第3話 救世の旗頭(ヴィオルヌ・ベルナール)

「エーアリヒ卿!」


 クリュスエルが馬を繋いでいると、ランティッド人に良くあるこげ茶の髪の一部が白い布で隠れたヴィオルヌが親し気に呼んできた。手には紙を持っている。


 いずれも高級品だ。


 持っていてもステータスにはならないし、貴族の邸宅では普通に目にするものではあるが、農民出身であり騎士でもないヴィオルヌが簡単にできる物では無いはずなのだ。あくまでも、普通なら。


「傷は大丈夫ですか?」


 クリュスエルは馬を撫で、それから離れた。


「なんのこれしき。不当に踏み荒らされている祖国を思えば痛くなどありません」

「周りは一瞬騒然といたしましたのでヴィオルヌ様御自らが率先して突撃するのはお控えくださいと言いたいところですが」


「いくら妹を任せても良いと思っているエーアリヒ卿と雖もそればかりは聞けませんね」

「そうおっしゃられると思っておりました。投石の直撃を食らい、倒れた後に『どうして此処に集まっている? 行くべき場所は此処ではない。あの砦の中だ』だなんておっしゃられた方が自重するとは思えません」


 何より、医療班に回っていたクリュスエルがディアサントに泣きつかれて前に出た時にはヴィオルヌは目をつぶって倒れていたのだ。額だから血がやけに出るのは知っていたが、どのみち後ろに下がってもらおうと思っていたその目の前で目をかっぴらき、鉄心の声を放って何事もなかったかのようにヴィオルヌが起き上がったのである。


 そしてヴィオルヌの声を聴いた者は何かに憑りつかれたかのように突撃を開始したのだ。


 その空気が伝染したのか、全軍が一気に突撃し、砦を落として街に侵入した。だからこそ医療班に回っていた竜骨騎士団の全員が治安維持に回っていたのである。


「助かるよ。妹にもエーアリヒ卿を近くに置くからと言えば納得してくれるからね」


 次もよろしく、と言いながらヴィオルヌが肩に腕を回してきた。

 血の匂いが漂う。死臭もすっかりと染みついているようだ。


「この身に余る光栄なお言葉です」

「そんなことは無い。ヴェルチェルト元帥も言ってましたよ。闘技大会ならば分からないけど、実戦で最も勝てるのは竜骨騎士団ではエーアリヒ卿だって」


「他にも強い方はいらっしゃいます」

「それは言ってたな。エーアリヒ卿より強い者は居るけど、それでも勝つ確率が最も高いのはエーアリヒ卿だって。腹に剣が突き刺さってもそのまま前進して首を刎ねたとか、太ももに敵の槍を受けて自分を重りにし馬から引きずり落して敵騎士を捕虜にしたとか聞きましたよ」


「盛られていないと良いのですが」

「否定はしない、と」


 クリュスエルは唇を左側に寄せてとがらせ、視線も馬にやった。愛馬は草を食んでいる。


「親近感を覚えますね。エーアリヒ卿は前アルデュイナ公の子にして前大元帥の甥。対して私はただの農民。天と地ほどの差があるとは言え、どこか似ているように思えてしまいます」


「私権を剝奪された今の私にアルデュイナを領有する権利はございません。閣下もまた大元帥の位を剥奪されております。何も身分の差はございませんよ」


「そうですか?」

 と言いながらも、ヴィオルヌの顔は分かりやすくニヤついていた。


 こういった愛嬌もまた彼が人を引き付けているところなのだろう。

 嬉しいことは嬉しい。そんな表現を無邪気にしてくれるのだ。


「まあまあ。そこまでおっしゃってくださるのなら? これから妹に似たような心配をかける同志として近い身分として如何でしょうか?」

「総司令官殿にそう言っていただけるとは光栄です」


 クリュスエルも片側の口角を上げて返した。

 腹どころか肩まで揺れる笑いをヴィオルヌが上げる。


 そのヴィオルヌが笑いすぎたことによる涙目のまま、紙を差し出してきた。


「じゃあ読んでもらっても良い?」

「ディアサント様は?」

「へそを曲げちゃって。あと、ランティッド語じゃないらしくて。正式文書? らしい? よ?」


 だから読める人が少なかった、と言う話だろう。

 正式な文書は宮廷に仕える者達でも読める者は少ない。それこそ、神聖帝国から人を雇い、公文書を作らせているほどだ。


 亡き前アルデュイナ公はその状況を良く思っていなかったからこそクリュスエルの教育に力を注いでくれたのである。何なら、ヴィオルヌは陛下の字だと思っているようだが、クリュスエルは違う可能性も同じぐらいあると思っているのだ。


 神聖帝国、特に教会に近い者達が文書を作成し、陛下は署名しただけ。その可能性こそが最も高い。


「なんて?」


 ヴィオルヌが手紙をのぞき込み、「うへえ」と言ってそうな顔を作って下がっていった。


「今からでも遅くないから閣下を殺せ、と陛下は仰せです。ランティッドにとっての悪臣、陛下にとっての寵臣を閣下はその昔斬ってしまいましたから」


「『君達が神の御意思に従う者であるならば何も言う必要は無い。そうでないのなら会話を交わす必要はあるまい』。閣下のその言葉に従うのなら、陛下の言葉に従う必要はございません。何より大元帥を解任された後も付き従う騎士は多く、陛下も閣下に元帥位は結局返上させることを諦めた、んですよね?」


「はい。特に閣下の竜骨騎士団はオキュール元帥の星剣騎士団やシック元帥の鎧槍騎士団などとは比べ物にならないほど強い騎士団ですから。その役割も後方支援から風紀委員まで何でもこなせます」


 解散間際に最も逃げ出す傭兵はどこに配備されていた傭兵かと言うと風紀を取り締まる部隊に回された者達だ。

 理由は単純。恨まれるから。仲間からの略奪を許さず、厳しく取り締まる。嫌われるのも当然だ。


 だが、竜骨騎士団はそんな者達から逆恨みで襲われても返り討ちにできるだけの実力があるのである。


「戦場での実力に抜きんでており、閣下の理想に殉じれる者。それが竜骨騎士団の入団資格だとオキュール元帥が言っておりました。あの方が憎まれ口を入れたとはいえ閣下を褒めるとは、余程強いのでしょう?」


「当然です。星剣騎士団なんてぺちゃんこですよ」


 クリュスエルは手紙を綺麗にたたむと、ヴィオルヌの前に差し出した。破棄しますか? とも聞くが、「陛下から賜ったものだからなあ」と言ってヴィオルヌが手紙を受け取る。


「私はオキュール元帥の星剣騎士団にも大変助けられたからね。流石に、と思いたいところだけど」


「……まあ、私にはあまり聞かない方がよろしいでしょう。あの男は、父上と母上の仇の一人ですから。まだ実権の無い幼き陛下をマクェレとともに騙し、父上を陥れ、アルデュイナを我が物にしようとした。それが私の主張になります」


「斬りかかっちゃえば? 敵なら誰も文句を言いませんよ?」


「忠を尽くし、婦女を慈しみ、命を懸けて事を為す。それこそが閣下の奉じる騎士の道なれば。オキュール元帥は見張りとしてやってきたにもかかわらず今ではヴィオルヌ様を最も強力に支えている元帥の一人です。暗殺を企てた者と標的が五年後には手を組むことも貴族の世界では珍しくありません」


「嫌な世界だ」


 言って、ヴィオルヌが右手の指をこすり合わせた。


「ランティッドを牛耳っておりますマクェレも、元は閣下の弟子です。今は大砲などと言う壊れやすい兵器に傾倒して騎士の矜持すら忘れてしまっているようですが」


「王家はお嫌い?」

「エーアリヒも古くは王家に連なる血筋です。それに、アルデュイナもシャトーヌフも今はランティッドではございません。七十年前の怪将にして騎士の中の騎士が居られた時は話は違いますが、その時と比べて今のランティッドは領土が半分以下。諸侯はもはやランティッド国王を主とは思っていないでしょう」


 そもそも閣下ことヴェルチェルトが国としてランティッドを掲げていること自体が貴族の中では異質なのだ。


 貴族にとって国とは自らの領地。クリュスエルにとっては本来は継げるはずだったアルデュイナこそが国である。あくまでも集合体としてランティッド国王に協力するようなイメージだ。要するに、神聖帝国などがランティッド国王を神の敵だと言えば多くの貴族は喜んで反旗を翻す。そうでなくとも劣勢ならばわざわざ近づきはしない。


「だからこそ、アルグレヌ公やオキュール元帥、シック元帥は真の忠義者と言えるかもしれませんね」


 クリュスエルは話を切り上げる。

 同時に「クリュスエル様!」と言うヴィオルヌと同じような呼びかけが聞こえてきた。

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