第5話 前哨戦

「こちらも五千を超えております。敵が移動で疲れている内に叩くべきだと進言いたします」


 オキュールが慇懃に膝を曲げてヴィオルヌに跪いた。


(こちらも疲れておりますが)


 クリュスエルは文句を心の中でこさえたが、言いたいことは分かっている。

 こちらは勝利の勢いに乗っている。向こうは敗北で気が沈んでいる。

 ならばこそ、体にかかる負荷が同じでも感じる疲労は天と地ほど違うのだ。


「良いですね。蹴散らしましょう」


 ヴィオルヌが桃色の歯肉を躍らせた。

 オキュールの隣に立っているシック元帥も同意するように頭を動かし、それからヴェルチェルトを見てくる。ヴィオルヌの顔も来た。


「よろしいでしょうか?」


 ヴィオルヌの言葉の後に来るのはオキュールの「当然同意するよな」とでも言うような目。ヴェルチェルトとは親子ほどの歳の差がありながらも圧倒的に上から見下すような目である。


「私も、同じことを進言しようとしていたところです」


 声は穏やかながらも、ヴェルチェルトの獅子の眼光はオキュールと言う狐を蹴散らしていた。


「それは良かった」


 そんなことを感じ取れていないのか、わざとか。

 ヴィオルヌが笑って言って、方針は決定された。


 翌日にもランティッド軍は外に出る。軍、と言いはしたがヴィオルヌとオキュールが夜明け前にも出てさっさと出発してしまったのだ。その動きを観察していたヴェルチェルトがシックの手勢を起こしに行けばシックが「またか」とこぼす始末。


 そうして、シックが軍団を叩き起こしている内にヴェルチェルトに先んじてクリュスエルは出発した。


 いや、クリュスエル自身はオキュール出発前の夜にディアサントから聞いていたので準備は整っていたのである。だからこそ、パシアンやソルディーテ、スープノレスら自身の監督する第三班や叩き起こしても良心の痛まない者を叩き起こしていたのだ。


 当然、夜に男女がと言うことでからかわれはしたが、犬のように吼えて無理矢理口を噤ませたのである。全員が失笑しながらであったが、断じて思うようなことは無い。


「事前の情報通り、総大将はランドラ公のようですね。副将は子息のトリス伯。数も五千ほど。見ての通り、お得意の防御陣形は築けていないそうです」


 血の付いた針を自分の名前入りのハンカチで拭いながらスープノレスがクリュスエルの傍にやってきた。

 後ろでは大きな四角い歯を陽光に晒して、ソルディーテが荒縄を操って情報の引き出しが終わった捕虜をまとめ上げている。


「それだけの情報を得られたのなら、すぐに引きましょうか。そろそろ閣下も到着されているはずです」


 クリュスエルも戦闘後の整息が完了した呼吸で返した。

 木陰から見やっている場所では、テレネレによってまた橋が一つ落とされている。落とすことに失敗したこの場所にも、やがて増援がやってくるのだろう。そうなれば流石にクリュスエルたちでも守り切るのは難しい。


「ユリアン公弟フロモン伯ラジェ三世が陣中見舞いにも訪れたとも証言しておりました」


 ユリアン公爵領はランティッドと陸続きであり、七十年前ならばランティッドに含まれてもいた場所だ。隣接するフロモン伯爵領も同じである。


「フロモン伯の軍団はどこにいるのですか?」

「さあ。徹愛騎士団は連れてきていたそうですが、そのまま帰ったとおっしゃっておりました。何を話していたのかは知りえない者達ばかりですけれどね」

「隣人を愛せってことで、こっちにも愛を徹してくれるとありがたいな」


 パシアンが言いながら、馬に捕虜を積んだ。

 クリュスエルの馬にも二人目を乗せようとしている。


「一人で良いですよ」


 クリュスエルがパシアンを止める。だが、パシアンは止まらない。


「良いじゃねえか。一人頭三人。これで丁度良いだろ?」

「良くない。私が捕虜にしたのは一人。アンプレッセ卿は四人。ソルディーテ卿も四人。スープノレス卿が五人。ならば捕虜にした数は各々が責任をもって運ぶ流れが一番よろしいのでは無いでしょうか」


 止まらないパシアンを止めるため、クリュスエルはパシアンの腕をつかんだ。


「勢いあまってエーアリヒ卿が首を折ってしまったのが一人。手斧で頭をかち割ってしまったのが一人。ソルディーテ卿が川に投げ捨てておぼれさせてしまったのが一人。ま、本来は積むはずだった捕虜だと思ってさ」


「普通に割りましょう。捕虜は十四人。ならば一人頭三人の捕虜を持って帰るべきです」

「確かにな。で、スープノレス卿が五人連れて行くと」


 び、と人差し指を向けてパシアンが笑った。

 スープノレスが顔色を変えずに腰の手斧を外す。一投。そして、二投目。捕虜の頭が簡単に割れ、生者が二人減った。


「これで、一人頭三人ですね」

「身代金が減ったなあ」


 縛る相手のいなくなった縄を下げて、ソルディーテがため息を吐いた。


「テレネレ兵は騎士以外の者が多くおりますのでどのみち身代金は払われなかったと思いますよ」


 スープノレスの言葉に、捕虜たちの顔色が悪くなった。


 捕虜にして身代金。そのために名乗りだすし一騎討ちも好んで行う。

 それがテレネレ人から見たランティッドの騎士だ。戦争として殺すのはテレネレ。狩りの延長線上で度胸試しかのように命を懸けて名をあげようとしているのがランティッド。


 そんな認識だからこそ、テレネレ人は一種の勇敢さを持てていたとも言える。


 それが崩れた。

 狩る側、狩られたとしても命がある側から命も失う立場へと墜落したのである。


 そして、現に。ソルディーテによってまた一人命が消えた。


「馬の負担にもなるし、減らそうぜ」


 誰かが止める前にソルディーテの剣がもう一人の頭を割る。


「せめて誰が一番の金持ちかを聞いてからにいたしましょう」


 真っ先に殺したくせにスープノレスがソルディーテをたしなめた。


「運がある者ほど今後金持ちになりやすいってね」


 変な理屈と共に、ソルディーテがもう二人を殺した。


 クリュスエルはため息を吐きつつ、周囲の警戒に当たる。逃げるテレネレはランティッドの追撃を防ぐために橋を落とそうとしているのだ。対するランティッドは少しでも情報を得るために少数で攻撃に移っている。


 そのため、小競り合いが各地で起きているはずなのだ。


「そろそろ帰りましょう」


 観察を止めると、クリュスエルは愛馬の手綱を掴んだ。


 荷物が重い。おろしてくれ。

 愛馬がそんなことを言うかのように頭を動かし、クリュスエルの頭を小突いてきた。悪い。許してくれ。そんな風にクリュスエルはやさしくなで、乗せてくれと頼む。


 何度かやり取りをすれば、折れたのは愛馬の方だ。「ありがとう」と告げ、クリュスエルは馬に乗る。未だに乗せてもらえていないパシアンを置いて、クリュスエルは馬を歩かせ始めた。


「おい」

「冗談ですよ」


 唸る刀礼の騎士に対し、クリュスエルは犬歯を外に出しながら笑った。

 ややもすればパシアンも馬に乗れ、出発する。


 幸運なことに帰り道は敵兵に会わなかった。

 素早く本陣に戻り、捕虜を預けてヴェルチェルトに謁見する。捕虜から得た情報も報告し、さらなる情報の引き出しはより得意な者達に任せた。


 しかし、その情報が十全に活かせるようになる前に状況が変わる。


 川向に陣取っていた敵が動き出したのだ。撤退の方向へ。さらなる北上を。

 と言っても、ランティッド側が感知できたのは敵軍が逃げたことだけ。北上を続けるのか、あるいは川沿いの他の町を狙うのかは分からない。何よりもランティッドが野戦で五千を超えるテレネレ軍に勝利したのは七十年前の怪将の時代まで遡らざるを得ないのだ。


 となれば、提案は割れる。


 常識的に考えれば、まずは奪還した街の安定とさらなる街の奪還、防衛の労力の観点から川沿いの街を解放していくのが理にかなっているだろう。そして、今回それを提案したのはオキュールだ。


 一方ヴェルチェルトは追撃を提案した。

 ランティッドの必勝戦術は長弓部隊と突撃の勢いを殺す防御陣地があってこそのモノ。それを作る時間を与えずに突貫すれば勝利を得られるはず。

 はずとはなんだ。

 オキュールがそうかみつくのも当然であった。


 ヴェルチェルトもヴェルチェルトで馬鹿正直に確証などないと言う始末。もう一人の元帥であるシックは「どちらも一理ありますな」と答えを濁すだけ。ならばとオキュールは相手が攻めに転じた時にのみこちらも攻め込むべきだと語気を強めた。


 攻撃の時ならば防御陣地は無い。

 突撃に於いてランティッド騎士はテレネレの農民軍を簡単に蹴散らせる。

 だからこそ、まずは相手に攻城戦の準備をさせるべきなのだ、と。


(間違ってはいないように思えますが)


 クリュスエルも、オキュールの意見には理解を示していた。

 が、ヴェルチェルトが突撃を主張するなら追随するのみである。何よりも、ヴィオルヌも突撃を支持すると考えていたのだ。


 そして、それはその通りとなる。


「突撃いたしましょう」


 ヴィオルヌがそう言って、本隊の動きは決定した。

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