第6話 分裂行軍
だが、当然のことながらヴィオルヌも街の住人が守ってくれと訴えてきたら無視はできない。
元は農民なのだ。元は、と言うか今も農民なのだ。
そこは騎士であり純粋な貴族として育てられてもいたクリュスエルよりも街の人を切り捨てる判断ができないのである。
結果、ヴィオルヌは川沿いの街も守ることに決め、攻め落とすことを主張した者達を守りに回した。同時に、そちらの方が場所が多いためどうしても数が多くなる。
追撃部隊は、ヴィオルヌとヴェルチェルトを指揮官に据えた千五百にとどまってしまっていた。
「マクェレの意思か」
吐き捨てたのはパシアン。
「あの野郎。閣下を裏切るだけでは飽き足らず、殺そうとしてやがる」
怨嗟を呟きながらも、彼の手はしっかりと鹿の角に紐を括り付けていた。
クリュスエルも同じように鹿の角に紐を括り付ける。これで捕獲した全部の鹿に目印が付いた。
「オキュール元帥も元はと言えばヴィオルヌ様の監視役です。ですが、置いて行くことを告げられた時の狂乱ぶりからも最早ヴィオルヌ様の信者だと言えるでしょう。マクェレの言葉だけでは街に留まることは無いと思いますよ」
「エーアリヒ卿の仇だろ」
オキュール元帥のことか。それともマクェレのことか。
どちらにせよ、その通りである。
「時と場合に因っては、昨日まで殺しあっていた者とも笑顔で手を取り、酒を酌み交わしていた者に賊をけしかけるのが貴族です。だからこそ、騎士道が輝くのでしょう」
「ぴっかー」
とパシアンがふざけて言いつつ後ろを向いた。クリュスエルもパシアンの視線を追う。そこに居たのは、ちらちらとこちらを遠くからうかがうようにしているディアサントであった。手には、狩りのために置いて行ったクリュスエルのマントがある。パシアンの物はない。
「どうかいたしましたか?」
熱いねえ、なんて言ってくるパシアンを差し置いてクリュスエルはディアサントに近づいた。
ディアサントの顔が赤くなり、「あ、あ、」なんて詰まった声が聞こえてくる。
「そ、それは、何ですか」
一瞬だけディアサントの白くもささくれだった手が出てきたが、すぐにクリュスエルのマントの下に隠れた。
「鹿です」
クリュスエルはさらっと答える。
「それぐらい分かります!」
もう、とディアサントが唇を尖らせた。
楽しそうにくすくすと笑い、クリュスエルはマントを受け取るべく手を伸ばす。そい、とマントが去って行った。
クリュスエルは空ぶった手を見つつ、まあいいか、と横に下ろす。
「目印です。目の前の森のどこにテレネレが隠れているか分かりませんから。鹿を放ってどこに潜んでいるのかをあぶりだすのです」
「そのための鹿狩りだったのか」
ディアサントとは別方向からヴィオルヌがやってきた。
ヴィオルヌの横にはヴェルチェルトが居り、二人の背後にはセードルが、少し離れた左斜め後ろにババールが居る。
「鹿肉もありますよ」
「本当か!」
ヴィオルヌが食いつき、後ろのババールも顔面を壊す勢いで表情を明るくした。
狩猟について語る貴族は多くおり、鹿は森で最も高貴な動物として記述している者も居る。最も高貴かどうかは置いておくとしても、平民の口に入るようなモノでは無いのは確かなのだ。
「幾頭か、罠にうまくかからずに殺さざるを得ませんでした」
クリュスエルは興奮するヴィオルヌに笑みを見せてから、ヴェルチェルトに対して膝をついて首を垂れる。
「力尽きるほど追い回すだけの土地は無かったと思いますが」
口を開いたのはヴェルチェルトではなくセードル。
「これまでの戦いでテレネレ軍が置いて行った長弓がありましたので。思ったほど、うまく当たりませんでした」
その長弓は鹿と共に川辺にあります。とクリュスエルは続けた。
ソルディーテ卿とスープノレス卿が鹿の処理と監視を行っています、とも。
「流石だな、クリュスエル。呑み込みが早い」
陽光のマントがクリュスエルの視界の隅に入る。
鎧の音と共に手が伸びてきて、クリュスエルの頬を掴んであげさせてきた。視界の大部分がヴェルチェルトで埋まる。
「アルデュイナ公が生きておられれば、『私のクーが』と大層喜んだだろうな」
「ありがたきお言葉にございます。しかし、閣下からすれば私は親友の息子かも知れませんが、私にとっては閣下こそが第二の父にございます。閣下にも喜んでいただければこれに勝る喜びはございません」
「そうか。嬉しいぞ、クリュスエル」
ぐい、とわきの下に手を入れられ、持ち上げられた。
クリュスエルは決して小柄では無い。確かにパシアンやソルディーテのような豪快の攻め方を得意としていないが、かといってスープノレスのような技術の結集のような剣も持っていないのである。どちらかと言えば、身体能力を活かした多様な攻め。
それを支える体が、軽すぎるはずがない。
「閣下。流石にこれは……」
「良いじゃないか。叔父と甥。師匠と弟子だけでなく、父と子なのだろう?」
ヴェルチェルトが大柄な笑みを向けてくる。
軽率な発言だったのかと後悔しながらも、クリュスエルは何も言えなかった。
閣下の御子息が亡くなった年齢に近づいてきたからな、とパシアンが小声でディアサントに言っているのがクリュスエルの耳にも入る。
こうなってしまえばクリュスエルもされるがまま。叔母であるヴェルチェルト夫人にも気に入られているため、これぐらいは、と言う話になってくるのだ。
セードルが咳ばらいをした。
助けてくれるのか、とクリュスエルの顔がセードルに動く。
「クロスボウ一射の内、何射できました?」
しかし、発言は中途半端なモノ。
助けでもなく、ヴェルチェルトを気持ちよくさせるモノでもなく。
「三射です。狙わなければ、五射はいけました」
セードルの顔がヴェルチェルトに動く。
「テレネレ軍は七射。ランドラ公の精鋭部隊は八射できると聞いております」
「突撃で良いでしょう。クリュスエル卿は『狙わなければ』とおっしゃっておりました。狙っていない矢など、神の御加護がある我らに突き刺さるはずがありません」
即座にヴィオルヌ反論した。二度、三度と頷き、ね、と妹に言っている。言われたディアサントは、小さく頷きながらクリュスエルのマントにさらにしわを寄せていた。
「突撃はババール卿が先陣を切る」
クリュスエルの体が下がる。
何のことは無い。発言の主であるヴェルチェルトが親しみやすい父の顔から元帥の顔に戻っただけだ。
「ヴィオルヌ様には機を見て突撃してもらいます。クリュスエル。貴卿はヴィオルヌ様と共に敵陣に切り込め。アンプレッセ卿、スープノレス卿、ソルディーテ卿も同じだ」
「謹んで拝命いたします」
騎士としての礼をパシアンと共に取った後、クリュスエルはもう一度ディアサントが持っているマントに手を伸ばした。またかわされる。それどころか、今度は逃げて行った。
来たのはディアサントからだと言うのに、去って行ったのである。
どうしましょう、とゆっくりと首を動かせば、ヴェルチェルトが笑っていた。いつも無表情なセードルも顔をそらして肩を震わせている。
「マントが無ければ格好がつかないからな。開戦までは時間がある。行ってこい」
やさしいテノールで言われ、クリュスエルは頭を下げた。
パシアンに残りの仕込みを任せ、自身はディアサントを追いかける。
(どう声をかけるべきでしょうか)
迷ったのはそこ。
文盲の兄に代わり文書を読むために従軍していると言っても、騎士であるクリュスエルの方が体力もあるし足も速いのだ。
そしてその足の速さは、考えがまとまる前にディアサントを見つけてしまったのだった。
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