6.ハーブティーでも飲みながら
高千穂たちが桜田門に帰ってくると、彼女のデスク横で同僚が待ち受けていた。
「千中さん、例のもの届いてますよ」
「そう? ありがと」
「どうぞ」
彼女が同僚から受け取ったのはUSB。松実が首を伸ばして覗き込む。
「なんですかその、例のブツって」
「闇取引みたいに言うんじゃないよ」
「まさか闇のポルノビデ、痛いっ!」
うずくまってつま先を抑える松実。当然の報いである。
咲良がいたら下あごがなくなっているところなのだから、幸運であるとすら言える。
高千穂はそんな小男を労わることはなく(やった張本人であるし)、そのまま同僚へ話し掛ける。
「君今日は空いてる?」
「デートのお誘いですか?」
「
「あぁはい。資料整理くらいですけど」
「じゃあさ。このUSB使って、今から言うこと調べといてよ」
「いいですけど、これって正式に捜査するって決まってない案件ですよね?」
「硬いこと言うなよ。私は伊野選手のお
そのまま受け取ったUSBを同僚に突き返すと、トンボ返りで廊下へ出ていってしまう。
それを松実がひょこひょこ追い掛ける。
「ここが伊野選手の家ですか。いいとこ住んでるなぁ」
松実とベスパ手押しの高千穂が見上げているのは、元麻布の高級マンション。
「彼は独身だけど、ここに囲っている女性がいるらしい」
「いいご身分だなぁ」
「松実ちゃんには一生無理だな」
「いちいちトゲのあること言わないと死ぬんですか?」
二人を出迎えたのは、ストレートパーマでパーカーとルームパンツの女性。
随分と泣き腫らしたのだろう、目元は赤いし表情も少しクシャッとしている。
「警視庁から来ました、千中高千穂です」
「松実士郎です」
「……どうぞ」
女性は二人をリビングへ通すと、お茶を淹れはじめた。
「どうぞお構いなく」
「いえ、好きでやっていることですから」
「そ、そうですか」
明らかに動揺している松実。高千穂に耳打ちする。
「せっ、千中さんっ! 気まずい! 気まずいですよっ!」
「静かにしてなさい。特に君は全自動失言ジュークボックスなんだから」
口が悪いなりに高千穂も、お行儀よくヘルメットを脱いでいる。
「なんですかそのあだ名!?」
「どうぞ、ローズヒップです」
女性がハーブティーを手に戻ってきた。
「ありがとうございます」
「いただきます」
「ローズヒップはビタミンが豊富で健康にいいですから。お仕事が大変な警察の方にもおすすめです」
「お心遣い、感謝します」
三人はしばし、ハーブティーとビスケットで落ち着いて。
それから本題に入ることにした。
「伊野が死んだことも、その経緯も。病院から連絡があったので知っています。それで、本日はどのようなご用件でしょうか」
女性、
ファーストコンタクトよりは落ち着いて見える。
「えーとですね、実は伊野選手の一件、事件の可能性がありまして」
「なんですって!?」
松実は由紀が取り乱すのを恐れ、体を
しかし彼女はどうやら、衝撃が強すぎて頭が追いついていないようだ。呆然としている。
安心したらいいのか心配したらいいのか分からない松実。
それに比べて、高千穂は容赦がない。
「というわけでしてね? 誰か伊野選手に恨みを持っていたりとか、心当たりはありませんか?」
「ちょっと千中さん!」
「あ、はぁ……」
由紀もポカーンとしたまま、目だけが少し動く。動かない頭なりに考えてくれているようだ。
「どうでしょう」
「いえ、その、よく分かりません。ただ……」
「ただ?」
彼女はローズヒップの水面に映る、自分の顔を見つめる。
「昨日荒木さんっていうプロ野球選手が訪ねてきて。大きい声を出してはいました」
「なるほど」
「千中さん! これは大きなヒントですよ!」
松実がメモを書き散らしながら耳打ちすると、彼女も小さく頷く。
「内容などは分かりますか?」
「内容まではちょっと……。割とすぐ静かになって、荒木さんも泊まっていかれましたし。まぁ、朝になったらさっさと帰っていかれましたけど」
「そうですかぁ」
松実はなおもメモをとりながら呟く。
「ということは、たいした揉め事ではなかったんでしょうか?」
高千穂はローズヒップを口に運ぶ。
「もしくは。真藤さんがいることで話しづらくなるほど、人に聞かれたくない話題か。それとも」
「それとも?」
「それほど怒っているいるにも関わらず。引き下がらなければならない事情があったのか」
しかしそれを考えるのは、お邪魔している場所ですることではない。
高千穂は席を立つ。
「いや、真藤さん、ありがとうございました。大変参考になりました。私たちはこれで引き上げさせていただきます」
「そうですか」
彼女は由紀を元気付けるように握手し、顔を真っ直ぐ見つめる。
「また
「ありがとうございます」
高千穂は握手を離すと、松実の方を振り返る。
「ほら松実ちゃん、行くよ」
「ま、待ってください! 僕まだお茶飲み終わってない」
「機敏さに欠けるやつだなぁ」
高千穂が腕組み仁王立ちで松実にプレッシャーを掛けて急かすあいだに。
キッチンへ行った由紀が戻ってきた。
「あの、刑事さん」
「なんでしょう」
「これ、もらっていただけますか?」
「もちろんですが、これは?」
高千穂の手に載せられたのは、ハーブティーの袋。
「バタフライピーです。伊野がとても気に入っていました。試合中にも飲んだり、お客さんに勧めたり。なので、心の整理のために持っていってほしいんです」
高千穂は稀に見せる優しい表情を浮かべた。
「喜んで」
マンションの前。いつもどおり、松実を置き去りにする気満々でベスパのエンジンを掛ける高千穂。
松実がメモを構えながら話し掛ける。
「千中さん。真藤さんについて、怪しいところはありましたか?」
「なんで?」
高千穂は何事もないかのようにヘルメットを被る。
「なんでって。確かに荒木選手に関して怪しい証言がありましたが、彼女が一番の容疑者でしょう? 伊野選手の水筒に何か細工するのなら、同棲者が一番怪しいでしょう! 誰に見られてるか分からないベンチより、自宅の方がやりたい放題です!」
「でも今回に限っては違うな」
高千穂はゴーグルを掛ける。
「なんでですか」
「まず、彼女に球場でレモンを置いたりするような細工はできない。ベンチに入れないからね」
「共謀者かも? 荒木選手が泊まってったそうですし」
「あの場にレモンがあって入れられていたということは。細工に必須で、タイミングも重要だったということ。水筒を持たせて、球場で共犯者が手を加えるまでのあいだに。先に伊野選手が飲んだりしたら困るでしょ。荒木選手はさっさと帰ったらしいから。共謀したり自宅の時点で覚せい剤を入れておくのは、まぁピーキーかな」
「はぁ」
「それに、もっと怪しい人物がすでに尻尾を出してるからね」
「えっ」
高千穂は一気にベスパを発進させた。松実が慌てて追いすがる。
「あっ、ちょっ、待ってくださいよ千中さーん! それどういう意味ーっ!? 誰ーっ!?」
返事はなく、代わりの排気音すらすぐに聞こえなくなった。
松実が桜田門に帰ってくると、高千穂はノートパソコンで動画を見ていた。
「なんですかそれ?」
「調査をお願いしてたUSBの中身」
「はぁ。なんかの防犯カメラですか?」
「違うよ。昨日のを含む、今年荒木選手が出た全試合。テレビ局から中継のデータもらってきた。で、これはそこから、全ての牽制シーンを切り抜いてまとめてもらったもの」
「へぇー。……彼らにですか?」
松実が周囲を見回すと、あちこちのデスクで同僚たちがぐったりしている。
「もう野球見たくない……」
「興味ないスポーツ見るのって、こんなに苦行なのね……」
「もうスポーツはペタンクしか見たくない……」
「千中さん、みんな謎の悟り開いてますよ」
「いいのいいの。あんなこと言って、ワールドカップ始まったらアメフトとの違いも分からないのにラグビーで盛り上がる国民なんだから」
言ってはならないことを言いつつ、高千穂は牽制シーンをスローで再生していく。
「荒木選手、牽制が少ないタイプとは言え。これだけ試合があるとちょこちょこやってますね」
「うふふ。なるほどなるほど」
「どうかしたんですか?」
「いいかい? よく見てごらん?」
「んー?」
「ほら、ここ」
「あ、あぁ、なるほど……」
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