殺しの手順

1.評判の味噌汁

──物事は必ず順番を守ること──






 ここは小料理屋『二色鯉にしきごい』。お酒と料理と小粋こいきな女将が人気のお店である。

 一応昼から開いているが、メインの客層は夜の飲兵衛のんべえたち。そのためこの昼前という時間帯は、仕込みを終えて一息つくタイミングである。


 明るい茶髪は短く、軽いパーマ。背筋のいい長身もあって若々しい。しかし青いチェックの三角巾と純白の割烹着が色っぽい四十路の女将、ともえ

 お茶で一服していると、玄関の引き戸が勢いよく開け放たれる。出しておいたはずの『準備中』が目に入らないらしい。


「いやー、もう、すっかり寒くなったねぇ」


 いろはとは対照的に。ミディアムのストレートで小柄な同年代の女性。白い息を吐きながら店内へ入ってくる。

 そのまま当然のようにカウンターへ腰掛け、手袋、マフラー、コート。順に外して寛ぎモードへ移行する彼女に、いろはは無感情な目を向ける。


弥子やこ、あんた日本語読めないのか?」


 対して弥子、梶谷かじたに弥子に悪びれる様子はない。


「読めるよ? お品書き読み上げようか?」

「じゃあその知能で玄関に出してあった看板思い返してみな?」

「『準備中』だったね。それが何か?」

「あのねぇ」

「いいじゃん。細かいこと言わないでお昼ご飯食べさせてよ」

「かーっ……」


 迷惑そうなリアクションをするいろはだが、別段追い出そうとはしない。それどころか、湯気立ち上るお茶を湯呑みへ注いで渡す。

 そう。いろはと弥子にとって、こんなことは日常茶飯事なのだ。


「ありがと~。冬は熱いお茶がうれしいね」

「ウチも味噌汁が売れる季節になったよ」


 弥子は湯呑みで手を温めながら、いぶかしむような顔をする。


「味噌汁ぅ? お店に来て?」


 いろはは腰に手を当て、ぐっと胸を張った。


「お? 言ったな? ウチの味噌汁飲んで腰抜かすなよ?」

「へー、ちょーだいちょーだい」


 まるで餌を待つ雛鳥のように、カウンター向こうへ首を伸ばす弥子。いろはは苦笑しながら、自身に取り置いた昨日の残りを温めてやる


「どーぞ」


 さっそく一口。


「う、うまい!」

「煮干しが決め手な」

「へー、こりゃ寒い日は売れるよ」

「だから仕込む時は寸胴鍋を使う」

「炊き出しみたいだぁ」

「言い方」

「ところで婆さんや、メシはまだかのぅ?」

「家で食ってこいや」

「天才小説家には行きつけの店があるものなのだよ」

「あんたは料理ができないだけ」


 弥子は小説家である。しかもいわゆる、天才小説家と言われて人が想像するような。

『小説を書く意外何もできない』小説家。

 当然料理はできないし、独身で作ってくれる人もいない。外食が常なのである。

 というわけで、古くからの友人であるいろはの店にも頻繁に出没する。印税の実入みいりが少ないとツケにする極悪っぷりで。






「いろはちゃ~んもう一杯~」

「こいつは……」


 あれから一時間後。弥子はそのまま昼間から飲み始め。今は完全にでき上がってを巻いている。


「そんな様子で今日執筆できるんかー」


 いろはがカウンター越しにペシペシ叩くも、神経が鈍っているのかあまり感じていない。


「今日は書かないから大丈夫~」

「不安定な職業だから日々書き続けなきゃいけないんじゃなかったのかよ」


 心からの心配も弥子には届かない。彼女は徳利を握り締め、カウンターに沈みながら始める。


「どうして私結婚できないんだろう……」

「いろいろアレだしな」


 取り合わずに切って捨てると、弥子はガバッと起き上がった。


「何さ! お金ならたくさん持ってるのに!」

「お前のアピールポイント、いっつも金だよな」

「うるへー!」


 しかし、腐っても親友。いろはは腕を組み、一応一緒に考えてあげる。四十にもなって「女の子は解決策じゃなくて同意がほしいんだよ?」はさすがに痛いので考えてあげる。

 く言ういろはも独身ではあるが。昔からモテたが一人に落ち着かなかっただけ。オールドミスな弥子とでは、天と地ほどの差がある。


「男は女と違って経済力より家庭的なものを求めるからなぁ。そっちが死んでるんじゃ、アピールポイントないのと同じだ」

「はぁ!? 家事スキルなんて全部金で買えるでしょ!? あ! それと! 一回いい雰囲気になった人いたもん!」

「そんなんいたか? 何百年前だよ」


 弥子はカウンターをバシバシ叩く


「いたんだよ! 何回かご飯行って! 実質付き合ってた! ほら! あの!」

「それで実質付き合ってたは重いわ」

「うるさいっ! 実質付き合ってたの! そういう彼がいたの!」


 いろはは少し目線を下に向ける。


「ああー、あれなぁ、彼なぁ」


 それと同時に。さっきまで威勢のよかった弥子が、塩をまぶした青菜のようにしなだれる。


「でもあれもなんか、突然振られちゃってさ……。なんでかなぁ」

「あー……、それなぁ……」


 視線を下げていたいろはが、今度は露骨に目線を逸らす。


「何さ」

「……私と付き合ってた」

「……は?」


 衝撃の一言に酔いが覚めたか、スッと起き上がる。怖いくらいに背筋が伸びており、酒のせいとは思うが瞳孔もバキバキである。


「どういうこと」

「いや、そんなつもりはなかったんだけど。一回相談乗った時にさぁ、酔った勢いで向こうが来ちゃって。それから」

「……」

「ごめんな?」


 弥子は答えず、真顔で椅子から立ち上がった。


「酔いが覚めた。帰る」

「う、うん」


 手早く防寒具をかき集めると、着もせずさっさと寒い外へ出ていった。






 翌日の朝。いろはが仕込みをしていると。

 玄関がカラリと開いて、冷ややかな冬の風が流れ込む。


「おはよう農家さ、弥子!」


 そこに立っていたのは、昨日と同じ装いの弥子だった。ただし肩に、黒く細長いケースを掛けている。


「おはよういろはちゃん。今日も寒いね」

「う、うん」

「そんな驚いた顔しないでよ。顔に何かついてる?」

「あ、いや……」


 昨日の今日で、とはいろはも言いづらい。正直今の弥子は、感情の読めない顔をしている。が、こちらからあえては触れないほうがよさそうだ。

 普段通りの対応として、とりあえず軽口を飛ばしてみる。


「ついに朝から来るようになったか」

「まぁね」


 弥子はマフラーとコートを脱いでカウンターに置くと、そのまま席に着く。

 その脇に置かれたのが例の、


「なんだそれ?」


 大きく細長いケース。弥子はジッパーを開けて中身を取り出した。出てきたのは、


「金属バットだよ」

「なんだってそんなもの……。怖いな」


 少し身を引くいろはに対して、彼女はなんでもないように金属バットを構える。


「やめろやめろ!」

「店内で振ったりしないよ。ただ、このあと取材で少年野球チームにノックを打つから。そのために持っていくの」

「へぇー。あんたノックとか打てんの」

「元甲子園出場高校球児。でも今はうえに仕事でやらかした、ボロボロ中年銀行員。そんな彼が子どもたちにせがまれて、ヘロヘロになりながらノック打ってガッツ取り戻すシーンだから。打てないくらいの実感がほしいの」

「要素が多い」


 そんな話をしているうちに、いろはは弥子が手袋を外していないことに気づいた。


「外さないの?」

「最近末端冷え症がひどくて」

「……なんか怖いな」

「何がだよ!」


 リアクションがいつもどおりなので、いろはも少し安心する。


「でもその手袋、ちゃんと指があるやつじゃん」

「さすがにこの歳でミトンはないでしょ」

「ま、そうなるよね。ちょっと待って。お茶入れてくる」

「ありがと」


 店で出す用の茶葉は座席から見える棚にある。それと違うものは別の場所に置いているのだろう。

 いろはが奥に引っ込むのを、


 弥子は金属バットを手に追った。






 厨房に入ると。いろはが調理器具や食材に囲まれて、大きな寸胴鍋の前に立っている。どうやらこれから、自慢の味噌汁を仕込むつもりのようだ。


「味噌汁用も沸かすか」


ヤカンだけでなく鍋にも水を張り始めたいろはの背後に、弥子はゆっくり忍び寄り……


「えーと、茶葉は」

「……」


 三角巾の後頭部目掛けて、金属バットを振り下ろした。


「あっ!?」


 その場に崩れ落ちるいろは。

 弥子は話しかけるようにも、独り言のようにも呟く。


「朝から来たのはね、お客さん来ちゃう心配がないからだよ」


 そしてもう一撃。


「あとは、バット持ってお店に来るのも見つかりにくいし」


 当のバットを床に置き、動かなくなった彼女を跨いで鍋の前に立つ。


「えーっと、昨日の具は豆腐とワカメだったな……」


 冷蔵庫から具材を取り出すと。乾燥ワカメはそのまま、豆腐はぎこちない手付きでサイコロ状にカットして


「ちょっといびつだけど。ま、いいか」


 水が入った鍋へ。あとは適当に味噌を溶かすと、


「『煮干しが決め手』だったかな」


 煮干しもポイポイ放り込む。

 仕上げに、いろはの横にお玉を置き、床に小皿を叩きつけて割る。


「よし……」


 こうして一連の行為を終え、カウンターに戻った弥子は、


「普通は連続でやるなら大体同じ面で殴るよね」


 肩をこわばらせ、数回深呼吸。覚悟を決めると、いろはの血が付いた辺り目掛けて


 自身の額を金属バットに叩き付けた。

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