第4話 我らが女神(ディアサント・ベルナール)
「またどこか破けましたか?」
くすり、とクリュスエルは笑った。
傍から見れば先ほどよりももっと砕けた笑みに見えただろう。
「もう! 私はそんなにドジじゃありません!」
むう、とディアサントが頬を思いっきり膨らませた。
兄と同じこげ茶の髪が腰元で揺れながら収まる。
「ディア、兄さんだよー」
「それよりもまた弱き者を助けたそうですね。流石はクリュスエル様。まるで物語に出てくる騎士様のようです!」
「ディアー?」
横で小さく手を振っているヴィオルヌに目をやらず、ディアサントが近づいてきた。
かなり細い体ではあるが、戦場にずっとついてきているからかふくらはぎはしっかりとした筋肉がついていて。クリュスエルは頭を下げつつもついそこにも目を向けてしまう。
「打算ですよ。ですが、悪い気は致しません」
クリュスエルはディアサントの生足から目を離し、背筋をぴしりと伸ばした。
ディアサントの無邪気な顔が視界いっぱいに広がる。
「またまた。聞きましたよ。すごい活躍だったってソルディーテ卿が言っていたとババール卿がそれはもう大きな身振り手振りで」
くすり、とディアサントの白い指が桜色の唇に触れた。
「ババール卿は声が大きいですから」
物理的にだけではなく。
「ディアー。兄さん寂しいなー。ディアー」
その間も、ヴィオルヌは小声で鳴き続けていた。
なおも兄を無視して話を続けようとするディアサントに対し、ヴィオルヌの鳴き声がどんどん大きくなっていく。流石に見かねたのか、ディアサントの口が止まった。
笑みもどちらかと言うとふくれっ面に変わる。
「もう。今はクリュスエル様と話しているのです。あとで構ってあげますから兄さんは静かにしていてください」
「扱いひどくない?」
「兄さんはいつでもクリュスエル様と話せるでは無いですか」
兄妹がそんな仲睦まじい喧嘩をしているのを見ながら、クリュスエルは静かに半歩下がった。右手や左手を鼻の下に近づけ、顔を拭うふりをして腕のあたりも鼻に近づける。
何のため? 匂いを嗅ぐため。
とは言えど、自分の匂いは良く分からない。見回りをしていた時の住民が引くようなことは無かったし、顔もしかめてはいなかった。だから、大丈夫だとは思うがヴィオルヌのように死臭が漂っていないとも限らない。
「ベルナール様。エーアリヒ卿」
最後に裾を確認していると、今度は静かな声をかけられた。
顔を上げれば声と一致した人物が見える。裏地までしっかりと整えられた鉄紺の布地に白貂の毛皮が裾につけられたマント。ランティッド人らしい煌めきは鎧には存在しないが、その鎧の硬さはクリュスエルも知っている。知っているどころか、真似しているのだ。
そんな、短髪の、立派な黒毛の馬を思わせるような騎士。クリュスエルと同じくヴェルチェルトの背後に立つことを許されている騎士、竜骨騎士団副団長にして獅子牙騎士団の団長であるセードルだ。
「ベルナール様、じゃなくてヴィオルヌで良いって」
「お戯れを。この軍の総大将はベルナール様。それに対し、閣下は陛下、もとい陛下を介してマクェレから討伐の命令が下されております。所謂逆賊です。その騎士たる私がそのように呼ぶことは許されません」
「クリュスエルは呼んでくれてるよ」
基本はエーアリヒ卿と呼んできていると言うのに、この時はクリュスエルとヴィオルヌが呼んできた。
「エーアリヒ卿はランティッドに於いては私権剝奪の憂き目にあっておりますが、祖父であるシャトーヌフ公は現在のランティッドよりも大きな領地を持つ大貴族。シャトーヌフ公の男児の中で唯一存命している三男は盲目であるため、継承権第一位は此処にいるエーアリヒ卿です。
ランティッド国王がマクェレの言いなりであると言うのならば、もしかするとエーアリヒ卿は国王を凌ぐ貴き血の持ち主なのですから。私『達』とは立場が違います。神に認められた者であるならばそれもまた認められましょう」
「堅いな」
ヴィオルヌがクリュスエルに顔を向けてきた。
「セードル卿は常に閣下と共にある騎士ですから」
「閣下と、元帥たちがお呼びです」
クリュスエルの言葉が聞こえていないかのような調子でセードルが言った。
閣下の時には感じられた敬意が、元帥たちに対してはやや躊躇いも感じられる。
「それはいかないといけませんね。ディア、彼氏借りるよ」
「まだ彼氏じゃありません!」
「『まだ』」
ディアサントの顔が、一気に真っ赤になった。
「もう!」
そんな妹の渾身の叫びをヴィオルヌは「はは」と笑って受け流す。
クリュスエルはそんな兄妹にかかわる前にセードルから向けられた視線に対処するべく頭を下げた。笑いながら指令室代わりの小屋に向かうヴィオルヌに手を引かれる。
真っ赤な顔のままあうあうと口を動かすディアサントに対し、クリュスエルは一応手を振った後、愛馬であるアムールの面倒をディアサントに頼んだ。離れながら見る彼女は、一瞬挙動不審になったあとさらに顔を赤くして手足をばたつかせている。淡々と静かに足を運ぶセードルとは対照的だ。
そのセードルが途中で二人を追い抜かし、先に村長に借り受けた小屋に入る。
「神の御使いと色男を連れてまいりました」
「色男」
鼻で笑い飛ばしてきたのはオキュール元帥だ。
鼻息に合わせるように黒髪が揺れている。
「これは失礼いたしました。元帥の鎧は銀装束に金の針金。赤いマントに金色の刺繡も施しておられるのに対し、私は実用性重視であり鎧のデザインはこれまでの刀傷。マントに銀糸で施した狼の刺繍と紫糸で施したトリカブトの刺繍はいずれも手製。いやはや。お気に召されないのも当然でしょう」
無礼なまでに慇懃にクリュスエルは笑顔を作った。
オキュールも完全にクリュスエルに体を向けてくるだけで死体のような表情に変化はなかった。
「エーアリヒ卿は日々に困るほどお金が無いので仕方が無いでしょう」
「オキュール元帥はお爺様が工面した広大な領地を持っていてもアルデュイナまで欲するようなお方ですから。金のために人の名誉も命も傷つける貴方には理解できないでしょうが、私は今でも十分に困らない生活は出来ておりますよ」
「そこまでにしないか」
口を開きかけたオキュールすらもヴェルチェルトの言葉が止めた。
背中には相変わらず一本の大木が入っているようであり、陽光を思わせる明るいマントはまっすぐに垂れ下がっている。マントに大部分が隠れているが、剣の鞘は本物の獅子の革で包まれており、ヴェルチェルトの威厳をさらに増大させているようだ。
「失礼いたしました」
頭を下げてからクリュスエルはヴェルチェルトの右側に立った。セードルはヴェルチェルトの左斜め後ろに立つ。
「ヴィオルヌ様」
「堅苦しいのはやめてください。今はそれよりも大事なことがあるのですよね」
いつものことだからヴィオルヌは流したわけでは無い。
最初からヴィオルヌはこうだったのだ。ヴィオルヌとヴェルチェルトの上下を決めるくだらない騎士の面子をかけた言い争いに無頓着なのである。クリュスエルとて父の仇の一人であるオキュールに対して簡単に協力などできはしない。オキュールとて敬愛する祖父が私腹を肥やすことを邪魔してきたヴェルチェルトを許していないだろう。
が、クリュスエルは自分もそうであるようにオキュールも本気の対立は望んでいないと信じているのだ。
ならばこそ、ヴィオルヌの態度はありがたい。
「ランドラ公率いるテレネレの援軍がやってくるようです。まとまれば敵の総数は五千になるでしょう」
ヴェルチェルトも無言で礼だけをして、用件を手短に伝えていた。
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