第2話 竜骨騎士団第三班
「鍋はありますか?」
今にも凌辱されそうな乙女を前に、クリュスエルはその両親らしき老夫婦にそう聞いた。
いや、老夫婦では無く、歳はまだ壮年の域なのかもしれない。家はぼろ小屋で両親の服は雑巾の方がマシなレベル。だから、そう見えているだけ。
夫婦の装いに対して二人の男に押さえつけられている娘はまだ服と呼べる代物だ。
「おいおい。そんなちゃちなモノじゃなくてもっと良いモノを教えてやるっつってんだろ、犬」
傭兵の男が笑いながら投げてきた金貨がクリュスエルの髪にあたったが、クリュスエルは振り向かなかった。
「鍋は?」
やや強権的にクリュスエルは繰り返す。
奥さんと思わしき人が慌てて家に入り、両手で持つような大きさの、さして深くない鍋を持ってきた。クリュスエルはそれを受け取ると、乙女の服を破いていた二人組に向き直る。すでに乙女の焼けた肌が陽光の下に晒されていた。
「閣下は乱暴狼藉を許しません。どうしてもその娘が欲しいのならフェーデしかないでしょう。従わないのなら、私がこの夫婦に代わりフェーデで以ってその娘を取り返します」
言って、クリュスエルは鍋を右手で持った。
「騎士の決闘に鍋とか馬鹿にしてるのか?」
服を持っていた方の男が剣を抜いた。鎧の音が鳴り、近づいてくる。
「決闘」
呟きながらクリュスエルは鍋を掌で弄ぶように投げた。
「貴様らごときに? と言いたいところですが、淑女のため、力を持たぬ者のために戦うのもまた騎士の道。そうであるならば、これもまた決闘なのでしょうかね」
鍋をしっかりと右手で持ち、クリュスエルは犬歯をむき出しにした。
「前アルデュイナ公が子にしてヴェルチェルト元帥が百番弟子クリュスエル・エーアリヒ。推して参る」
相手の名乗りも聞かずに攻めかかるのは相手を愚弄する行いである。
聞く価値が無い。覚える気も無い。貴方の名前など必要が無い。身代金をもらうまでも無い。
とことんまでに騎士としての相手の存在を無視した行いなのである。
「犬っころが!」
真っ赤な顔で吼えながらも男が剣を構えた。男が構えた直後に右斜め下から鍋で柄を殴る。男の両腕が上に。視界の邪魔に。右足。左踵。その着地順で男の体を駆けあがると、男の腕をふくらはぎで押し込み、踵で頬を捉えた。
回し、蹴り倒す。顔がクリュスエルに向いたところで、鍋の面で殴りつけた。引き上げた鍋からは鼻血らしき赤い粘液がぽとりぽとりと垂れる。
もう一人の男の手は宙にとまり、娘が体当たりをかまして足をもつれさせながらク
リュスエルの方へ。そして両親らしき人の方へと泥に汚れ膝を傷つけながら駆けて行った。
「ま、待て。話せばわかる」
「貴様らは分からなかったのに?」
腰の抜けた男を、クリュスエルは鍋で打ち据えた。崩れた男の顔を膝でかちあげ足の甲で横顔を蹴り抜く。嫌な音が鳴り、男が崩れ落ちた。
クリュスエルは自身の名前の刺繍が入ったハンカチを取り出し、鍋を拭く。
ついでに懐から鍋を買うに足るだけの銀貨を取り出し、鍋に入れた。伸びた男たちから回収した短剣も鍋に入れる。男が投げつけてきた金貨も拾い、鍋に入れた。
「ご迷惑をおかけいたしました。ですが、これはヴェルチェルト閣下の本意では無いと。そう理解していただければ幸いです。それと少ないですが、鍋の弁償金と迷惑料になります」
そして、恭しく鍋を掲げた。王に対する態度のように、夫婦に傅く。
困惑した空気のあと、鍋の重みが手から消えた。
それから、クリュスエルは会釈をして一家らしき三人から離れる。
蹄の音が三頭分きて、竜骨騎士団の仲間がやってきた。
先頭を行くのはクリュスエルの刀礼の騎士であるパシアン。後ろに馬が潰れそうな大男、ソルディーテ。最後はこの二人に比べれば華奢に見えてしまうスープノレスだ。
「誰が集めた傭兵か分かりますか?」
鼻がすっかり埋まった男を転がす。
「閣下じゃねえな」
クリュスエルにとって刀礼の騎士であるパシアンが言いながら馬から降りた。無遠慮に降りてきた所為で太陽と同じ髪色がクリュスエルの目に刺さる。
「知っています」
ぶっきらぼうに言う。
冗談じゃねえか、と言うパシアンを丸太のように太い腕で押のけてソルディーテが前に出てきた。
「ヴィオルヌ様の噂を聞きつけて集まった奴かも知れないな。負け続きのランティッドを連戦連勝に導いた神の子だ。変な奴が集まるのも良くある話だってのは、二人もその内分かるな」
閣下が若い時もそれはそれはすごかったぞ、とソルディーテが笑いながら縄を取り出した。
食い込むのではないかと言うほど、事実食い込んでうめき声を上げているほどに男たちをきつく締めあげている。
「オキュール元帥」
「はっはっは! 可能性が無いわけでは無いが、エーアリヒ卿の私怨が多分に交じっていないか?」
ソルディーテが野太く笑い飛ばした。
「マクェレ」
「ああー……。無いわけじゃ無いな」
一転して雲の重い雨の日のような声が返ってくる。
「皆が乱暴に扱わなければ、今頃分かっていたことですよ」
最後まで黙っていたスープノレス卿が静々と言ってきた。
クリュスエルは目を横にそらし、ソルディーテは乾いた声で笑い飛ばす。パシアンは「俺は関係ないですよ!」と必死に弁解していた。
「特にエーアリヒ卿。閣下の跡継ぎと目されている卿はもっと己の獣性を抑える術を覚えてください」
そんな二人を無視して、スープノレスがクリュスエルにだけこんこんと説教を続けてくる。
「卿は閣下と血の繋がりはありませんが、閣下の奥方様は卿の父君の妹。その父君は閣下の親友でした。仲良き様子は私も良く目にしております。お二人でランティッドをより良くすると語っているお姿は、今もこうして目をつぶれば浮かんでくるようです」
始まったよ、とパシアンが微かな声でクリュスエルに耳打ちしてきた。
スープノレスの目が開く。
「聞こえておりますよ」
パシアンが背筋を伸ばして視線をそらした。
「やめようぜ。辛気臭い話にしかならないんだしさ。しかも結論は決まっている。
『マクェレの野郎。閣下の一番弟子だったくせに』
それだけだ」
ソルディーテが縛り上げた男を担ぎ、スープノレスの馬に乗せた。
もう一人も巨体を活かして担ぎ上げ、自身の馬に乗せている。
「今話すことではありませんでしたね」
スープノレスも同意して、馬に跨った。
「それよりもこいつが闘技大会に勝ったのに愛を捧げる相手がいなくて奥方様に無い愛を捧げて失笑された話でもしようぜ」
ソルディーテがその大柄な体を馬に乗せて言った。
スープノレスも「主人の妻に愛を誓うのは騎士として良くある話だ」と淡々と、しかし少しばかり怒りをにじませて返している。顔は苦虫を潰したようなものだ。
「私もまだ見回りが残っておりますので」
クリュスエルも頭を下げて提案を断る。
真面目だなあ、と呟いたソルディーテが馬上でワインを傾けた。
「閣下の名が戦場に轟いたのです。汚さないようにするのは閣下の最精鋭である竜骨騎士団の務め。それだけです」
頭を下げ、狼藉者を運ぶ二人と別れる。
クリュスエルの傍にはパシアンが来た。
「跡を継ぐからか?」
本気ではないと誰もが分かる声でパシアンが聞いてきた。
「そうなったのならマクェレには感謝しなくてはいけなくなってしまいますね。父を無実の罪で裁き、母を殺し、閣下の御子息を根絶やしにしてくださりありがとうございます、とね」
「悪かったって。そんな怒るなよ」
パシアンが馬を並べてくる。
「怒ってない」
「分かった。俺が闘技大会に勝つことがあればどうせ愛を捧げる相手なんていないんだから奥方様に捧げるよ。それをソルディーテ様のように笑い話にしてくれても良いぞ? 俺とエーアリヒ卿も刀礼の騎士だろ?」
「それは無理ですね。私の方がアンプレッセ卿より強いですから」
「言ったな。もし本当だったら卿がディアサント様に愛を捧げている様子を盛大に茶化してやるから覚悟しとけよ」
「ディアサント様はヴィオルヌ様の妹君ですよ」
「良いじゃねえか。別に主君筋ってわけでも無ければ夫が居る貴族の娘でもねえんだから愛欲を伴う感情を向けても問題は無いぞ」
「何故そうなるのです」
「エーアリヒ卿にその気が無くとも、向こうは大分懐いているようだけどな、っと」
クリュスエルの反論を押しとどめたのはパシアンの手。視線の先にはまたもや略奪を行おうとしている者達。
パシアンが銀貨を親指で弾いた。馬上で両手を離し、その銀貨を左手の甲と右手のひらで隠す。
「表」
言ったのはクリュスエル。
あけて出てきたのは裏。
「残念。今度は俺な」
パシアンが歯を見せて笑い、馬を蹴って走り出したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます