『ケンジントン人材派遣事務所』
朝から馬の蹄が石畳を叩く音、最近は金持ちが車のモーターを叩き起こす音もする。
市場が開かれれば人間の音がするのはどこでも当然だが、街の起床自体が早いのは大都市ならではか。
ここは王国の首都キングジョージ、その一等地ウォースパイト通り。高級住宅にカンパニーの本社、星付きレストランに勤め人の空きっ腹を狙った移動屋台まで揃った賑やかな街。
そしてそのまた一角、大きな十字路の流れという好立地。場所としては申し分なく、あえて注文を付けるなら「目立つ十字路の角を取れたらよかったね」くらいのもの。
でありながら、左右の大きな建物に圧迫されているかのように細長い三階建て。真っ青にペンキを塗られた煉瓦が美麗な以外、建築物として何一つ魅力がない建物。
その玄関から五、六歩引いて真正面。
手袋をした若い女性が、書類鞄片手に見上げている。特別高くはないがスラッとした体躯を包む、
彼女はサミュ・エルネスト・メッセンジャー。見上げている看板は『ケンジントン人材派遣事務所』。
彼女はこの事務所ただ一人の従業員にして、この世でただ一人『メッセンジャー』を
一階は基本使われない受付で、二階が本格的な事務所スペース。半分はデスクと応接スペースで埋まり、もう半分は大量の謎な民族工芸品インテリアで制圧されている。
ただでさえ狭いのに異国情緒な圧迫感が倍増である。
サミュが自分のデスクで紅茶を飲んでいると、三階から若い男が下りてきた。ヨレヨレのグレースーツが情けない。
「おかえりサミュ」
「ただいま、ミスターケンジントン」
タシュ・ケンジントン。『ケンジントン人材派遣事務所』の代表であり、この建物の三階に住んでいる男。目も眉も少し下がり気味、口角だけがニヤリと上がった顔付き。非常に軽薄な印象を与えるが生まれつきなのでどうしようもない。
加えてサミュは彼を軽薄な奴だと思っているので問題ない。事務所のインテリアを多国籍にしたのもこいつ。
「他人行儀だなぁ。僕と君の仲じゃないか」
「チッ」
「うわぁ舌打ちした。怖いなぁ」
まったく怖がっていない様子でタシュは身を乗り出す。
「で、どうだったのさ、このまえの案件は。土産話でも聞かせてよ」
逆にサミュは少し身を引く。
「たいした話はありませんよ。ご当主と小遣い目当てで寝たメイドが二十パウンドしか貰えず激怒、それだけです。もっとも、デモンストレーションで読心を披露したところ、一人だけ握手を嫌がったので。そこまで読む必要もありませんでしたね。本当、しょうもない話」
サミュは自身の手袋に覆われた右手を見る。
読心。彼女が持つ特殊な力。相手の心を読む、彼女を唯一の『メッセンジャー』たらしめている力。
しかし読心には『手で相手に直接触れる』という条件がある。
だからこそ彼女は、普段余計な読心をしないよう手袋をしているのだ。エチケットである。
「本当にね」
タシュは三階へ戻りながら笑う。
「でしたが、愚かにも刑事さんは大喜びでしたよ」
「へぇー」
タシュがまた下りてくる。手にはトレー、その上に食パンとチーズと牛乳瓶。彼は牛乳瓶の蓋を開ける。
「本当に愚かだねぇ。先に犯人だけ分かっても、証拠をあげなきゃ逮捕できないのに」
サミュはカップに紅茶のお代わりを注ぐ。
「しかし手掛かりにはなるのでうれしいようです。入金もきちんとされていました」
「さすがウチの稼ぎ
タシュは小さなナイフでチーズを薄くスライスする。それが直接パンの上にポトリと落ちた。
「……」
「どうしたのサミュ? 何か気に障った?」
「いえ」
サミュはため息を吐いて、二人きりの狭い事務所を見回した。
「稼ぎ頭も何も、実働部隊は私しかいませんが」
それから一時間後。サミュは新聞を読み、タシュは手紙を読んでいる。
「サミュ、鉄骨を運ぶ気はあるかい?」
「あなたの遺骨ならいくらでもゴミ捨て場に」
「じゃあナシで」
タシュは便箋を机の端に追いやる。
仕事を選ぶのが彼唯一の仕事である。時に手紙、時に電話、時に来訪する客。その依頼を吟味し、
それがこの事務所のスタイル。
「『好きなあの子の気持ちが知りたいです』ってさ。これは受けよう」
「お金を払って依頼することですか?」
「そうまでしても知りたいんでしょ」
「友人に頼めばタダなのに」
「友人に好きな人を知られたくないタイプもいる」
「あなたも?」
「サミュ〜♡」
「うわ」
そのため受ける案件は基本的に、サミュのスキルを活かせるものが中心となる。先ほどの工事現場のような事務所の売り文句も確かめず、『人材派遣』の部分しか読んでいない注文。そういうのはお断りさせていただく方針である。
「早く他の手紙を読め……!」
サミュはキス顔で迫るタシュをボゼゼ仮面とかいう民族工芸品でガードしながら、次の封筒で彼を叩く。
「はいはい」
タシュが包みを開くと便箋には
『ウチの旦那、絶対浮気してるけど証拠がないのよ! ここには人の心が読める’’メッセンジャー’’っていうのがいるんでしょ!? 尻尾が掴めないから、まずはその“メッセンジャー”で事実を確定させたいの! だって絶対浮気してるんですもの!
アンリ・トーリオ』
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