがにやついた。

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