第7話 ビッシュ森林戦
ディアサントと別れた後から続いていた何かを言いたげなパシアンの目が去って行く。
跨る時に愛馬も一瞬動き出しを躊躇ったのだ。なんとなく、言いたいことは分かる。
「お待たせいたしました」
それらを全て無視して、クリュスエルはヴェルチェルトに馬を並べた。
ヴェルチェルトの顔のしわが一瞬だけ動く。口を開いたのは相変わらず背後に陣取っているセードル。
「戦闘前に体力を使うような真似は」
「しておりません。疑うのなら、ランドラ公でも捕えて参りましょうか」
ぐるる、とクリュスエルは犬歯を唇の隙間からのぞかせた。
「それは頼もしいな」
ヴェルチェルトが笑う。是非お願いしたいですね、とヴィオルヌも同調した。
「ランドラ公を捕えてしまえば、交渉相手はテレネレ王、いえ、ボランジェ公となってしまいます。マクェレが必ずや割って入ってくるでしょう」
冷や水をかけるのはセードルの役割。
そう言わんばかりに苦言を呈しつつも、テレネレ王など所詮はランティッド国王の臣下なのだと少しだけ周囲に歩み寄っても来た。
「オプスキュリテ様とて、陛下には歴代の陛下と同じような戴冠をしていただきたいのではありませんか?」
聞いたのはヴィオルヌ。
「どうでしょうか。シャトーヌフ公、ユリアン公、閣下の三名が健在ではマクェレも王位の簒奪のうまみは感じていないでしょう。かと言って陛下が周囲からも陛下と認められ、時がたってからでは簒奪者の汚名が濃くなってしまいます。案外、陛下に偽の国王でいて欲しいのはマクェレかも知れません」
話を聞き流しながら、クリュスエルは前方に移動した。
クリュスエルに続くようにヴェルチェルトも移動する。馬の扱いに不慣れなヴィオルヌはやや後方に待機したままだ。
(戦闘の前に心を乱すことは禁忌中の禁忌)
そんな思いからの逃走ではあるが、同時に開戦の前準備ともなる。
「いなかったら今夜は強行軍だな」
クリュスエルの隣にいるヴェルチェルトが言った。目の前では、クリュスエルらが捕えた鹿が駆けだしている。一目散に向かいの森の中へ。
それは大変だ、と周囲の騎士が笑う。笑いはするが、全員が長槍を握りなおしていた。
目の前では、鹿が異様に散り、木々が揺れ、声が微かに漏れてくる。
「やりましたね。最強と言われるダブリン戦術を破る機会を得られるとは、なんと運の良いことでしょう」
いつの間に馬から降りて前にやってきていたヴィオルヌが、楽団かくやと言う弾んだ声で言った。
最早開戦前に道化師を使って宣戦布告をする必要は無い。向こうはとうに戦うつもりなのだ。
「ヴィオルヌ様。まずは両翼から」
「分かっております。閣下」
しかし、今にも自ら突撃しそうな雰囲気でヴィオルヌが前に出た。
目配せを受け、クリュスエルもヴィオルヌと同様に前に出る。
ヴィオルヌが旗を大きく掲げ、振った。
「突撃せよ! 神の御旗の下に!」
ざわり、と熱を巻き起こす不思議な声が響き渡り、聞こえないはずの全軍に届き、地響きが始まった。
長槍を手に両翼の騎兵が突撃を開始する。下馬せず、真っ直ぐに。ロングボウから放たれた矢が騎兵隊に降って来た。両軍の間にはまだ距離はある。鎧が矢を弾き、ほとんど刺さらない。たまに刺さっているが、問題は無い。数も少ない。前の馬が倒れても飛び越えて行く。
(やはり、テレネレは態勢不十分)
組織的な矢では無いのだから。
もちろん、油断を誘い近距離に成ったら一気に矢が増える危険性もある。が、こちらも馬を射られて叩き落されるからと下馬するいつものランティッドの騎士団ではない。時速五十キロに迫る巨体のまま突撃する長槍の鉄の塊だ。
「薄い生垣。乱杭なし。堀なし。恐らく奥に迂回用の部隊が控えていたか、既に移動中だと思われます」
突撃の様子を見守りながら、クリュスエルは冷徹な声でそう告げた。
「なら、突撃だな」
ヴィオルヌが笑う。馬にはまだ乗れていない。苦戦している。
ヴィオルヌから戦場に目を戻せば馬から叩き落される騎士や上手く生垣を越えられず倒れる騎士、生垣にぶつかって吹き飛ぶ騎士も見えたが、どちらかと言えば押しているようだ。
「そうなりますな。ならば、あとはヴィオルヌ様のお好きなタイミングに下知を」
ヴェルチェルトが笑みを湛え、槍を持ち直した。
「今だ」
何とか馬に乗れたヴィオルヌがますます口で弧を描いた。
「クリュスエル」
呼ばれ、クリュスエルはヴィオルヌを追い抜かす形で馬を前に出す。
「分かっておられるとは思いますが」
「うん。離れないよ」
ヴィオルヌが恍惚に近い笑みを浮かべながら、どちらかと言うと分かっていない返事をしてきた。
クリュスエルは内心ため息を吐くが、こういう人だとも知っている。むしろ良く我慢した方だとも、ヴィオルヌが馬に乗るのを助けていたライール卿などの初期から付き従っていた騎士の話を聞けばわかる。
「では」
と言い、クリュスエルは両脇の騎士と目線を合わせ頷き合った。
「突撃ぃ!」
ヴィオルヌの叫びに従って、一気に馬を蹴って駆け出す。
ぱらぱらとまばらにやってくる矢を手甲で弾きながら、前へ。避けはしない。ヴィオルヌを無事に届けるのを最優先課題にして。
「さあ、押せ。押せ!」
ヴィオルヌの叫びと旗に押されるように、少しだけ止まり気味だった騎士が再度動き始める。弓兵を切り捨て始める。敵軍を蹴散らし始める。
そのヴィオルヌの絶え間ない鼓舞を間近で聞きながら、クリュスエルは槍を構えた。思わず犬歯が剥き出しになる。
「っらぁあ!」
生垣を踏み倒し、重装歩兵の盾の上から槍を突き刺した。いや、押し通した。崩れた相手の頭をさらに槍で叩きつける。馬で蹴り、囲ってきた者も馬に蹴らせて槍を叩きつけた。
馬は本来臆病な生き物である。
人が前に居れば足も弱まるし、避けもする。それが普通。
だが、クリュスエルの馬は人を蹄で蹴とばすのに躊躇は見えないのだ。クリュスエルがその指示を出すのにも躊躇は無いし、敵から見ればクリュスエルの長槍は盾の無い部分をガンガン殴ってくる。敵の鎧は凹み、守るために退かない味方と敵に挟まれている。
「奥だ! 進め! 此処はランティッドの土地だ! 魔の手を追い払い、解放するのだ」
ヴィオルヌの叫びによって起こった感情に従い、クリュスエルは槍を構え、目の前の兵に叩きつけた。押し込み、薙ぎ払いながら捨てる。
次に抜いたのは剣。左腕の鎧で拭うように剣を動かし、目の前の男に叩きつける。
「此処だ! 行け! 進め!」
いつの間にか前から聞こえた声に顔を向ければ、ヴィオルヌがクリュスエルから離れて敵陣の奥深くまで進んでしまっていた。
「いつの間に」
と言っている間にも槍が迫り、ヴィオルヌに刺さり、ヴィオルヌが旗で男を叩きつけた。周りの騎士も一気に突撃し、噛みつくように敵を蹴散らしていく。血が舞い、臓物の臭いも漂い、怒声ばかりが耳をうつ。
クリュスエルは左手で手綱を引き、向きを変えた。
綺麗な鎧を着たやや痩躯気味の青年が槍を構えてヴィオルヌを見据えている。
クリュスエルは目を細めると馬の腹に蹴りを入れた。周囲の重装歩兵を蹴散らし、一目散に痩躯の男の元へ。剣を仕舞い、手斧を掴む。
「おい!」
呼び、斧を投げた。顔面へ。振り向いた男の眉間から血が噴き出て、地面に落ちていく。
もう一つ手に取り、今度は近くの歩兵に。腕に当たり、歩兵が武器を落とした。蹴とばし前へ。蹴らせ、蹴とばす。近くにやって来た勇敢な者は手斧を近距離で叩きつけた。
「我こそはランドラ公が嫡男トリス伯アルフィー・コアフィルド!」
槍を回した男がクリュスエルを見据えるように吼えた。
(ランドラ公の嫡男か)
開戦前の軽口と共に武器の手入れもままならない軍の財政がクリュスエルの脳裏に浮かぶ。そして、ランドラ公の身内ならば身代金はたんまりと貰えるなと思い、クリュスエルは剣を構えた。
(不足なし)
「前アルデュイナ公が子にしてランティッド元帥ソラーテ・ヴェルチェルト閣下が百番弟子、クリュスエル・エーアリヒ」
「いざ、尋常に!」
「推して参る」
剣を構え、クリュスエルは馬を走らせた。相手も迫る。敵の突き。剣を横に。接触。槍がずれた。剣の横を滑っていく。突撃後の横に逸れようとする相手に、クリュスエルは馬を近づけた。相手の馬が横にずれる。避けようと馬が暴れる。馬の顔が上に。
馬の制御のためにかアルフィーの意識が手綱の方へと行った。
その隙に、クリュスエルはアルフィーの顎を剣の柄を持った右手で打ち抜く。
苦悶の声を漏らし、アルフィーがのけぞった。馬の暴れは加速する。結果、鐙から足が外れずに彼は馬の上で大きく跳ねた。
そこまでなって、ようやくアルフィーが地面に落ちることが出来る。
「貴様!」
駆けて来た近衛らしき男に手斧を投げつける。弾かれた。その隙にクリュスエルからも接近し、肩口の鎧の隙間に剣を突き刺す。敵の槍を掴み、剣から手を放して顔面を殴った。
ずるり、と男が馬から落ちる。
「ランドラ公! このままでは、息子が虜囚だぞ?」
そして、クリュスエルはテレネレの言葉で吼えた。
庶民が多い敵弓兵を中心に動揺が強くなる。ランドラ公がテレネレ語を理解できるかは知らない。興味ない。
しかし、一騎討ちの結末を知ってか知らずか、金属笛の音が鳴った。
数人のテレネレ兵が我先にと背を向ける。正面を向いて秩序ある状態を保ちたい者とぶつかり、余計に敵隊列が崩れた。ある者は逃げようと押しのけ、ある者は通そうと避けた先で別の者とぶつかる。あるいは倒れた者を踏みつぶして別の者に押し倒される。そこにパシアンやソルディーテが飛び込み、人が宙を舞った。スープノレスは粛々と冷静な敵を冷静に処理している。遠くでは先陣を切っていたババールが良く通る声で吼えながら見た目からして重いハンマーをふるって敵の頭を砕いていた。
その混乱を見ながら、クリュスエルは敵総大将ランドラ公が嫡男トリス伯アルフィーを回収し、捕虜とする。
五千対千五百。
この戦いは、千五百であったランティッド側の大勝利で終わり、ディーネ川流域の支配をほぼ完全に取り戻す結果になったのだった。
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